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バカップルに見る中今考察

こんにちは、異端の内科医Dskeです。

最近は私の中では医学的な部分、精神的な部分に関しても「縄文」というワードがキーワードになって来ています。
おさらいしますと縄文時代は日本において10000年以上争いがなく愛と平和に溢れた時代であったと言われます。現実にその頃の遺品には武器がなく、人骨などにも争った形跡がないと言います。

人間達は太陽と共に目覚め、夕日が沈むと寝るというリズムを基本として生活し、食べるものは狩猟がメインで、その時手に入ったものを小規模な集落で分けあって暮らしていたのでしょう。

時に食べ物が手に入らない事も当然あったでしょうから
今のような飽食の時代と違い
「食べられる事への感謝」
がどの人間にもあったと予想されます。
それどころか朝起きて「息が出来る事への感謝」「手足が動く事への感謝」「家族が元気でいてくれる事への感謝」など現代人にとっては当たり前となりすぎて、恐らく忘れてしまっているような気持ちも持ち合わせていたように思います。

モノに溢れた現代では「ある」ことよりも「ない」ことばかりに目が行ってしまい、他人への嫉妬心などが容易に芽生えます。
しかし当時のような時代には前述したように様々な「ある」ことに対して幸せを感じる人達ばかりだったようです。

冷静に考えると「ある」ことの方が「ない」ことよりも遥かに多くあるはずなので、「ある」ことに感謝出来るとネガティブな感情は芽生えにくく、他人の嫌なところよりも良いところに目が行くように思われます。

さて「バカップル」
お互いのことが好きで好きで愛おしくて堪らないカップルのことを揶揄して使われる言葉ですが、縄文の世界を現代の事象に例えるとこれかな?と思ったわけです。

とにかく目の前の相手を愛していて、幸せにしたい。
それが自分の幸せにもなる。
私といてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、生まれて来てくれてありがとう。
常にくっついて温もりを感じたいし、間違っても「別れること」など頭にも浮かびません。
相手の何気ない振舞い全てが愛おしく、常に感謝の念が心に溢れます。そこには過去も未来もなくただ今目の前にいる相手を全力で愛する態度があります。まさに中今です。「ない」ことではなくそこに「ある」ことに喜び、ただただ感謝をしています。

彼ら彼女ら他の事には目が行かず、周囲に呆れられるほどに中今を生きていますが恐らく究極の幸せの中にいるのでしょう。みんながそうなれば良いとは思いませんが、その生き方、考え方の部分部分は現代人には参考になるような気がします。

誰かを愛する為にはそれ以上に自分のことも愛してなければ成り立たない。自分のことすら愛せてない人に他人は愛せないからです。自分の「幸せのコップ」が満ちて溢れて初めて他人にも幸せをお裾分け出来るものだとも言えるでしょう。

「ない」ことよりも「ある」ことに目を向けて少しでもバカップルの視点を持てたら今よりも確実に幸せのレベルは上がるはず。そうすればストレスが要因の様々な症状は自ずと消えるでしょう。病気は自分が原因で作られるもの、決して他人からもらったりするものではありません。心の健康を手にいれてからだの健康もつかみとりましょう。

それではまた。




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