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【乙武洋匡の教育連載 vol.8】小学校教員時代、最も頭を悩ませたこと。

私は2007年〜2010年までの3年間、杉並区の公立小学校で教員を務めていた。後半の2年間は担任を持ち、23名の子どもたちを受け持つ経験に恵まれた。彼らとはいまでも交流があり、私の人生においてもかけがえのない3年間となった。だが、教員生活を送るなかで悩みもあった。

私が教師として抱える悩みのほとんどは、みずからの障害に起因するもどかしさに集約されたが、しかし3年間の教員生活で抱えていた最も大きな悩みは、障害とは一切関係がない、いわゆる“教育方針”についてのものだった。

学校教育においては、どうしても画一的な指導に陥りがちだ。すでに退職してから10年以上が経っているので現在の教育現場について語ることはできないが、少なくとも当時はそうした状況だった。しかし、これは教師を責めるべきことではない。たった一人の教師が何十人という児童生徒を受け持ち、さらには校務分掌という学校運営において必要な業務を請け負っていれば、「一人ひとりの個性を尊重する」という余裕が失われてしまうのは当然のことなのだ。

もちろん、教師だって「一人ひとりの個性を尊重する」ことの大切さを頭では理解している。だが、いざそれを実践しようと思えば、とても手間暇がかかる。たった一回の指示で全員が同じように動いてくれたほうが効率がいいし、教師への負担が少なくて済む。こうした事情から、教育現場はつい画一的な指導に陥ってしまいがちになるのだ。

そうした意味で、私は運が良かった。一人でトイレに行くことができない私には、杉並区と私が費用を折半する形で介助員がついていた。この介助員がとても優秀な方で、いわゆるルーティンワーク的なものは率先してこなしてくださっていた。そのため、私は他の先生方と比べて子どもたちに向き合う余裕を持てていたのだ。

こうしたおかげで、私は「一人ひとりの個性を尊重する」教育をできるかぎり実践することができていたのだが(具体的にどんな指導を行なっていたのかについては、こちらの書籍に詳しくある)、あるとき、友人から次のような問いを投げかけられ、私は大いに困惑することとなった。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116

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