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本気を哲学する

本気でやる。

その本気っていうのは全力とか一生懸命にする。
ということで解釈されている気がするけど
本気と一生懸命はイコールなのか? 
という密かに抱いていた謎が解けた気がする。

結論を先にいうと

・パフォーマンスとは乖離している本気
・本気は感情とセット
・本気はいきなり発揮できない
・他想いの本気は個を超越する

パフォーマンスとは乖離している本気
実体験として高校サッカー選手権大会は高校生活の集大成であり青春だ。本気にならないわけがないのに、敗戦したあと何とも言えない虚無感が襲ってきた。
一生懸命にプレーしてパフォーマンスも発揮できた自覚はあって手を抜いた感覚もなければ出し惜しみもしていない。
ただそこには違和感だけが取り残された青春の記憶を思い出す。
大学4年生ではキャプテンに就任しリーグ戦の成績は5勝3分14敗の最下位。パフォーマンスはクソで決して誇れるものは何もないけど面白いことに充実感と達成感があった。パフォーマンスとは関係なくただひたすらに勝ちたい、チームを良くしたい。
そうやってもがいた1年間が本気だったのだとそう思う。
自己ベストを記録するとかハイパフォーマンスを発揮することと、本気になるということは違う場所にあることを認知することで本気について少し見えてきた気がする。

本気は感情とセット
本気を可視化する時に一番わかりやすいのは、やはり感情なのだと思う。それも抑えることができないコントロールが難しくなる感情が本気の強さなのだろう。
例えば100mを本気で走るには、ひとりでは難しい。全力では走れても本気にはなりにくい。
しかし隣にライバルがいて、負けたくないと強く思う時、感情とともに本気になる。
決してタイムがひとりの時の方が速くてもどっちが本気だったかと言われればやはり後者だろう。
やはりパフォーマンスと本気は別場所で扱われるものであることがわかる。

本気はいきなり発揮できない
本気は感情とセットであることに気づけたら、ぶっつけ本番で発揮することは難しいことがわかる。
「今から本気だすわ」と宣言してドラゴンボールのスーパーサイヤ人に変化するみたいに氣を纏って金髪にはならないのだ。(当然)
だいたいの場合これは「今から全力だすわ」だ。
本気になるには、準備が必要。
結果に対して本気だったかを評価するには、どれだけその機会において向き合ってこれたか、準備できたかが鍵を握る。結果が成功であれ失敗であれ、向き合ってきた時間に本気が存在する。

他想いの本気は個を超越する
パフォーマンスと本気は乖離されているけど、線ではなくある一点でこのふたつが交わる瞬間を知っている。自分の努力に対して本気を見いだす。とても素晴らしいスキルであるが、新しいフェーズはさらに個を超越する。それは他を想いやること。
本気でいる状態をキープすることはとても難しい。本気を維持していく唯一の手段は組織に生きることだとそう思う。チームを自分事に思い、勝たせたいと誰かをチームを思いやれる時に自分を想うよりも人は本気になれることを学んで、

謎が解けた。

そして問われ続けている。

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