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エッセイ:子供向け英語学習の昔と今

年寄りの独り言だと思って読んで頂きたい。

40年近く前、とにかく世の中が今と違っていた頃。

現在の様にYoutubeや海外のストリーミングサービス、インターネットやアプリの外国語学習のツールが無かった頃。インターネットで海外の暮らしを垣間見ることなど想像もつかなかった昔々の事。

「海外に行くのはずるい」と言われていた。

親の事情で英語圏に連れていかれ、地元の学校に放り込まれた子供はとにかく言葉も習慣も何も分からない場に立たされることになる。

そこからが戦いの始まりだ。これは今も昔も変わらないのかもしれない。

個人的な経験になるのだが、筆者は親の転勤でイギリスに行った。中学生の頃である。

当時は外国、いやアメリカ礼賛の時代で、「海外に行けば子供はすぐに外国語を身に着ける」といった妄言が飛び交い、かなり年齢層が上で外国語が全くできない子供でも平気で地元の学校に放り込まれていた。

海外に親の転勤が決まったあたりで、我が親はしぶしぶと子供を語学学校に放り込んだ。家庭にもよるが、子供の学習に積極的な親なら、ここぞとばかりに子供を語学学校に入れるだろうし、教育に熱心でない親は「必要悪」と言いながら子供たちをしぶしぶと語学学校へと送り出す。

ここで初めて外国人の教師と出会うのだが、生徒は、始めは外国語の言葉の一つも出ない。

唯一出来るのは挨拶程度だろうか。それすらも恥ずかしくて言えない子供も沢山いるはずだ。

そもそも外国とは一切無縁の生活をしていた筆者にとって、イギリスが何処にある国なのかも分からなかった。ましてや人々の暮らしぶりや社会生活の基本など分かるものなど何もなかった。

語学学校では、イギリス人の教師から文法を学んだ。教科書の内容は、海外に出張に行くビジネスマンが必要とする内容だった。外国人の上司との会話や同僚との会話は完全に大人向けのもので、中学生だった筆者は習ったものをどのような状況で使えばいいのか理解が及ばなかった。

授業の後、教師は質問の時間を10分くれた。そこで筆者は普段の学校で習った事のある単語を駆使して、「イギリスの家には床はあるのか」という質問をした。

家の中でも土足だと聞いていたので、土足ならば土の床の上で暮らしているものだとばかり思っていたからだ。また、茅葺の屋根や、土壁の家があるとも聞きかじっていた。

海外を紹介する番組では、アフリカなど土で固めた小さな窓のあいた藁ぶきの屋根で生活している人々が紹介されており、筆者はてっきりイギリスでもやはり土間で生活していて、土壁で窓のほとんどない藁ぶきの屋根の家にすんでいるのだと思っていたからだ。

教師は慌てて、「It’s almost the same in Japan.」と言った。
壁も屋根もあるし、窓もある。床はあるが、家の中では靴は脱がない。

「カーペット?」と聞いてみた所、家の床にはカーペットがあるという。

「汚い!」と言ったが、教師は身振り手振りを付けて、「靴は家に入る前に、底をぬぐうんだよ」と身振りを交えながら教えてくれた。

また、買い物はスーパーやCorner Shopと呼ばれる店があり、お菓子や新聞を買えるという。現在でいうキオスクの事だが、通常日本では列車の駅にあるキオスクが町中にあるとは想像できなかった。

ここの学校で得たことはこのぐらいだっただろうか。少なくともイギリスの家には壁も窓も屋根も床がある。床にはカーペットが敷かれ、人は家に入る前に靴を拭く。

この情報があっただけでも、筆者はとても安心できた。
土足ではあるが、少なくとも日本の家の様な所に住んでいる。

それ以外では、当時はイギリスの情報がとにかく少なく、あるものと言えば観光ガイドブックばかり。バッキンガム宮殿の前を闊歩する衛兵たちの行進ぐらいしか人間の乗っている写真が無く、それに日常生活とはかけ離れた観光地の事ばかりしか書いておらず、全く参考にはならなかった。

語学学校では英会話の授業も取った。始めのうちアメリカ人の教師についていたが、その教師は「イギリスの事は何も知らない」という。無理もない話なのだが、イギリスの事を質問をしても「分からない」「知らない」の一点張りだったので、会話の授業はイギリス人の教師に変えてもらった。

その夏、一学期がもう少しで終わるころ、筆者は友人達に最後の挨拶をして引っ越した。

学校の最終日にはクラスの前に立たされて、最後の挨拶をしなければならなかった。

クラスメートたちからは、完全にのけ者にされていた。
筆者が海外に行くという事を聞いて、「ずるい」「羨ましい」「自慢している」という意見を持っていたようで、最終日の挨拶の時もそのような批判的な意見が飛び交った。

これが、観光などで遊びに行くのであれば、「ずるい」も「羨ましい」も「自慢している」も理解が及ぶ。しかし、こちらは決して遊びに行くのではない。生活していかなければならないのだ。しかもほとんど情報の無い国にゼロから暮らしていかなければならない。

「ずるい」というなら、自分に代わって行って欲しいとまで思い、実際そのようにクラスメートたちに言ったような覚えがある。

語学学校で得た、心もとない程のほんの少しの情報を元に、日本を出発した。

本当に、よくあれだけの少ない情報で転勤していったものだと思う。

移民していくわけでもなく、数年後に日本に戻ることは確実だったので、立場はあくまでゲスト。「あなたが何か無作法な事をしたら、日本人が無作法な人種とみなされる」と教えられた。

右も左も分からない所から、地元の人達の邪魔にならないよう、その国の片隅でひっそりと暮らした。

ある程度言葉が聞き取れ、自分でも発話出来るようになるまでは一年以上かかったと思う。

それ以外では、英語のできない両親との日常の買い物などの手伝いで次第に簡単な発話が出来るようになっていったくらいだろうか。

筆者の両親は殆ど英語が出来なかった。店で何かを買おうと思っても、言葉が通じない。身振り手振りを交えて何とか意志疎通を図ろうと両親が試みてみても通じない。挙げ句の果てには手振りで追い払われる。
 
これを見ていて筆者は腹が立った。外国人相手にいい大人が手振り一つで客を追い払う。

客商売に対する感覚が日本とは違い、面倒な客は追い払う習慣がある、と理解する前は、非常に腹が立った。

しかし、我々は面倒を起こしてはならないゲストだ。言葉だけで意志疎通を図る、と決めて、言葉使いやイントネーションに気を付けて話せる様になったのは、一年以上経った頃だったと思う。

学校の授業は当然ながらすべて英語。周囲の言っていることを、身体全体を耳にして聞き、メモを取れるようならカタカナで解らなかった単語をノートの端に書き、家に帰って辞書を引く。

辞書も電子辞書やインターネットリソースが無かった時代、中学や高校レベルでの辞書では語彙数が少なすぎでとても間に合うものではなかった。今なら小さな録音機などを手軽に購入して、授業内容を録音する事も出来るかもしれない。が、当時は録音機能の付いたウォークマンはそう簡単に手に入らない贅沢品だった。

大人と子供では、外国語を吸収する能力は、個人差はあるが比較的子供の方が早いと言われる。日常会話で使う程度のレベルの事であれば、近所のキオスクや商店、バスの運転手や地下鉄の窓口の様な比較的日常でよく使う場所にいる人々の言葉が聞き取れるようになるのが最初だった。

学校に行けば、習う科目も日本と違い、哲学や宗教の授業まで出なければならない。

それ以外の科目も、国語や数学、理科に社会とすべて外国語で書かれているテキストを使用する。

現在では分からない単語はネットで調べればすぐ正解が出て来るが、テキストを一字一字辞書で調べていくのは途方もない時間がかかった。

唯一、子供の方が有利だと思われるのが、言われた言葉を飲み込むのが大人よりも少し早めだという事。そして言われた単語に疑問を持たず、丸ごと覚えていくことだろうか。

ある程度耳が慣れ、周囲で簡単な買い物が出来るようになったとしても、それ以外は、圧倒的に大人の方が有利だった。それは、日本で中学、高校や大学レベルの外国語(特に英語)を専門的に学んでいるからだ。

授業で習う外国語の文法はもちろん日本語での解説があり、使用するテキストには、新しい単語には日本語で意味が書いてある。参考書も充実している。

それ以外の点では、教師からきちんとわかる母語で解説をしてもらうので、文法はきちんと学習することが出来る。

一方で、日本の教育から外れてしまった場合、語学学習は自己流になり勝ちだ。参考書すら手に入らない環境では、文法すら身に付かなくなる可能性もある。

2年目、3年目になると、今度は日本語が廃れ始める。家の外で使う言葉が圧倒的に英語一色になってしまったからだ。3年目ぐらいから日本語と英語を両立させるのをあきらめそうになった。

現在では小学校ではすでに会話のレッスンなどが始まっている様で、恐らく子供によっては発話が得意になる子もいることだろう。しかし、40年以上前の日本の小学校では授業で学ぶことなど私立の学校でなければ考えられず、また外国語を教えている語学学校なども少数であり、自分が外国語を発話することなど考えられなかった。

数年前、知人がちょうど中学生になるお子さんを伴ってイギリスに転勤された。

お子さんは小さい頃から英会話を習っていたそうだが、それでも地元の中学校に編入したての頃は相当苦労をされたようだ。

例えて言えば、日本の中学校に日本語ほとんどできない外国から来た生徒が入った場合、その子がどれだけ苦労するか。こう言えば、なんとなく想像していただけるかもしれない。

このお子さんの事を聞く度に、今の英会話の学校についてふと考えることがある。

児童向けの英会話学校は、今や全国で展開されているだろう。幼児クラスを持つところもあり、塾に行ける家の子供なら幼児期から外国語に親しむことが出来る。

実際に英語圏に行って住むことを前提にした英会話スクールなどあるのだろうか。

プライベートレッスンでそうした授業を行っている学校ももしかしたらあるのかもしれない。

世の中は確実に変わり、自分の様に十代前半でビジネス会話の教科書を渡される英会話学校はもうなくなっているのではないかと推測する。しかし、英語圏にこれから赴く子供たちに、国語や数学、理科社会の英語を教えている英会話スクールなどあるのだろうか。

海外に転勤する人は、40年前とは比べ物にならない程増えていると思う。
そんな家族に同行する子供たちに、少しだけでも寄り添ってあげられる英会話スクールが増えてくれると良いな、と願ってやまない。

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