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日本の公教育がなかなか変わらないのは、なぜなのか。

先週は、テレビのワイドショーでも取り上げられるほど賛否を巻き起こしている10歳の不登校YouTuberの存在をきっかけに、2回にわたって、日本の教育問題について扱った。

10歳の不登校YouTuberの賛否が語られる上で抜け落ちている視点。
https://note.mu/h_ototake/n/nc2533469071f

「前へならえ」を前提とする教育は、この国をどこに導いていくのか。
https://note.mu/h_ototake/n/n4ae28e870b71

本文でも書いたように、私がここで述べたことは、すでに教育関係者の間では広く語られていることであり、いまさら目新しい点は特にない。しかし、賢明な読者のみなさんなら、すでに次のような疑問を抱いたはずだ。

「それだけ共有されている課題なら、なぜ日本の教育は変わらないのか」

おっしゃる通りだと思う。だが、なかなか変わらないのにも、じつは理由がある。これもまた教育関係者にとっては新しい気づきなどない文章になってしまうかもしれないが、やはり大切な点であると思うので、今回は「日本の教育がなかなか変わらない理由」について書いてみようと思う。

「さすがにしつこい」「教育ネタで引っ張りすぎ」というご批判も聞こえてきそうではあるが、教育分野は私の最もこだわりのある分野でもあるため、お許しいただければ幸いだ。

私が考える「日本の教育がなかなか変わらない理由」は、主に二つある。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116

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