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ヒライス

小川洋子が好きで、どんな作品か人に説明するとき、まず出てくる言葉は「静謐」だ。
とにかく、しん、と静まり返っている。描かれた情景にかかわらず。あるいは、ずっと前からよく見知った場所にいるような安らかさがある。
ただ静かで穏やかなのではない。独特の頑固さや融通の利かなさを持った、「これしかできません。こういうふうにしか生きられません」という、なんというか、風変わりな人がとにかく次々に出てくる。「変わっているのはそちらでしょ」とでも言うくらい、当たり前の顔で居座っている。その尋常でない存在の可笑しさや奇妙さが、静けさと混じり合って、優しくも妖しい緊張感を生み出しているように思う。

短編集「海」は、会社帰り、乗り換え駅にある書店で買った。理由は、ページが少なくて薄かったから。たまたま本を持ち歩かなかった日に突然活字を摂取したくなって、家に積まれる大量の未読本(しかも夏に引越しした段ボールのまま、荷解きもまだだ)にたどり着くまで我慢ができない。我慢はできないけれど、とにかく遅読で読みさしも溜まりがちなので、罪悪感を軽減するために、こういうときは薄くて早めに終われそうな文庫本を手に取るのだ。

一番最初に載る表題作「海」から、小川洋子作品の好きなポイントが溢れかえっていて、駅のホームで思わずほくそえんだ。どの作品にも、かならず死の匂いがある。みずみずしく若い子どもや青年から皺の深い老人まで、ひとり残らず、今は生きていていずれ死ぬという平等な結末を漂わせているのだ。ただ作中にいるだけでこんなにも生々しく生死を背負わさているのは、小川作品の登場人物ならではだと思う。「静謐」の次に並ぶキーワードは「死の気配」。なにも生き物の生死だけではなく、すでに失われて今ここにはないもの、不在という存在、みたいなものを描く天才のひとりだと思っている。

解説の千野さんも書かれていたけれど、「バタフライ和文タイプ事務所」の読後感は「薬指の標本」と近い。生死は官能のお隣ジャンルだと思っているのもあって、小川作品にそこはかとなく感じる性的な印象から、お得意の感じですね、とてっきり思っていた。本書のインタビューで官能は一番苦手分野とおっしゃっていてひっくり返った。いや、とても上質にエロかったですけど……暴かれかたまで品が良くて……

「ガイド」に登場する元詩人・現題名屋(人の思い出に題名をつける職業)の小父さんとは、私もぜひ会ってお話ししたいものである。
「生涯もう二度と、思い出さないかもしれない記憶だとしても、そこにちゃんと引き出しがあって、ラベルが貼ってあるというだけで、皆安心するんだ」
私の思い出には、どんな名前がつけられるんだろうか。自分で考えてみたけれど、これは赤の他人にやってもらうからいいのかもしれない。小父さんのお店の上等なソファーに腰を沈めて、心ゆくまで一連のことを語り尽くして、つけられた題名がそっと耳打ちされる。名付けてもらった嬉しさによって、ラベルの貼られた引き出しを生涯撫で続けることがないようにだけ気をつけたい。安心して手放せるように、名前をもらうのだと思うから。

忘却について考えるとき、クラフト・エヴィング商會の「クラウド・コレクター」を思い出す。といいつつ、だいぶ前に読んだので断片的な記憶ですが。
忘れてしまうと、忘れたことすら忘れてしまうので、実際は空虚感もそこそこで特になにもないのだけれど。そのほかのあらゆる喪失と同じように、忘れてしまったあとに忘れてしまったことを自分は激しく嘆く気がして、忘れるのはこわいことだと思ってしまう。
解説で、小川作品に通底する、忘却・喪失されるものごとへの執念について語られている。世界中の人が、毎日なにかを少しずつその身から溢して落としたまま過ぎ去ってしまう。あとに残されたなにかの集積所のような、誰も迎えに来ることがない落とし物を拾い集めて形を与えたような小説、惹かれる方は小川洋子作品を手に取ってください。

特に脈絡はないけれど一応海にちなんでいるかな的な、しながわ水族館のクラゲを添えて。


10/29追記
懺悔するんですけど、「海」を買った日、私のカバンの中に別の本があったことをあとで思い出しました。忘却。すいません。

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