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「あの日のゴール」・・・父の思い出を追った息子は。


27日日曜日に朗読会「言の葉だこっと」で朗読された作品を紹介します。

俳優の町田政則さんが毎月開催されているに「言の葉だこっと」で
「森章二の素読みの会」でお世話になっている俳優の森章二さんが朗読していただいた作品に一部加筆したものです。

長く顔を合わせる事が無かった父が・・・。
父と息子の絆の物語をお楽しみください。

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「あの日のゴール」 作: 夢乃玉堂

「ホームを抜け出したら必ず近くの公園で、
グ~ルグル走ってるんですよ」

童顔のケアマネージャーが語る親父の最晩年を、私は黙って聞いていた。

「だから、すぐに見つかるんですけど、
走るのを止めようとすると怒るんです。
でも気が済むまで走ると、ゴールインって言いながら、
大きく手を振って満面の笑顔で駆けてくるんですよね。
それで、私たちも何だかホッとしちゃって
一緒になって大笑いして・・・。あ。御免なさい」

父親を亡くしたばかりの息子の前で
笑顔を見せるのは不謹慎だと思ったのだろうケアマネは顔を伏せた。

「気にしないでください。私の知っている親父は、昔から大声で笑うような人ではありませんでしたから、そんなに笑う父の話を聞けるのは嬉しい驚きです。皆さんのおかげですよ」

10年前、母に先立たれた時、

『心配しなくていいぞ。独身時代に戻ったつもりで気楽にやるから』

と強がりを言っていた親父だったが
2年もしないうちに認知症を発症し徘徊が始まった。

連絡を受けて、東京から6時間かけて実家に戻り、
警察に頭を下げたことも一度や二度ではない。

市の福祉課と相談して、紹介されたグループホームに入れたが、
徘徊は収まらなかった。

錠前屋だった親父は、ドアの鍵を簡単に開けてしまい、
ホームのスタッフを慌てさせたという報告を何度も受けた。

「走るのがお好きだったんですね」

ケアマネが悪意なく言っているのは明らかだが
『何度も迎えに行った』と聞いた後では嫌味にしか聞こえない。

懐かしそうに語る童顔を眺めながら私は思った。

『歳を取って変わったのかな。私の知る親父は、走るのが苦手だったのに』

あれは、六年生の運動会だった。

それまで一度も運動会に来なかった親父を
「小学校最後の運動会だから」と説得して引っ張り出した。

目的は、父兄対抗の100メートル走だ。
毎年母が出てくれていたが、当然、他所のお父さんたちには敵わない。
その悔しさを晴らしたかったのだ。

しかし、親父は、母以上に足が遅かった。
スタート直後から差がつき、あっという間に10メートル以上離されてしまった。

母は「お父さん頑張れ~」と声を上げていたが
私にはそれが、低学年の子供たちに贈られるような
同情の声援に思えて恥ずかしかった。

おそらく親父も同じように感じていたのだろう。
俯き気味にゴールに駆け込んだ姿がとても辛そうだった。

私は子供なりに親父を残酷な処刑台に引っ張り出した責任が
自分にあることを感じていた。

その夜、罪悪感を払しょくするつもりで、
色紙の貴重な『金色』を使って、金メダルを作った。

「お父さん。お疲れ様」

と言って首に掛けた途端、親父はそのメダルをビリビリに引きちぎり、
大声で怒鳴った。

『馬鹿にするな! 慰めはいらん!』

怖かった。

見たことの無い親父の姿が恐ろしかった。母は震える私を抱いて頭を撫でた。

今から思えば、男のプライドや、照れ隠しで思わずきつい言い方をしてしまったのだろう。それを、子供だった私は受け入れられず、その日から距離を取るようになっていった。

中学になってからは、運動会も文化祭も親父には言わなかった。
親元を離れたい一心で、東京の大学に進学し、
東京生まれの女性と結婚して、男の子が生まれた。

そして親父は、私の顔も孫の顔も分からなくなって先週亡くなった。

「あのぉ。私は事務室にいますから、
荷物の整理が終わりましたら呼んでくださいね」

童顔のケアマネは、明るく言い放ち、深々と頭を下げて出て行った。

独りきりになると部屋に残る親父の体臭が気になった。
煮込み過ぎた小豆のような、とろりとした嫌な匂いだった。

私は鼻にハンカチを当てて、残された所持品を探った。
保険証や年金手帳など、とりあえず必要な物を見つけなければならない。

六畳ほどの部屋、探す場所は少ない。
剝き出しのハンガーに一張羅の背広と、使い古されたジャージが並んでいる。
三段に積まれた衣装ケースには下着や靴下だけが入っていた。

「親父らしいな」

昔から物には固執せず、人目も気にしない方だった。
贅沢と言う言葉とは縁がなく、常に薄汚れた会社の作業着を着ていた。

「汚い服着てるときに街で会っても、
知り合いみたいな顔しないでくれよな」

そんなひどい言葉をぶつけたこともある。
アイビーブランドやアメリカントラディショナルといった
ファッションが流行った中学時代。見た目が全てだった年頃だ。

そんな時、親父は必ず冗談交じりに答える。

「外見だけ繕っても、女は寄って来ないぞ。
大事なのは中身だ。大人になれば分かるだろうがな」

当時、雑誌に出ている大学生のモデルに憧れていた私は、
子供扱いされたことに腹を立て、言い返してしまった。

「俺は、絶対親父みたいな薄汚れた仕事はしない。
都会に出て、かっこいい服を着て、広い家に住んで
奇麗なオフィスで仕事をするんだ」

何を言われても親父は小さく微笑んでいた・・・あの遺影と同じように。

ベッドの傍らに置かれたブリキの箱の上に
母の位牌と、親父の写真が並んで乗せられていた。

「あれ? これ・・・」

ブリキの蓋にマジックで、『たからばこ』と、たどたどしく書かれている。

子供の頃、私が大切な物を入れていた箱だ。
『たから』と言っても、キャラメルのおまけや、
当たりの出たアイスの棒、ビー玉などである。

私は、錆の浮き出た蓋をそっと開けてみた。
箱の中には、手拭いでぐるぐる巻きにした包みが、
ただ一つ入っているだけだった。

「何だ。これ?」

私は、『認知症の夫が、妻の遺骨をお墓から盗み出して
隠し持っていた』というニュースを思い出した。
巻きついている手拭いをほどく手が震えた。

はらり、と包みの中から、手の平くらいの薄い何かが飛び出し、
キラキラと輝きながら床に落ちた。

「あ!」

それは、運動会の後で親父に贈った折り紙の金メダルだった。
破いた跡は、セロテープで何重にも張り合わせてある。

「一生けん命 走ったで賞」

12歳の私がマジックで書いた字だ。
懸命の「けん」だけ書けなくて平仮名にしたのもそのままだ。

金メダルを拾い上げる時、ケアマネの言葉がよみがえった。

『走るのがお好きだったんですね』

それは違う。走るのが好きだったんじゃない。
好きな息子の為に、このメダルの為に、親父はずっと走り続けていたんだ。
あの日の運動会のゴールを目指して。

私は、折り紙の金メダルを握りしめたまま、
ベッドに倒れ込むように顔を埋め、声を上げて泣いた。

しょっぱい涙の味と、親父の香りが混ざり合って、私を包み込んだ。
だけどそれは、全く嫌な感じがしなかった。

                 おわり



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