犬とパソコン__2_

推敲とか、校閲とか、

わたしが初めて「小説」とよべるものを仕上げたのは、確か小学校5年生の時だった。原稿用紙に書いた、多分あれがそう。ハートの形をした島の「パラダイス」ハートクイーン島。なんて安直なネーミング。でも小学生だから
しかも幼馴染に売りつけた。売りつけた…というより、買ってくれた。彼女はわたしの初めてのお客様だ。彼女は覚えてないかも知れないけれど

思い出したんだけど、コレを書くきっかけになったのはブルック・シールズの「青い珊瑚礁」(1980年)だったのよ Σ(゚∀゚ノ)ノキャー
最初「青い珊瑚礁」って、フィービー・ケイツだったっけな?って思って、調べたらフィービー・ケイツの方が「パラダイス」(1982年)だった。でも記憶にあるのはブルック・シールズの方の内容だったから、タイトルと女優が頭の中でごっちゃになってたのね。小学生だったから(しつこい)

さて、これらはきっかけというやつに過ぎない
本題は「推敲」とか「校閲」とか、ですからね

わたしが初めて他人に「推敲」されたのは、中学2年生の時だった。これはお願いしたわけではなく、投稿しようと思っていた原稿に対し感想を求めて一部の友人たちに読んでもらっていたら、クラスの優等生のひとりに「もうひとり読ませたい」と言われたのです。「彼」はこういうのが得意だから…
こういうの・・・・? なにが得意なのか…と思いながら、幼稚園から知っている、だけどそれほど親しくもない「彼」にも読んでもらった
すると、返ってきた原稿の最後尾の余白部分に、長々と「演歌の花道」のオープニングナレーションのような(⇐ごめんなさい、こういうのなんていうんでしょうか?)長~い文言が書き込まれてあったのです
それがちょっとカッコいいんです。そのまま使わせてもらいました
当時の原稿は送ったものしかないので、残念ながら手元にはありません。下書き用のノートも、原稿用紙に書き写した時点でおそらく廃棄しているので残ってません。だからどんな文言だったかも今となっては謎なのですが、なんだかとても悔しかったことだけは覚えています。今思えば、あれが初めての「推敲」だったのではないかと・・・・
おもしろいもので、この当時は子どもだったせいか、自分の作品に対し、絶対の自信があったのです。今、当時の原稿を読んだら、きっと恥ずかしくて人に魅せられたものではないだろうし、手直ししたくなる…もしくは破棄したくなるかもしれません。若気の至りです

最近縁あって「推敲」とか「校閲」なるものをお願いしました。結果は「脱帽」というやつでした。今はあの頃のような絶対の自信はありません。それなりに大人になりましたので、身の程というか、自分の立ち位置を十分理解できているので、そんなものはあるわけはないのです。それでもお願いしたのは、自分の中の可能性というものを信じたかったから・・・・
「推敲」や「校閲」を受けますと、自分ひとりでやっていたそれらがまったくの無意味だったことを知ります。それこそ恥ずかしい点や気づく点がたくさんありまして…「時系列がなってない」とか (;^_^A 大変ありがたい経験をさせていただきました。『オスカルな女たち』のまとめ読みはそんなところから加筆・修正され手出来上がりました。ですが、まだまだ完璧とは言えません。まだまだなのです
読み返していると、自分で書いたものですから「飛ばし読み」と言いますか、ニュアンスで流してしまうので意外と誤字脱字に気づかなかったりするのです。間違って書いてるつもりもないので、正しく書かれているものと、そう読めてしまう。マヒしてしまうんですね

パソコン機能の中にも「校閲」というものがありますが、言葉の言い間違いや繰り返し言葉「い」抜きなど主に文章の接続詞の違和感を正してくれます。が、漢字の間違いや表現方法まではなかなか気づいてもらえない。よって「ひとのめ」による「推敲」や「校閲」は実に的確で、修正した後でも更に気づくことがあったりと、自分の文章力の足りなさを実感するわけです

実は現在連載している部分はまったく人の目に触れたことのない部分で、わたし的にはとても不安で気に病むところであったりします。ですので皆さん、なにかお気づきの点があった場合は遠慮なくどしどし指摘していただけたら大変ありがたいです。よろしくお願いいたします

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです