月命日
以前、一緒に暮らしていた小さな家族(ペット)の月命日が昨日でした。
前に書いた記事で火葬してもらってから
遺灰を海に撒いたと書きましたね。
昨日はその場所に行って来て今はもうお空にいる、小さな家族に想いを寄せていました。
遺灰を撒いた海のすぐ近くに公園があるんですが、そこには桜の気が何本か植えてあり、もう散り始めてるようで花びらの絨毯が敷かれていた。
買ったお花を海に投げ入れるわけにはいかないので
片手で握れるくらい桜の花びらを集めて、遺灰を撒いた海に花びらを撒いたんです。(環境にいいかはわかりませんが、ごめんなさい)
出来る事なら桜を見せたり、海を見せたりしたかったな…
今思えば家にお迎えしてから、独りの生活にパッと花が咲いたようでお空に帰ってしまったのがあまりにも早すぎて桜のような生涯だったのかな…
あの子はあの子しかいないし、今でも大切に動画や画像を持っていて、毎日眺めている。
別の子をお迎えしたとしても
あの子の代わりなんていないし
それぞれに与えられた命はそれぞれたった一つ。
「前のがダメだったからのりかえる」
最初この一言の意味が分かりませんでした。
その小さな命の火が消えてしまえば、代わりなど何処にもいないし、別な子を迎えてもその子は亡くなった子の代わりなどにはけっしてならないというのに。
命を何だと思ってるんだろう…
悔しくて仕方がありません。
亡くなった小さな家族に対する愛情や想いを全て否定されたみたいで。
たいして事情や私の気持ちも知らないのに。
そもそも命に代わりなんて何処にもないのに。
あの子は今はお空にいるけれど
私の心と記憶にずっと残っているし
いつまでもあの子に心は寄り添っているよ
少し暗い記事になってしまいました。
こんなんではお空にいるあの子を心配させちゃうね
笑顔を忘れないように毎日に向き合います
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