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とあるバンドマンの官能夜話 ~第九夜~

高齢化社会のミュージシャン

歳を取ってくると、特に男性と言うのは鏡を見る機会が減ってきます。私の場合、朝、仕事の前にシャワーをして、その時に髭を剃るために浴室内の鏡を見るのが1日の最初の自己投影で、たぶんちゃんと自分の姿を見るのはこの時が1日の最初で最後なのかもしれません、後は食後3回の歯磨きの時に洗面台の鏡の前に立ちますが、ほとんど意識して鏡に映った自分を見ることはないのですね。こんな私でも若い頃は髪型も気になるし、結構なナルシストだったので、鏡でなくても街角のショーウィンドウに映る姿も意識的に見ていた程だったのですが、歳を取ってお腹も出てきて、顔の皮膚もたるんでくるようになると、そんな自分の姿を見るのがイヤになるのだと思います。

そんな自分も含めた高齢化の波が日本の国、社会全体を覆い尽くそうとしています。医療の発達により長寿命化したのと、物質的には豊かになったけれどもその実質は貧困と言う今の社会。そして将来に希望が持てない世の中に子を成すことをしなくなった若い世代。この構図はそれこそバブル景気のようなお祭り騒ぎの時代が来ないと変わらないとも思います。

そして定年退職後の長い余生を楽しむ為に、若い頃に楽器を弾いていた、又は継続して弾いていると言う中高年のミュージシャンが増えてきています。都心の楽器店やスタジオに併設された音楽教室に行くと、中高年向きのカリキュラムが組まれていて、若い人に遠慮すること無く中高年の初心者がレッスンを受けられるようになっています。これは中高年の人達が、若い人達よりも何倍も高額な楽器を買う傾向にあると言うことで、そう言う販売単価を上げられる顧客を確保すると言う店側の思惑もあるのだと思います。

そして私の周りを見渡してみても、また練習スタジオに足を運んでみても、下は40代から60代後半までの中高年ミュージシャンで溢れかえっています。今日はそんな中高年ミュージシャン達の生態を少し綴りたいと思います。

さて、私が音楽活動を再開しようとメンバー募集の掲示板をチェックしていた頃、中高年の音楽サークルの募集の記事が目に留まりました。掲示板でメンバーを集めても、社会人の場合はスケジュール調整が難しく、家庭のある人にとっては毎週練習に出るのが憚られると言う人もいて、全員揃っての練習は月に1~2回の練習しか出来なかったり、残業で練習に遅れてきたりと言うような事態になりがちです。

そんな時でも固定メンバーのバンドではなく、「サークル」なら同じパートを担当する複数のメンバーが居て、欠員は誰かがカバーをしてと言うことで、いつスタジオに行っても誰かと音が出せると言うメリットがあると言うふれこみでした。確かにと思う部分があって、一度見学をさせて欲しいと言うことで楽器と、練習で使っている打ち込み音源を入れたPCを持ってスタジオに行きました。

そのサークルは、そのスタジオのオーナーが仕切っているバンド(サークル)で、他にも別の人がバンマスをしているバンドがいくつかあって、それぞれ音楽の指向が違うと言うことでした。そのスタジオオーナーは私よりも10歳以上歳上の、まさしく団塊の世代の方で、ベンチャーズでギターを弾き始めたと言う方でした。

私の技術レベルがわからないので、どのバンドに入れるか決める為に何か弾いて見ろと上から言われましたが、こちらも他のメンバーの方のレベルも指向もわからないので打ち込み伴奏で演奏させて欲しいと申し入れました。私は主にフュージョン系ばかりやって来たのですが、それでもメジャーな曲が良いと思って、チックコリアの「SPAIN」と、ラリーカールトンの「ROOM335」の2曲を演奏しました。

自分としては、初めてのスタジオで、至近距離で初めてのメンバーが見つめる中、久々の人前での演奏と言うことで、かなりの緊張で少し足が震えるほどでしたので演奏の出来はイマイチだと思っていましたが、たぶんオーナーも、他のメンバーも想定外の選曲と演奏内容だったのでしょう、それ以降、上から目線の態度が180度変わりました。

その後は他のメンバーの方も交えて簡単なブルース曲などを何曲かセッションしました。実はこの時、今のバンドでボーカルをやっているカミさんもボーカル希望と言うことで連れて行っていたのですが、歌本のコピーを渡されて昭和30年代から40年代の歌謡曲やオールディーズナンバーを何曲か歌いました。私はそれらの選曲と演奏内容にかなり退屈していて、実際に演奏中に居眠りしそうになっていましたので、その時は二度とここに来ることはないと思っていたのですが、カミさんはカラオケとは違う魅力を発見したようで、毎週の練習に参加したいと言い出しました。それから毎週定例のサークル活動に夫婦で参加するようになりました。

そのサークルでは、巷のカラオケ教室のように、大きな会場を借りて年に何回かの発表会を行っていると言うことで、その発表会に向けての曲を選曲して練習をすると言うことをメインにしていると言うことでしたが、ちょうど私達が参加し始めた時に発表会が終わったばかりで、半年後の次の発表会へ向けての選曲からと言うタイミングでした。私は歌本のコピーを渡されて適当に演奏するのは退屈なので、自分のやりたい曲でカミさんが歌える曲を選定して、音源を用意したり、簡単なコード譜を作ってメンバーに配って、決め事やイントロ、エンディング、サイズをきちんと共有して練習したいとバンマスのオーナーに申し入れました。

スタジオでのボーカルは、カラオケのエコーとは違う素な感じになるので、最初は戸惑いがあったようですが、だんだんとカミさんも慣れてきて、贔屓目でなくてもバンドで使えるボーカルに成長してきました。そんなボーカル曲も新しい曲の練習を開始した時はキーの変更がしょっちゅうあるので、キーの変更がボタン一発で出来る譜面アプリを使うようになりました。そんなキー変更譜面で、ある時トラブルがありました。

ある曲のボーカルのキーの変更が何度かあり、キー違いの譜面が何枚か存在していたのですが、練習の時にとても不協なサウンドになったので、私は演奏を止めて手を横に振って演奏の中止のサインを出しました。原因はオーナーが違うキーの譜面を見ながら演奏していたのですが、私の出した演奏中止のサインすら気がつかずに最後までちぐはぐなキーで演奏を押し通したのです。私はオーナーの譜面を確認してキーが違うことを伝えると意外な顔をして、自分が違うキーで演奏したことにすら気がついていない様子でした。

似たようなことはそれ以降もしょっちゅうありました。クリーンなトーンで演奏すべき曲をディストーションを掛けて延々と演奏したり、音量のバランスを自分でとることをせずに、いつもかなりな大音量で演奏したりするので、こっそりボリュームを絞ったり、キンキン耳が痛い時はトーンを調整したりと言うこともありました。ある時、オーナーがキーを変更出来るピッチシフターを導入したのですが、設定を間違えて違うキーで演奏して、本人だけ気がつかないと言うこともやはり良くありました。

そのオーナーは自分の出している音を全く聞かないで演奏する人だったのですね、ちょっとこれには参ってしまいました。自分の音すら聞いていないので、周りの音は当然聞いていません、そして譜面もあまり読めないのでしょっちゅう迷子になって、そこで演奏を中断せずに適当に弾くので周りの人間はたまったものではありません。ただ自分がこうだと言う演奏を最初から最後までやり通す人なのですね。そして歌本のように歌詞が書いていない譜面は大抵迷子になるようで、私が配布したコード譜面を使わずに自分で歌本をコピーして使うこともあるので、コードが違ったり、サイズが違ったりと言うこともしょっちゅうありました。それ以来できる限り譜面に歌詞を入れるようになりました。

私はジャズ・フュージョン歴が長く、聞こえる和音に反応してアドリブをすると言う癖がついていますので、私のアドリブパートがある曲で、適当に間違ったコードを弾かれると全く演奏出来なくなってしまうタイプでしたが、少しスタンスを変えて自分の中でコード進行を把握しながらアドリブするようにしました。これは反面教師と言うか、和音がなっていなくても頭の中のコードでアドリブが出来るようになりましたので、私自身にはかなりの進歩を与えてくれたと言えます。

他にも同じサークルの別バンドの方で、音作りを自分ではしないと言う人も見かけました。その人はバンドのリーダーですが、もう一人の少し若いギターの人にアンプのセッティングからエフェクターのオンオフまで全て任せているのです。まるでスーパースターのようですが、あるライブでその人の演奏を聴く機会がありましたが、この日はいつものギターの方とは違う方がサポートで入っておられてセッティングをする人が居ないので、往年のハードロックナンバーをパキパキのクリーントーンで何曲か通して演奏されていました。

この人も団塊の世代の方で、自分の出す音を聞かない人なんだろうなと思いましたが、会社の経営者と言うことで面倒くさいことは人任せにする体質と言うのもあると思います。実は私も小さな会社の経営者ですが、自分の出す音にはとことん拘って音作りをしています、それこそマルチエフェクターの設定値の1目盛りまで追い込んでセッティングしています。趣味だからこそ、楽器や機材、音作りにはとことん拘りたいと思っています。

これらの団塊の世代の自分の音を聞かないミュージシャン達にもう一つの共通する傾向があります。それは高価な楽器をやたら何十本も、それも様々な種類のものを「持っている」と言うことです。「持っている」のをたまに見せびらかされますが、いつもスタジオで弾いているのは3万円ほどの入門用ギターです。高価なビンテージギターは所有欲を満たす為だけに購入して、眺めて楽しむものなんでしょう。

私自身は楽器のスケールが変わると感覚が全く違うので、メインで使うギターのスケールは同じものですし、コロコロと楽器を変えると言うことをしません。それはやはり「自分の音」や「演奏」に拘りたいからですね、コロコロと楽器を変えると絶対にスムーズな演奏は出来ないと思いますし、音作りも根本から変わってしまいますので、音に拘るからこそ楽器の本数は最低限でやりたいと思っています。

第九夜 完




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