【百合小説】保健室だより

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「あ、今日は浮気してないんですね」
 保健室の扉を開け、他の生徒が誰もいなかったので私は安心した。誰もいないことの方が多いけれど、やっぱり年頃の女子高生となれば心身の相談事や部活動中の怪我なんかで先客がいる場合もある。今日は『当たり』の日だ。
「もう、変な言い方しないでちょうだい。他の生徒の面倒を見るのも仕事のうちなんだから」
「そりゃあもちろん、分かってますけど……でも、やっぱり私、先生のこと独り占めしたくてたまらないんです。これって心の病気ですよね、だから先生に付きっきりで見てもらわないと……」
 私は適当なことを言い並べて勝手にベッドへと向かい、靴を脱ぎ散らかして勝手に布団の中へと潜り込む。シーツに鼻を押し当ててみたが、他の女の子の真新しい匂いはしなかった。どうやら今日は私しかベッドを使っていないようだ。
 先生はつかつかと歩み寄ってきて、呆れた表情で私の顔を覗き込む。少し愁いを帯びた先生の眉が、美しい曲線を描いて横に流れていた。
 もうすぐ二年目という、まだ若くて綺麗な女の先生だから、女子校であるこの学校の生徒からも随分と慕われている。私ももちろんそのうちの一人なんだけど、私の場合慕っているというよりも先生中毒と言った方が近かった。朝も休み時間もお昼休みも放課後も、とにかくずっと先生のことが頭から離れない。終業の鐘がなったら、真っ先に保健室に行って先生の声を聞かなければ気が済まなかった。
「七海ちゃん、もうすぐ二年生になるんでしょう? 後輩が出来て、みんなのお姉さんになるんだから……」
 先生は末尾を濁した物言いをする。それは先生の癖でもあった。ああしろこうしろとは直接言わないけど、遠回しに言いたいことをほのめかす。その奥ゆかしさもまた愛おしかった。
「でも、先生に会いに来ちゃいけない訳じゃないでしょう?」
「もちろんそうよ、先生だって、七海ちゃんが会いに来てくれるのは……その、嬉しいわ」
 そんな言葉を口にしただけで、先生はお風呂上がりみたいに顔がぽうっと上気する。恥ずかしそうに俯いて、視線があちこちに泳いでいた。
 先生の体温を確かめたくて、ベッドの上から手を伸ばし、両の手のひらで先生の頬を包み込んだ。
「ひゃっ、冷たいっ」
「ふふ、先生のほっぺた、熱いくらいです」
 保健室の中は暖かいけれど、外は随分と冷え込んでいた。冷たくなった指先に、体温がどくどくと流れ込んでくる……。
 驚いて顔を離そうとした先生の腕を、私はすかさず絡め取る。まだ少女のように繊細で柔らかい、細い枝のようなその腕。
 ぐいと力を込めて、先生をベッドの方へと引き戻す。引き戻すだけでは飽き足らず、そのまま私の方へと強く、強く引っ張り込む。
「ちょ、ちょっと、危ないわっ……」
 先生が叫び終わるか否か——その瞬間は、本当に映画みたいに目の前の映像がゆっくり流れていった。瞼がぎゅっと閉じられ、目の下にくっきりと長いまつげが浮かび上がる。白衣を身にまとった華奢な体が、徐々に徐々に角度を変えて倒れかかってくる……。
 どすん、というよりは、ぽすん、って感じの、軽い衝撃が私の胸元へと伝わってきた。
 片側から垂れた先生の髪の一房が、一度ふわりと宙に舞ってからちょうど私の顔の上に着地した。先生が身をよじろうとすると、毛先が頬の辺りを刺激してこそばゆい。
「せんせぇ、ぎゅーってしよぉ……」
 肌と肌が触れ合う距離感になると、どうしても先生に甘えて抱きつきたくなってしまう。
 返事を待つ間も惜しくて、私は先生の背中に腕を回し、足と足を絡め合わせる。たぶん制服のスカートがめくれて大変なことになっているけど、そんなことはもうどうだってよかった。
 哀しいほど非力な先生はもはや抵抗するのを諦めたようで、素直に体重を預けてくる。ちゃんと食べているのか心配してしまうほど、細くて軽いしなやかな身体。
 先生ときつく抱き合っていると、頭の中が「かわいい」「好き」でいっぱいになってしまう。何も考えられない動物になってしまう……でも、そうやって自分と先生の境界がなくなる感覚は、ここで死んでもいいと思えるほど心地良い……。
「な、七海ちゃんダメよ、保健室でこんな……」
 僅かな理性を振り絞って、先生が私の腕の中から逃れようとする。もちろん私は腕にこれでもかと力を込めて逃しはしない。
「……先生は、私とこういうことするの嫌いなんですか?」
 私はわざと意地の悪い聞き方をする。先生だって好きであることくらい分かりきっていた。
「ま、まさかっ、嫌いな訳はないけど……ただね、最近、保健室でこんなことばかりしているでしょ? そうすると、七海ちゃんがいなくても、私……保健室に来る度、身体がそわそわして落ち着かなくなっちゃうの……」
 この人は……この先生は、なんてかわいらしいことを言うんだろう。
 心臓を丸ごときゅうっと握りしめられたような感触。胸も息も苦しい。でもその苦しさは、ある種の快感を含んだ痛みだった。
 私は衝動の赴くまま先生を抱き寄せ、つんと突き出た唇に自らの唇を重ねる。何百回、何千回と繰り返しても飽き足らない、原始的な愛情表現。
 最初は戸惑い気味の先生も、次第に息が荒くなってきて私のことを強く求めてくるようになる。先生のふんわりとした唇は、何度味わっても味わい尽くせないくらいの濃厚さだった。
 もっと、もっと深く……。
 先生と私はもう、普通の接吻だけじゃ物足りなくなっていた。
 どちらからともなくお互いの口内に舌を侵入させて、中をくちゅくちゅと舌先でかき回す。普通なら気持ち悪く感じそうなのに、先生のぬめっとした舌の感触に私は病みつきになっていた。
 息が苦しくなって、一度顔を離して見つめ合う……そしてまた愛おしくなって唇を重ね合う……また苦しくなる……その単調な行為を何度も何度も繰り返す。
 先生は口の中だけでなく、頬や耳や髪の毛にも口づけをして一杯かわいがってくれた。特に私の髪がお気に入りらしく、いつものように鼻先を押し当ててふんふんと匂いを嗅ぐ。
「あら……七海ちゃん、昨日シャンプー変えたの……?」
「あ、分かります? 先生、こういう匂い好きかなって思って、いつもと違うのにしてみたんです」
「うん、私こういう香りとっても好き……それに、七海ちゃんの匂いとよく合ってるわ」
「ふふ、嬉しいです、気に入ってもらえて」
 ドラッグストアの匂いサンプルをあれこれ犬のように嗅ぎ回って、散々悩んだ挙げ句に選んだ甲斐があったというものだ。
 しかし、ちょっと髪の匂いを嗅いだだけでシャンプーの違いが分かるなんて、先生もなかなかマニアックだ。そういう細かい部分に気づいてもらえるのはもちろん嬉しいけど、同時に少し気恥ずかしくもある。
 また身体が火照ってきて、先生の肌を確かめずにはいられなくなる。
「ね、先生、もっかい……」
「ええ……」
 何度だって先生と一つになりたかった。白い肌に映える長いまつげが目前に迫り、焦点が合わずにぼやけていく……。
 先生と抱き合いながらキスしていると、世界が私と先生の二人だけしかいないような感覚に浸れる。寂しさと切なさが吹き飛ぶ至福の瞬間。先生と生徒……背徳感の中に混じり合う、甘い蜜の香り……。
 学生の身分で生意気だと思われるかもしれないけど——先生との未来は不思議と想像しやすくて、きっと卒業した後もこんな関係が続くんだろうなと、私は信じることができるのだった。(終)

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