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石ぐらい投げられてもいい

今回は、沖縄には、どれくらい米軍基地が集中しているにか、解説します。

沖縄県には、下記の図のとおり、現在31のアメリカ軍専用施設があります。その総面積は、1万8454ha。沖縄県民の約9割以上が住んでいる沖縄本島において、およそ15%の面積をアメリカ軍専用施設が占めています。
ちなみに、米軍専用施設とは、米側が管理し、専ら在日米軍のみによって使用される提供施設・区域を云います。

引用:防衛省ホームページ

下記の図は、沖縄県における米軍施設の面積の推移を、復帰直前から、現在、今後の未来を示したものです。

引用:防衛省ホームページ

このグラフを見て分かるように、1996年12月の「SACO最終報告」が、米軍基地の返還のターニングポイントとなっています。その経緯について、解説します。

1971年6月、当時の愛知揆一外相とロジャース国務長官が両政府を代表して、沖縄返還協定を締結しました。

その締結時の米軍専用施設は、144施設、35,300haもありました。1972年5月の沖縄復帰のときには、83施設、27,850 ha。復帰後も米軍基地が残ることが分かってくると、「基地のない平和な島」を望んでいた沖縄の住民には、不安や失望が広がっていきました。

その後、1995年9月の沖縄県での米兵による少女暴行事件を契機に、日米両政府は米軍基地の整理・縮小を協議するために特別行動委員会(SACO)を設置。

96年12月にSACO最終報告をまとめ、38施設、23,502haへ削減。2023年1月現在、沖縄に所在する米軍専用施設は、31施設、18,453haが残っています。今後、普天間飛行場の全部返還などが進めば、沖縄に残る米軍専用施設は28施設、17,675haとなります。

防衛省は、沖縄の過重な基地負担を低減するため、抑止力を維持しながら、米軍基地の返還等に取り組んでいますが、間違っても米軍基地はゼロになることは絶対ありません。

なぜなら、米軍は、沖縄を東アジアの戦略上、重要拠点として考えているからです。

国家の安全保障にとって、米軍基地は必要だが、多くの沖縄県民は、事故や事件や騒音が絶えない基地の撤去を求めています。

厳しい言い方をすれば、沖縄県民以外の国民は、国家の安全という利益を享受するために「思いやり予算」や沖縄振興のための税金を負担しても、基地の存在に伴う様々なリスクや不利益を沖縄県民に押し付けてきたのです。

他方、沖縄の持つ地政学的条件は沖縄にしかないことも事実です。

国家の利益と地方の利益をどのように折り合いをつけるのかが問われていると思います。

最後に、読者に伝えたいことがあります。

上皇陛下は、皇太子時代の1975年7月。昭和天皇の名代として、皇族では第二次世界大戦後で初めて、沖縄へ訪問しました。

本土を死守するうえでの捨て石にされた、という思いが戦争中から沖縄にはありました。

明仁皇太子は当時、「石ぐらい投げられてもいい」と語っていました。不測の事態が起こることも覚悟したうえでの訪問でした。

実際、テロ未遂事件も発生しています。糸満市内のひめゆりの塔を訪れて献花を捧げていたときに、付近の洞窟のなかに潜んでいた2人の過激派から火炎瓶を投げつけられたのだ。

火炎瓶は献花台を直撃して炎上したが、幸い陛下に大きなけがはなく、犯人たちは現行犯で逮捕された。

明仁皇太子は事件を非難するどころか、事件が起こった夜に「沖縄の苦難の歴史を思い、これからもこの地に心を寄せ続けていく」とする談話を発表。その後もスケジュールを変更することなく、慰霊の旅を続けました。

最後までご覧いただき誠にありがとうございます。
出会いに感謝です。


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