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死ぬことについて〜死んだらどうなる?〜

 新学期が始まって数週間が過ぎました。僕は相変わらず夜中に働いているので、人にはほとんど会わずzoomで声をかわすだけで、隠居老人のような毎日です。

 さて、歳を重ねてくるとどうしても考えざるを得ないのが、死ぬことについてです。これまでは考えてみても実感があまり湧かないし、そもそも死んだ後のことについて考えることが怖すぎて気づかなかったことにしてました。

 ただ昨年「人の自由意志」について考えて以来、

生きることと対である死ぬことについても考えるようになりました。そして得られた結論は「死ぬことって、それほど悪くない」ということです。

死とは

 死ぬとどうなってしまうんでしょうか?それがわからないから怖いんですよね。僕は理系なので魂の存在は排除しますね(魂ありにすると絶対答え出ない)。

 死ぬと神経活動は全て止まるので、今ここで感じたり考えている(と思っている)自分は消えてしまいます。自分視点で見ると、永遠に気絶している状態に近いでしょうか。痛みも悲しみも楽しみも何も感じない状態なので、死んでいること自体が辛いということはなさそう。時間も感じませんから、暇だとかつまらないとかもないでしょう。

 とにかく何も感じないのです、死んでいる限り。

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生きている自分とは

 とはいえ、死ぬことの怖さは死んでいる状態の自分の不幸さが原因ではなく、自分が消えてどうなるのかという想像のできない状態への恐怖だと思うんですよね。

 では今生きている自分とはどんなものなのか?僕は遺伝子と環境がたまたま作り出した偶然の産物だと思うんですよね。無限の可能性がある組み合わせの中からたまたまこんな考え・感じ方をする物体が生まれたと。宇宙に存在する物質がぶつかり合ってたまたま僕になって、ここにいる。

 つまり僕という意識が生まれる時には、ある非常に特殊な条件が整って偶然生じたということです。

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死んだ後

 そこでふと思ったんですよ。

 「死んだ後無限の時間が経てば、また自分が生まれるのでは?」

 無限の時間ていつだよって話ですが、どんなに先でも一緒なんですよ。どうせその時まで意識はないので。死ぬ時にふっと意識がなくなりますよね、で、無限の時間が流れて以前と全く同じ偶然が起きて自分ができてしまった時に、目を覚ますのではないでしょうか。

 それはおそらく今いるこの世界の中ではないでしょうが、割と似通った状況にあるかもしれません。そうでないと僕っぽいものが生まれないでしょうから。宇宙は拡張と収縮を繰り返しているそうなので、そのサイクルを数億回繰り返した後になるのでしょうか?まあどうせ記憶は持ち込まないので、また淡々と次の環境での人生を黙々と過ごすことになるでしょうね。

 感覚的には、え〜そんなことあるかな?というのが正直な感想だと思いますが、無限は万能ですからね。いつかはまたチャンスがあるのは間違いないと感じます。

 どうですか、死への恐怖が少し減りませんか?あ、減りませんか、そうですか。僕はかなり悟った気分で、気持ちいいです。ただ死ぬ直前の様々な痛かったり辛いのは嫌なので、そこをうまく避けて死にたい気持ちはあります。

 というわけで、死に対する恐怖がなくなったことですし、後はのんびり自分を楽しませながら生きていきたいなと思います。

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おしまい


ところで

そんなことを考えながら本屋さんを歩いていて、ふと目についたこの本。

 結構売れているみたいなので、読んだことある方もいらっしゃるかもしれません。哲学者にしては非常に冷静な考え方をされていて、理系の僕でも違和感なく読み切ることができました。帯に「どう生きるべきか」とか書いてあるので、安っぽい説教されたら嫌だなと思ったのですが、淡々と「死とはどんなものか」「死を恐れる必要はあるか」「死ぬことは不幸なのか」などについて、哲学的考察を重ねています。

 難しい用語は用いず、ひたすら具体的な例を上げて解説してくれるので、非常にわかりやすい(もしくはわかった気にさせてくれます)。そんな屁理屈捏ねられてもなぁ(しかもしつこい)、という感想の人もいると思いますが、知的ゲームをするつもりで読んでみるといいかも。自分の考えを整理するのにも役に立ちます。

 僕自身は人も動物も石ころも同じものだと思っているので、ちょっと違うなと思うところもありましたが、楽しく読めました。

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