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おいちゃん、ありがとう

こんにちは、那須野です。
こたつから抜け出せない日々が、まだ終わりません。
暑さ寒さも彼岸まで、とは言いますが、お彼岸中に降雪の滋賀です。

個人的には、怒涛の3月でした。
自坊彼岸会でのご法話、地域の博物館での展覧会から始まり、長男の卒業式、次男の卒業式、長男の受験、勤め先の彼岸会、初めて正式に講師に呼ばれたご法話のご縁、多くは初めてのことばかり。
そしてそのほとんどは阿弥陀様のご縁でした。

慌ただしい日常の中、ある日次男は言いました。

「明日僕、どこまで歩けるか行ってみたい」

前々からそんな風なことは言っておりましたし、平素から思いたってはふらり歩きに行く次男、どうやら決行の日を決めたようです。


次の日は、法務の合間に次男からのLINEをチェックすることになりました。
自宅から出発して稲枝、河瀬、彦根、米原。
15時の時点で米原の次男に通話すると、

「あと2時間歩けば長浜まで行ける、歩きたい」
「足痛くなるで」
「もう足は痛い」
「そのまま電車に乗って帰って来たら?」
「はーい」

帰ってきた次男、夜お風呂に入って湿布を貼って、

「電車に乗ったら一瞬で能登川まで着いたわ。楽しかったけど、もう一度歩くかと言われたら、今は歩きたくないな」

その言葉を残して布団に入りました。

さてその次男、縁ある大人たちと沖縄旅行に行くことになりましたが、
流石に沖縄まで歩いて行きたいとは言いませんでした。

どこまで行けるか分からないけど、道を逸れないように、線路沿いを歩いた次男は、
石垣行きの飛行機に身を任せて飛び立って行きました。


よく、阿弥陀様の本願力を船に譬えられることがあります。
自分のはたらきをたよらず、大きな乗り物に乗ってお浄土へ渡してもらいます。

お念仏の私たちは、すでにその船に乗って、それぞれの人生を歩んでいます。
いのち尽きるときに乗るのではなく、今既に乗せていただいているのですね。
お念仏の船に乗って、御同行様と道中を楽しみたいものです。


そうそう、先に言いました博物館での展示の話です。
期間中に何度か足を運んでいると、館内の喫茶店からおじさんの大きな声が聞こえてきました。

「阿弥陀さん、阿弥陀さん言うてお念仏しても、お浄土なんか妄想の世界や」

明らかに、私が企画した展示についてのコメントです。
帰り道、イライラしながら、

「そう思うのは手前の勝手やけど、人にまで得意げに言わんでもええやないか」

そんなことをブツブツと脳内で繰り返しておりました。
しかしどうでしょう。
いつぞやの私も、そうであったのではないか。
何を得意げにと言うのは、私の奢りではないか。
あの人もまた阿弥陀様の願いのうちにあるから、ああやって反抗期迎えているのかも知れない。
おじさんもまた、お育ての最中の相でありました。

おいちゃんも、大きな船に乗っていることに気づいてくれるかな。
だって、展示に足向けて阿弥陀さんのはたらきを見てしまってたってことやもんな。

と、数日経ってほくそ笑む私でありました。

ご法義三昧の3月でしたが、思い出すのは日常の細やかな自分の感情です。
お育ていただいてたのはこの私でありました。


称名

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