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労りと思いやりと小さな目標

今年の夏で4歳になる娘は、

「なんで?」「これなに?」「これ見て!」
の絶賛大セール時期。

壁のシミをジーッと見て
「ご覧のスポンサーみたい(三日月の事)」と、
何かを何かに例えてみたり。

いっぱい空想もするし
オリジナルのお話もするようになった。
そんなお年頃。


今、娘は楽しい事だらけなんだろう
そして楽しいを共有したい気持ちは
年齢問わず共通であって「ママ見て!」
が止まらないのである。

その「ママ見て!」に
なになに〜?と近寄る時に見せる
キラキラのドヤ顔に娘の気持ちが
よく現れている。分かりやすい。

しかし当然ながら3歳とちょっと
生きたくらいでは時と場合、ましてや
空気なんて読めるわけがなく、

揚げ物してる時やトイレの中でも、
シャンプーや洗顔中にも、
悪いタイミングを選ぶかのように
「ママ見て!」は、やってくる。

「ちょ、ちょっとまって…」

と言ったって、

「まーまーみーてーーー!」
と激しくなるだけ。


その欲求を1つ1つ拾って共有してあげたい。にも関わらず望む反応とは違う態度をしてしまう時もある。

時と場合を読む練習になれば良いが未だそんなことレベルが高すぎる。続けばきっと娘も寂しいだろう。「ちぇっ」と思うだろう。悲しい気持ちになるだろう。その気持ちを上手く表現出来ずイタズラしてみたり嫌々したりしてみせるだろう。

「ママみて!」に応えたくない訳じゃない。嫌々してる娘じゃなくってキラキラと素敵なものを見つけた娘と喜び合いたいに決まってる。

その為にはどうしたら良いのか…嫌々する事がダメと教える(押し付ける)のでは無いはずなんだ…。

まずは自分だ。

自分の“余裕”の確保だ。


1月後半から春まで夫が出張に出ていて今は娘と私だけで過ごしている。娘と過ごすのは勿論楽しい。


ただ時々、不意に、油断すると、虚しくなるのだ。


娘が「ママみて!」と求めるのと同じように、私も「ねえ聞いて!」と娘の成長を誰かに話したいのだ。仕事の成果を伝えたい。ご飯が上手く作れたと言いたいのだ。小さな事だけどそれが言えるだけで「ママ見て!」に理想的な反応ができる。嫌々に対して何を伝えたいのか耳を傾ける気力がわくのだ。


毎日、パパが帰って来ない…嫌だ。お風呂も歯磨きもトイレもしたくない。パパが居ないからやだ…。そんな日が続いていた。娘の解消できない嫌々にちょっと強引に交換条件や怖いことが起きる…という話をしてしまう。それじゃ強制だ…悲しい出来事の上に更に辛い事を上塗り。あんまりだ。

あぁ…余裕つくらないと。

ふと気付き気分転換に外に出て10分のマッサージを受けた。それだけだったが、ふと閃き帰宅してすぐパソコンの前に座る。

「おるすばん がんばろうね表」
と書いた30マスの四角を並べた紙とシールを作った。

「1日1回朝起きたら貼ろうね」
「全部たまると…なんと!パパが帰ってきマース✨」

「え?ほんと?やったー!!」
その場で拍手で飛び跳ねる娘。
そして、さっそく1枚ペタリ。

娘は私と違って、空白のマスの多さを見たって、全然先だ…なんてネガティブにはなりません。意訳的にトイレに行き、お風呂に入り「歯磨きしてないよ?」と声を掛けてくる。

パパが居ない…と言わなくなって1週間。
その

代わりの言葉が「今日もカッコイイ日よ」とキリッとした宣言に変わった。

たった1つ。シールを貼るだけ。

言葉巧みに従わせる…のでは無く、嫌な事でも楽しい環境に変えてあげる工夫。それだけで娘はやる気に満ちている。

足りなかったのは私の“余裕”だ。

丸1日、自分の時間をとらなきゃ作れないものでもない。たった数分、好きな音楽を聴いたり、良い香りのアロマを炊いたり。それだけでも良い。今の私には、そのちょっとの労る時間が“余裕”の素となる。

それが娘の笑顔に変わる。

全ての「ママ見て!」に応えられなくても、
「すぐ見てあげられなくてごめんね」と伝えると「良いのよ」と優しい言葉が帰ってくる。

フグみたいに膨れた顔も好きだけど
やっぱり笑った顔が好きだ。

不器用だけど失敗もあるけど
これからも育てる側も育てられる側も楽しく。
小さな息抜きをしよう。それが、かけがえのないものに繋がるならば。


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