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彼女のスペアを求めてー強迫症、双極症ー 闘病記【13】

夜の街へ

前回述べたように、彼女と別れて失意に沈んだ私を、カウンセラーはバーに行くようにすすめました。それが何の解決になるのか分からないまま、私は夜の街に繰り出すことにしました。田舎者の私は初めて盛り場に行くので緊張しました。その頃はITバブルにより景気がよかったので夜の街は賑わっていました。何件か行ってみてお気に入りの店を見つけました。その店では元Jリーガーのお兄さんが優しく話をしてくれて、酒の飲み方を教えてくれました。

何回か行って通い慣れてきた頃に、私は思いきって彼女を忘れられないことを相談してみました。彼女との出来事は自分だけの特別な体験だと思っていたので、中々話ができなかったのです。しかし、反応は薄く、「そういうこともある。また彼女を作ればいい」と言われました。

私はその時も彼女のことしか考えられなかったので、復縁に向けて何か手立てを考えてくれることを予想していたのでがっかりしました。
私には未来が見えていなかったのです。過去に生きていたのです。その時、自分が視野狭窄に陥っていることなど気づいていなかったのです。

彼女のスペアを探して

夜の街に繰り出したのですが、彼女を思う気持ちは変わりませんでした。いつも彼女のことを考えていました。私のそんな様子を見てバーのお兄さんは女性を紹介してくれました。私はあんまり乗り気ではなかったのですが食事ぐらいならいいだろうと思って会うことにしました。

あまり気の乗らないまま会ったので、何を話していいのか分かりません。それなりに会話をするのですが、何か今ひとつしっくりきません。彼女のようなぴったりする感覚がないのです。言葉を換えると、彼女のように打てば響くという感覚がないのです。

見た目も悪くなかったのですが、どうしても彼女と比較してしまう自分がいました。そんな私はもちろん仲良くなれませんでした。

またバーで隣になった人と盛り上がって、後日遊ぶということもありました。遊ぶとそれなりに楽しいのですが、どうしても彼女と比較してしまうのです。彼女ならこうするだろうなあ、などと考えてしまうのです。誠に勝手ながら、女性と会うと彼女と比較してしまい、つらい思いをしていました。

バーのお兄さんを始め、人から言われることもあり、日に日に彼女のことは忘れていくと思っていました。しかし、そううまくはいきませんでした。その他にも女性と会いましたがどうしてもうまくいきません。ぴったりくる人がいないのです。

その中には「前の彼女が忘れられないのだね」と言われてしまうこともありました。その通りだったのです。全くもって相手に対して失礼なことをしていたのです。
今度は彼女のスペアを探していたのです。

強迫症とうつ病

そんな中でもカウンセラーには毎週相談に行っていました。カウンセラーにはいろんな女性と会っていることを逐一報告しました。しかし、よい反応はありませんでした。「彼女が忘れられないのだからうまくはいきませんよ」と言われました。

今思えばカウンセラーは、私が病気と向き合ってくれることを望んでいたのではないでしょうか。病気の原因が外にあるのではなく内にあるのだということに気づいて欲しかったのだと思います。

ところが私はまた、彼女と復縁するか、パートナーに恵まれれば人生が好転すると思っていたのです。全然自分の問題が見えていなかったのです。

強迫症は彼女と別れて少しましになっていました。彼女を失うということが現実となり、強迫観念として湧き上がってこなくなったからです。

うつ病はよくも悪くもありませんでした。彼女と別れたばかりの時よりはましでしたが落ち込むことは多々ありました。
薬は相変わらずSSRIを処方されていました。落ち込むことが多くなってきてうつの治療に重きを置いて、強迫症の治療はしていませんでした。

私は強迫症についてはどうにもならないものだと思っていました。カウンセリングではロールシャッハテストや箱庭療法などを試しました。親子関係のことを深く掘り下げることもしました。夢の話もしました。カウンセラーはいろんな手立てを使ってくれました。

後から聞いた話ですが、当時カウンセラーは認知行動療法をベースとした治療をしていたようです。私は自分の病気について調べることもしませんでした。ただ自分の苦しいという思いを吐き出していただけでした。そして自分の状況が好転すれば強迫症もうつ病も治ると思っていたのです。そんなやる気のない患者だったのです。

今でも強迫症の治療には本人の強い意志が必要と言われています。その当時は私に治そうという気がなかったのですから、カウンセラーや医者が一生懸命治療しても病気が好転しなかったのは仕方ないことだったのかもしれません。

友達

そうこうしているうちに季節は過ぎ、文学部の中で友達と呼べる人が出来ました。最初会った時はしゃべりにくい感じだと思っていたのですが、ふとしたきっかけでしゃべってみると気が合いました。その人も文学部になじめていない人でした。仲良くなっていろんな所に行くようになりました。大学に入って初めてまともな付き合いができる友達が出来ました。

出会い

その友達とバイクに乗っていた時のことです。近所にガソリンスタンドがあるので給油に寄りました。そこで出会いがあったのです。髪は金髪、今時のギャルという感じの人が接客に来たのです。ピンときた私はしゃべりかけました。少し話しただけなのですが、妙に「ぴったり感」がありました。
彼女のように打てば響く感じがあったのです。ほぼナンパだったのですが、仕事が終わったら会おうということになりました。

友達にそのことを言うと「かわいいけど、かわい過ぎないか?性格きつそう」と言われました。
友達は精神的な悩みを抱えていないタイプの人間だったのでピンとこなかったようです。私はどうも一般的な感覚とは少し離れているようです。

そしてバイトが終わった後にファミレスで会いました。話しは盛り上がり、すぐに意気投合しました。お互いに波長が合っていると感じたのでしょう。しばらく話しているとその人の腕に何かあることに気づきました。そうです。その人もリストカッターだったのです。結局似た傷を持つもの同士としかピンとこないのでした。

その日はファミレスで話しただけでした。そして次に会う予定を決めました。私はとてもテンションが上がりました。また母親のスペア候補を見つけてしまったのです。彼女と別れてから初めて本来の私が帰って来た感じがしました。

約束をすっぽかされる

私はわくわくして待ち合わせの場所に行きました。ところがいくら待ってもその人は来ないのです。携帯電話で連絡するのですが連絡がとれません。すっぽかされたのです。

おかしいなと思いながらガソリンスタンドに行きました。そして会って話をしたのですが、「この前はどうしたの?」と聞くと悪びれることもなく「風呂に入っていた」と言われました。「なんだ。そんなことか。ばかばかしい」と思っていましたが、おそらくその人は風呂でリストカットしていたのだと思います。

その後も会う予定をするのですが、すっぽかされます。どうなっているのか分かりません。それでも私はめげません。彼女の代わりができるのはその人しかいないと思い込んでいたのです。

それでまたガソリンスタンドに行くのですが返答は要領を得ません。いろいろ話していると、「暇ならここで働かないか?」と言ってきました。私はその時バイトをしてなくて時間を持て余していたので承諾しました。そうしてその人と会うためにバイトを始めました。

カウンセラーとの衝突

その顛末をカウンセラーに言うと止められました。それはやめておいた方がいいと言われました。ところが私は言うことを聞きませんでした。やっと本来の自分を取り戻して、うつ状態から抜け出したのですから自分を止めることなど出来ません。軽い躁状態になっていたのだと思います。

私は彼女の代わりを見つけて来てカウンセラーは喜んでくれるとさえ思っていました。おそらくカウンセラーは、その人がリストカッターで危うい面を持っていることが問題だと感じたのだと思います。そしてまた私が暴走することを感じていたのだと思います。

何回も行ってうすうすは感じていたのですが、そのガソリンスタンドは「強い男」がたくさん来る場所でした。
後で聞いた話なのですが、カウンセラーは私がガソリンスタンドで働き始めたのは、強迫症に対する「暴露療法」だと思っていたということです。
あえて「強い男」の中に入ることにより自分の身を不安に曝して、不安の中でも大丈夫だという経験を積んで強迫症を治療しようとしていたと思っていたようです。

ところが、私は単純にその人のことが好きで一緒に働きたかっただけでした。本当にばかな男です。そうしてまた私は危ない「恋愛」へと向かうのでした。

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