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藤木TDC『アダルトビデオ革命史』を読んで

※2015年4月4日のブログ記事を移転しました

藤木TDC『アダルトビデオ革命史』(2009,幻冬舎)を読んだ。
機械音痴で録画すらまともにしたことがない僕が不得意な、ハード面の歴史、つまりAVにおける「産業革命」の記述が充実していて嬉しい。

僕の卒論的に興味深く読んだのは、第二章「AVの誕生」と第五章「AVの新しい波」。
第五章は、卒論で重要になるキーワード「ハメ撮り」の、誕生について書かれているので。

第二章に書かれている中で特に気になったのは以下のようなこと。
「ドキュメント ザ・オナニー」という、AV史における大事な作品があるのだけども、藤木曰く「ただ正直にいって興味直すと、構成の平板さ、カメラの堅苦しさ、女優の反応の地味さなどに、ひと時代前の映像にありがちなもの足りなさを感じたのも事実である」(p. 51)。
一方、同様にドキュメント的手法が用いられた「美知子の恥じらいノート」という作品は、「今見ても充分にエキサイティング」なのに、「発売当時の話題性はそれほど高くなく」、知名度も、「ドキュメント ザ・オナニー」と比べると「雲泥の差がある」(p. 52)。

この差は何なのか。藤木が分析するには、「ドキュメント ザ・オナニー」の名声を高めたのはビデオ商品ではなく、劇場公開されたフィルム版「THE ONANIE」だった。
映画館の巨大なスクリーンでは、テレビ的な臨場感や躍動感は必ずしも必要ではなく、「THE ONANIE」のような穏やかで静かな画がウケやすかった。
一方で、「美知子の恥じらいノート」にあるような手ブレ、急速なズームなどは小さなテレビモニターだとそれほど気にならなくても、大画面では見づらさを感じるだろう。
当時、ビデオデッキの家庭普及率は2割未満で、AVを見るのは家の中ではなく、こうした劇場だったりすることが少なくなかった。
「美知子の恥じらいノート」は、ビデオ市場の未成熟が原因で発見されることがなかったのではないか、と。

ホントかな、と思わないでもないけれども、AV空間の変容という意味では面白いと思う。
ポルノ映画⇒セルビデオ⇒レンタルビデオ⇒セルビデオ⇒動画サイトという大きな移行の中に、「ドキュメント ザ・オナニー」の例のようなグラデーションが存在するということ。
これに伴って、AVは必ずしも一人で見るものではなかったのが、個人で見るものになってくる。つまり「AV空間」の「個室化」が進んでくる。
最近ではスマホでも、アダルト動画を見るのにそんなに気にならないだけのレベルになってきているし、「AV空間」はどんどんプライベート化しているんじゃないかな。
ソフト・オン・デマンドが管理してる女性専用アダルト動画サイト「GIRL'S CH」も元はスマホ専用サイトだったし、「CINEMA HONEY」なんかは今でもスマホ専用。
女性向けアダルト動画の人気が増してきたのも、「AV空間」のプライベート化が関わっている気がする。

全体として気になったのは、AV女優史は辿れているけれども、AV男優史がごっそり抜け落ちていること。
もちろん、村西とおるみたいな、監督兼男優みたいな例はあるけれども。
これは、男優史が描けるほど、男優の技術に革新がなかったのか、それとも藤木が意識的にでも無意識的にでも書くことができなかったのか。

さて、こういうAV論の本を読んでいつも思うのは、誤解を恐れずに言えば「老害感」のようなものだ。もっと分かりやすく言えば「あの頃はよかった感」。
例えば「僕が若い頃はマルクスをよく読んでいてね……」と言われれば僕はマルクスを読めるし、「チャップリンも観ないで映画を知ったような気になられてはね」と言われれば僕はチャップリンが観られるし、「手塚治虫を読まないで漫画を語ろうなんて百年早いよ」と言われれば僕は手塚治虫が読める。
でも、「美知子の恥じらいノート、あそこからAVが始まったと言っても過言じゃないね」と言われても、僕が「美知子の恥じらいノート」を観るのは非常に困難だ。
AVのアンダーグラウンド感は漫画なんかよりもずっと強くて、そのせいだろうが、AVにはアーカイブがない。
僕が今から調べてAVの表象の変容を語ろうとしても、それには相当の蒐集能力が必要なはずだ。
だから、AV史を語れるのはAV誕生のときに18歳を迎えていた人だけだと言ってもいい。
「あの頃」を語られても、僕には反論する術がない。

穂村弘は、ある飲み会で隣の席に座った人が国立なんとかフィルムセンターに勤めている人で、その人が「映画というのは歴史の浅いジャンルですから、或る時期まで映画が好きな人間は『全て観る』ということが可能だったんです」などと恐ろしい話を優しく語ってくれた、というエピソードを書いている(「ジム・ジャームッシュとうなぎ」『世界音痴』)。

「AVというのは映画よりもっと歴史の浅いジャンルですから……」と言われても、僕はもう「全て観る」ことができない時代に生まれてしまった。
それでも、「女性向けAVというのは歴史の浅いジャンルですから、『全て観る』ということが可能だったんです」と言うことはできるかもしれない。
そのぐらいの熱意、もっと言えば偏執性がないと、僕の卒論は上っ面を撫でるだけで終わってしまう気がする。どうかな。


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