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【消防士】トレイルランナー職業図鑑 #02

トレイルランニング 専門誌『RUN + TRAIL Vol.39』(2019年10月発売号)の特集は「UTMB 2019大特集」。

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それはそれは"UTMB好き"にはたまらない誌面構成になっていた中で、最後の20ページをごっそり担当しました。

その内容が和田アキ子ばりの「あなたは何している人?」こと、普段の仕事人としての顔に迫るシリーズ"トレイルランナー職業図鑑"で、そこそこ反響があったものでした。

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トレイルランナーは、ほんの一部のプロをのぞいてほとんどが普通に働く社会人でありながら、知っているようでじつは知らないものです。そのあの人の仕事場を訪ねたこの小特集を加筆修正して再掲する2回目は、消防士さんです。


佐藤千大〜レスキューモンスターの境地

■レスキュー隊員の日常

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「今から火災想定訓練を始める。『安全・迅速・確実』に」

 その声が消防署の一角に響き渡ると、辺りは独特の緊張感に包まれた。

 一般に消防士に抱くイメージは赤い消防車と白い救急車だろう。消防署の仕事は「警防・救急・救助」の大きく3つに分かれ、千大(チヒロ)の呼び名で親しまれている彼は「救助」を担う。

 その中でも最も困難な状況下で出動する“消防救助の最後の砦”レスキュー隊の隊長だ。

「私たちの仕事は多岐に渡ります。火災現場はもちろん、交通事故で車に閉じ込められた人を救助するとき、海難救助も山岳救助もそうですし、工場の爆発とか、最近だと自然災害救助もレスキュー隊の仕事です。どれも共通するのは、人命救助です」

 千大さんが所属するのは真岡消防署。正式名称は「芳賀地区広域行政事務組合消防本部」。そのレスキュー部隊は16名で構成され、8名を1グループとし、真岡市を本部とした1市4町の管轄区域を2チーム体制で24時間365日稼働している。

「1グループ24時間体制で交互に任務に当たっています。いつ出動するか分からないわけですから、高い緊張感を保つ24時間になります」

 冒頭の訓練風景は、酸素ボンベと防火服とで総量20kgもする装備を携え、2階の負傷者を救出する訓練だった。4名の隊員の動きは機敏で無駄がない。

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「常に4名で動きますが、背負った酸素ボンベは30分程度しか持ちません。それは1ミッションを30分位内で完結させなければいけないことを意味します。チームワークが全てになるので、日頃から本番を想定した質の高い訓練を行うわけです」

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■子供の頃からの夢と厳しい現実

 昔から知る彼の、すごみある本当の姿に正直、圧倒された。なぜ、レスキュー隊を志したのだろうか?

「中学生の時ですかね、母親と将来について話をしていたとき、『人の役に立つ仕事をしなさい」と言われていたんです。その頃、同級生のお父さんが消防隊員で、その姿が格好よくって、あの人みたいになりたい!と憧れたのがスタートです」

 高校を卒業すると公務員試験を受け合格。しかし、念願の消防士にすぐになれたわけではなかった。

「まず消防学校に入ります。半年間そこで訓練を受けるわけですが、肉体的にも精神的にも世の中の理不尽が全て集まったような毎日(笑)。この厳しい世界は、生半可な気持ちではできないぞ!みたいな教えを叩き込まれるわけですけど、その半年で10%くらいは辞めてしまうのが現実です」

 新卒採用した会社の10%が半年で辞めるなんて世に言うブラック企業のようであるが、実は別の意味が隠されていた。

「仕事が人命救助ですから、警防・救急・救助、いずれにせよ中途半端な気持ちで続くものではありません。でも、人には職業適正もあるじゃないですか。ふるいにかけるというか、若い人の将来を考え、合わないと思ったら辞め、もっと自分に合った新しい道を早く探させる親心のような意図もあるんです。適性が試される厳しい世界というか、それでもあの半年の訓練は地獄ですけどね(笑)」


■レスキューモンスターの誕生

 千大さんは一貫してレスキュー畑だ。もう20年にもなるが、40歳目前の今でも最前線に身を置いている。そのことを上司である石川副署長さんが話してくれた。

「この仕事はとにかく『体力勝負』です。消防士としてのピークは30代前半から半ばとされていまして、それだけハードな仕事です。彼は日頃から鍛え、真面目に取り組む。そのピュアな心と情熱は、私も見習わないといけないくらいですよ(笑)」

 消防士がその技術を競い合う消防救助技術大会というものがある。その大会で千大さんは何度も入賞経験ある実力者であり、レスキュー隊の精鋭が集まる航空部隊にいたこともある。

 彼が離席した隙に部下である若手にこっそり話を聞いた。「千大さんってどんな人?怖い?」。すると、間髪入れずに返事がきた。

「『レスキューモンスター』です。雲の上の人というか、尊敬の意味でそう思っています。みんなが憧れている存在で、もはやアスリートですね!」

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■志や経験を伝える力

 上司の石川さんはチヒロのことを話してくれた。

「入りたての若い頃から知っていますが、まっすぐな目と爽やかな表情を持ったま ま大きくなりましたね(笑)。いっさい手を抜かない姿は頼もしいです。
私の若い頃の話で恐縮ですが、救助をしたご家族から「おいくらお支払いすればいいですか?」と聞かれたことがあります。もちろん、お金はいただかず「快復されて元気に過ごされることが一番です」とお答えしました。その時に、この仕事を続けてみようと思ったことがあります。そういった志やさまざまな経験を後輩たちに伝える力が彼にはあります。
私たちは高次元でのチームワークが必要ですから、常にコミュニケーションを取り、引っ張っていくリーダーシップにも大きな期待を寄せています。緊張と緩和じゃないですが、オンとオフの切り替えも重要になる仕事です。彼にとってトレイルランはその大きな存在だと思いますよ」

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上司との立ち位置は決まっている。「センターはどこですか?」とカメラマンにチヒロが尋ね、カメラマンが指示をすると、彼はスッと自分の立ち位置を定め、静かに石川さんを促した。


■心に溜まる「澱」 と浄化

 24時間勤務の始まりは朝9時。終わりは翌朝9時。いつ出動するかわからない中で事務処理を済ませ、車両点検を2度行い、合間を見ては昼の訓練と夜間訓練を行う。勤務中の細切れな仮眠を含めても不規則な生活習慣だ。

 当然、曜日の概念はない。にも関わらず、勤務明けでさえ日中にトレイルに出かけ、時間を見つけては筋トレまで行い、トレイルイベントを仲間と主催し、遠くのレースにも顔を出す。いったい全体、どんなモンスターなんだ。

「トレイルランとの出会いは、2002年に石川弘樹さんの講習会に参加する機会があってからですね。初めは体力の向上のためにと思って取り組んでいました。おかげで消防士として肉体も精神も鍛えられました」

 トレイルランで必ず直面するトラブルは仕事にも活かされている。例えば、熱中症の初期症状や予防、適切な補給のタイミングなどだ。それは、部下である隊員たちのマネージメントにも活かされている。

「気温や湿度、発汗量などによって、このままだとヤバいぞみたいな感覚ってあるじゃないですか。若い子たちは経験が浅いから、その見極めが分からない。無理をさせて、消防隊員が現場で倒れるなんてあってはならないわけで、トレイルランで得た経験が役立っていますよ」

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 そんなレスキューモンスターに場違いな質問をしてみた。「消防士をしていて、心が折れたことはありませんか?」。彼は『浄化』という言葉で答えてくれた。

「私たちの仕事は人命救助です。使命感を持って取り組んでいます。でも、全ての現場がうまくいくわけじゃありません。正直、救えなかったこともあります。長くこの仕事をしているとそういったことが心の奥に澱(おり)のように溜まっていくんです。
そんな時に山を走るとクリアになる感覚があるんですよね。僕はそれを『浄化』と呼んでいます。その浄化が、明日からの任務をポジティブに向かわせてくれていると思っています」

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 シンボルであるエンブレムはいつも左肩にある。彼らのアイデンティティーそのものだ。

 取材時に披露してくれた人命救助の訓練は本番さながらの真剣勝負で、佐藤隊長が前に立つとピリッとする。そして、隊員たちの言葉、目線、背筋、所作。あらゆる動きに無駄がない。

  僕が知る茶目っけとやんちゃな"チヒロ"の顔は職場にはなかった。むしろ、 頼もしく、安心感さえ感じられた。

 誇りと使命感を胸に秘め、毎日訓練と出動を重ねる彼らを前にして、尊敬の念と感謝の念が自然と湧き上がってきた。

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