結果が同じならば原因も同じという幻想【他人に自分の経験則当てはめちゃう問題】&おまけのうつ病解説
■まとめ
最初に言っておきますとこの記事は、
「(自分を含め)多くの人は自分の経験則を他人に当てはめがちだよね」
という結論です。
私の日常生活のなかでそう思うことがあった原因がうつ病なので、それを例に出していますがサラッと読んでください。
■私について
ぐらです。25歳のおじさんです。
双極性障害と診断されています。
双極性障害は、精神疾患の中でも気分障害と分類されている疾患のひとつです。うつ状態だけが起こる病気を「うつ病」といいますが、このうつ病とほとんど同じうつ状態に加え、うつ状態とは対極の躁状態も現れ、これらをくりかえす、慢性の病気です。
要するにうつ病と躁病を交互に繰り返す病気です。
この記事で重要なのは私が「うつ状態」を体験したことがあるという点のみですので、それだけを頭にいれてご覧ください。
■"すげぇ「落ち込み」=うつ"という幻想
みなさんは「うつ病患者」と聞くとどういうイメージを思い浮かべますか?
多くの人が「生気のない顔をしてずっと落ち込んでいる人」のようなイメージを抱くのではないでしょうか。
また「どうしてうつ病になったと思いますか?」と聞かれたら
「ストレスに晒され続けたから」とか、
「ショッキングなことがあったから」なんて思うのではないでしょうか。
どちらにしても多くの人が
「自分たちが日常で味わう"落ち込み"のすごいver.」という認識をしているのではないかと思います。
だからこういう人もたまにいます。
「自分たちだって日常で落ち込むことがあるけど、発散したりして上手に生きている。それもしないで病気だなんだというのは甘えだ。」
「社会に出ればストレスにさらされるのが当たり前。そこを上手にコントロールするのが当たり前」
「要するに心の弱い人なんだよね(オブラートに包んで繊細な人という人もいます。)」
■結果が同じなら過程も同じ?
こういう人たちの発想の源はきっとこんなはずです。
「自分たちが落ち込むのは疲労やストレスが原因だ」
「なら、うつ病患者が落ち込むのも疲労やストレスが原因に違いない」
「疲労やストレスをなんとかできればまず病気にならないし、かかってもすぐ治せる」
うつ病患者の「落ち込み」を自分の経験則にあてはめて、
「疲労やストレスで落ち込んでいる」って思っているのです。
では実際はどうなのでしょう?
■うつの落ち込みは脳のバグ
まだまだ全貌が解明されていない病気なので諸説ありますが、
私の体感としてこの説は正しい気がしています。
うつ病が発症する要因
脳の中では、情報を伝達するためにさまざまな神経伝達物質が働いており、そのうちセロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンは、モノアミンと総称されています。一説に、うつ病は、このモノアミンが減ることで引き起こされるとされています。
しかし、これだけでうつ病が発症するしくみをすべて説明できるわけではなく、ほかにもいくつかの説があります。
ざっくり説明すると、
人間の脳のある部分から「楽しもう」とか「気分上げていこう」なんて命令を出す部分と、
その命令を受け取って実際に「楽しい」という感情や「気分を上げる」という行動を表に出す部分と、
その間をつなぐ部分があります。
そのつなぐ部分がおかしくなるのがこの病気なのです。
もっともっとざっくり説明するならば、
うつ人間くん:落ち込みにはストレス発散が良いらしい。お笑い番組見てみよう。
すると頭の中ではこんなやり取りが始まります。
命令くん:お疲れ様です。「楽しい気分」ファイルをお送りしました。時間を置くと消えてしまうので早めにダウンロードし、展開をお願いします。
受信くん:何度か試しましたが、通信速度が遅すぎてダウンロード失敗してしまいます。
通信くん:伝達に必要な物質が物理的にないので速度改善無理です。
命令くん:もう「楽しい気分」ファイルは無くなってしまいました…
うつ人間くん:(ストレス発散してんのに気分上がらない…)
という感じです。
つまり、脳の中のギガが足りていない状態です。
思考は鈍化しますし、感情の表現もなくなります。
反応も遅くなり、傍目には
「落ち込みすぎて呆然としている」ように見えるでしょう。
でも実は落ち込んでいません。
「落ち込む」という感情ですら受け取れないので、落ち込んでいません。
感情なんてないのです。
何かを思う余裕なんてないのです。
■見た目は同じ「落ち込み」でも
つまりうつ病の人の落ち込みって「疲労やストレス」由来の落ち込みではないのです。
脳の問題なのですね。
感情が鈍化し、落ち込んでいるように見えるだけなのです。
だから普通の人の「落ち込み」とは似て非なるものなのです。
結果が同じに見えても原因と過程がちがうものなのです。
■なんて人には言うものの
長々と「同じ落ち込みに見えても違うんだよー」なんて説明してきましたけど、これって精神疾患に関わることだけではなく日本中でありふれている問題なのではないかと思います。
「私がこうだったから、きっと他人もこうだ」
「私が経験してきた悩みと、同じレベルのものに違いない」
例えば世代間就職格差やら、子育てやら、あぁもう色々と主題はありますが、
「おめぇのそれとは違うんだよ!」
なんて思うようなことはどんな人間にもあったと思います。
私にもあります。
そして同時に「私が他人の問題を自分の尺度で考えて他人に口出す」ことも
きっと覚えてないだけでたくさんあったと思います。
人間、そんなものなのかもしれません。
■倫理観VS本能
長々と「てめぇの経験と一緒にされるのムカつく」というの説明してきましたが、
現実問題として「自分の経験則を当てはめた方が人間関係楽チン」というものがあると思います。
おそらく出会う人出会う人に「この人私の思いも知らぬ事情があるかも…」なんて考えながら対応するのは脳がとっても疲弊すると思います。
だからおそらく「自分の経験則を当てはめて思考を簡略化させる」は人間の本能に備わったものだと私は思うのです。
倫理的にはNGでも本能で行ってしまっていることってたくさんあると思います。
それをテーマにした
「弱者への理解、メリット提示出来てない問題」
「対応コストのかかる私のような人間どうする問題」
「弱者、ホントに求めているのは"スルー"問題」
「精神障害、発達障害への理解って実質我慢になっている問題」
執筆予定です。
こうご期待。
■結論
結局私の結論としては、
「他人の経験則当てはめられるのムカつくよな」
「でも自分もそれやるよな」
「仕方のないところもあるよな」です。
実際、私も理解のない言葉をかけられ怒りで眠れなかった日なんてたくさんあります。
が、安易に「理解しろ」なんて思えないのです。
例えば私は男性なので、女性の月のモノのつらさを理解することは生涯出来ません。
また私も精神疾患でつらさを味わっていますが、より重症な人のつらさも想像は出来ても理解できません。
どんなに想像しても、勉強しても、体験しなければわかんないのです。
だから理解ってとても難しいんですね。
「本当の理解って実は"スルー"なんじゃないか説」
……
…
(タイトルばかり思いついちゃう問題)
2019.10.10 ぐら
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