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断薬、地獄の苦しみー強迫、双極症ー闘病記【39】

断薬を開始する

前回は入院するところまで述べました。今回は入院して断薬をしたときのことを述べたいと思います。

入院した際に主治医に「薬をどうしますか?」と言われて、私は「全部効いていないのでやめたいです」と答えました。
主治医は私の意向を尊重してくれて、入院中に断薬をすることになりました。

まずはリチウムから抜いて行きました。リチウムは離脱症状がないと言われていたので、一週間で半分抜きました。二週間で全部抜いたのですが症状に変わりはありませんでした。
リチウムは私にとっては効果がなかったようでした。

続いてバルプロ酸を抜きました。こちらもリチウムと同様の間隔で抜きました。バルプロ酸を抜いても何の変化もありませんでした。

ここまでは順調に断薬が出来ていました。私は「なんだ。簡単なことじゃないか」と思いました。断薬の苦しみについて書いてある本の例は、私にはあてはまらないと思いました。
このときは断薬について楽観的に考えていられたのでした。

Sさんとの出会い

さて入院してちょっとした頃に25歳ぐらいの女性(以下Sさん)と友達になりました。Sさんは統合失調症で入院していました。

そしていろいろ話をするようになりました。Sさんは精神科の病気に対して無知でした。そこで私に病気についていろいろと聞いてきました。

私は特に詳しいわけではなかったのですが、長年の闘病生活での経験や精神科の病気について知っていることを話しました。大学生の時に先輩から統合失調症には歩くことがいいと言われたことがあったので、Sさんにも歩くことを勧めました。

Sさんと仲良くなり過ぎる

するとSさんは「一緒に歩こう」と言ってきたので、私も一緒に歩くことにしました。たくさん話をしたのですが、Sさんはとても幼い感じがしました。

世の中のことを何も知らない感じでした。私も世の中のことは分かっていなかったのですが、えらそうにいろいろと教えていました。

またSさんはとても純粋な人でした。話をしていてこちらが気恥ずかしくなってしまうこともありました。

どんどん仲良くなって二人で話すことが増えてきました。他の患者さんから二人の仲が良すぎると看護師さんにクレームが入ったほどでした。

精神科ではちょっとした人間関係のもつれでも嫉妬や妬みの対象となるのです。一回看護師さんからも直接注意されたので、仲良くし過ぎていた面は否定できません。

私のミス

そして話をしていく中で私の入院の目的について聞かれました。私は「断薬するためだ」と言いました。

Sさんは薬を飲まない方がいいのかと聞いて来ました。私は薬の影響で躁やうつが引き起こされていると考えていたので、薬の弊害について話しました。

Sさんは純粋だったので私の話をまともに受けて、薬はなるべく飲まない方がいいと思ってしまったようです。

さて退院後も連絡を取っていたのですが、退院してから調子が良くなったから薬を飲まないことにしたことを報告してきました。

その時には見解が変わっていた私は、薬を飲むべきだし、通院はやめてはいけないと厳しく言いました。ところがSさんはその後病院に通うのをやめてしまったようでした。

そして、しばらく経って連絡が来たときには、再発して入院しているということでした。

私が薬の弊害について話をしたばっかりにSさんは薬に対して悪いイメージを持ち、通院をやめてしまったのだと思いました。

Sさんが再発してしまったのは私のせいだと思いました。そしてSさんとは再び入院した数日後に連絡が取れなくなりました。

Sさんに何があったのかは分かりませんが、私は薬の弊害を説いたことを深く反省しています。

薬で症状がよくなったことを伝えたいのですが、もうどうすることも出来ません。本当に悪いことをしてしまったので、謝りたいです。

これを読んでいる人にも薬は勝手にやめてはいけないということを伝えたいと思います。

リボトリールを抜く

さて入院序盤はSさんと仲良くしていたので、それなりに過ごせていました。
しかしリボトリールの断薬を始めた頃から様子がおかしくなってきました。当時リボトリールは0.5を日に4回、合計2.0飲んでいました。

リボトリールは離脱症状が出る可能性があるということで、徐々に減らしていくことになりました。週に0.5ずつ減らしていくことになりました。

最初の一週間は変化がありませんでした。
しかし二週間目に0.5減らすと変化が出ました。夕方になると頭がボワーンとした感じになりました。まるでヘルメットをかぶっているような感覚でした。

夕方に症状が出るということは、昼の薬を抜いたことが作用してきたと考えられました。
私はすぐに離脱症状だと思いました。そしてただちに医者に報告しました。

ところが医者は落ち着いて、「このペースで抜いていけば離脱症状は出ません」と断言しました。

異常

私は釈然としませんでしたが、まだ耐えられる範囲だったので違和感を持ちながらも生活しました。

そして三週目に入るともう0.5減らしました。すると朝から頭がおかしな感じがしました。起き上がると頭の感覚がおかしく、まっすぐ歩けません。

つらいというよりもふらふらするので寝ていなければなりませんでした。そのことを医者に伝えると「このペースで減らせば離脱症状は起こりません」とのことでした。

ただ医者も私の変化に気づいたらしく、診察室の中を歩くように言いました。歩いてみると勝手に左に曲がってしまいます。医者は「おかしいなあ」と言っていましたが、離脱症状かどうかは判断できず、どうにもできないようでした。

この時から一日に一回のリボトリールを待つだけの生活になりました。
食事をすることがかろうじて出来るだけでした。あとはトイレにふらつきながら行っていました。シャワーをすることも出来ませんでした。

本当に必要最低限のことしか出来ませんでした。その時は入院していてよかったと思いました。

また、この時にはSさんは退院していたので無様な姿を見られることがなくてよかったとも思いました。

地獄

そして四週目にリボトリールを全部抜きました。朝起きると、まず頭が回っているような感覚がしてどうしようもありません。

普通には起きられなくなりました。そしてトイレに行こうと思うのですが全身に力が入りません。

これはまずいと思いました。また頭の中もおかしくなっていました。変な音楽が聞こえてきました。また、どこから湧いてくるのか分かりませんが、懐かしい思い出が浮かんできて、涙してしまうのです。明らかに脳に異常が起こっていたのです。

思い出は考えようと思って考えるのではないのです。走馬灯のように過去の思い出が過ぎ去っていきます。

1時間ぐらいかけてトイレに行きました。本当に命がけの旅でした。冗談ではなく頭にロッキーのテーマが流れていました。

頭を起こしておくとおかしいのでベッドに這いつくばっていました。気が狂っているので床に寝てみたのですがちっともよくなりません。床の模様が人に見えてきました。懐かしい大学の時のカウンセラーでした。この時の床のひんやりとした間隔は今でも忘れられません。

診察室に行けなくなったので医者が来てくれました。「先生助けてください」としか言えませんでした。

医者はおかしいなあということで、「あと一日だけ様子を見ましょう」と言いました。その時は医者が鬼のように感じられました。

そして夕方になると離脱症状のピークがやってきました。それまではひたすら時計が進むのを見ていました。早く明日にならないかと思って寝ているだけで精一杯だったのです。

そうしていると妄想が出始めたのです。なぜか分からないですけど長渕剛とコンサートを開くことになりました。もう狂っていたのです。そしてコンサートがうまくいって涙を流してしましました。この涙も忘れることが出来ません。

そうして夜になったのですが、もう起きられませんでした。ナースコールを押してトイレに担いで行ってもらいました。

もちろんトイレは立って出来ませんでした。介抱されながらするトイレは悲惨でした。自分がとても惨めになりました。そして病室まで担いで行ってもらいました。もう歩くことさえ出来なかったのです。再び私がトイレに行きたくなると困るので大人用のおむつを履かされました。

断薬失敗

次の日に医者に懇願してリボトリールを0.5出してもらいました。
私の断薬はあっけなく失敗したのです。

リボトリールを0.5出してもらうと、起きられるようになりました。ところが頭がおかしいのは変わりません。ふらふらしますし、妄想が止まりません。断薬をして以来、頭がおかしくなってしまったのです。

翌週にリボトリールをもう0.5出してもらいました。少しずつですが体の機能が戻ってきました。リボトリールをゼロにしてトイレにも行けなくなったのは離脱症状だったのです。

それからというもの頭のふらつきや、まっすぐ歩けないという症状や不定愁訴がたくさん残りました。薬を戻していっても、断薬前の状態に戻ることはありませんでした。そのため頓服としてロラゼパムを出されました。私はベンゾ系に依存を起こしていたのです。

入院生活

本当に断薬はつらかったです。もう二度とあのつらさは味わいたくないです。

断薬については賛否両論があるのでしょうが、必ず医師の指示の元で行うことをおすすめします。

結局この時は81日間入院していました。双極症の症状は入院したことにより落ち着いていました。

離脱症状はだいぶ治っていたのですが、まだ体のあちこちに異常がありました。決して元には戻れませんでした。

私は自分がおかしくなってしまったのだと思いました。もうまともに生きていくことは出来ないと思いました。

前の入院の時と同様に、患者の中では自分が一番まともだと思いたかったのです。しかし、この時は自分が看護師や医者におかしなことを言っている自覚がありました。離脱症状を訴えている私は誰からも理解されなかったのです。

もう精神科に入院して、わけ分からないことを言う患者の一人になってしまったのでした。

注意

これはあくまでも個人的な感想です。断薬については医師と相談の上慎重に行ってください。

またリボトリールという薬が悪いわけではありません。決して自己判断でやめずに医師の指示に従ってください。

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