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夢を叶えた先にあるもの

元国連職員でノンフィクション作家の
川内有緒さんの「パリの国連で、夢を食う。
の文庫版解説を書かせていただきました。

本に掲載した解説を、出版社からの許可も得てnoteにも掲載させていただきます。(noteの体裁に合わせて改行などを調整しています)

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夢を叶えた先にあるもの

 いつか海外で働きたい――そんな夢を持ったことがある人は少なくないと思う。私も学生時代はそんな夢を持っていたことがある。いつ、どこでという具体的な計画はないまま、ただ漠然とどこか外国で英語を使ってばりばりと働く自分ってかっこいいだろうなぁ、と空想すると少しだけ気分がよくなった。夢ともいえない、ただの憧れだったのかもしれない。だけどそんな不確かな夢は、受験をしたり、就活をしたりと、流されるままの人生を送っていると、幸か不幸か忘れてしまう。そして、真剣に追うこともないまま、気づいたら未来の選択肢からは省かれていて、いつのまにかそれが夢だったことさえ忘れてしまうのだ。

 夢というのは優しいから、一度忘れたって、人生のうちに何度かチャンスをくれる。夢のほうから、「こちらにおいで」と手を差し伸べてくれるのだ。その手をがっちりと掴み、軌道修正をする人もいる。彼らは後から振り返って、夢の手を掴んだ瞬間のことを「転機」と呼ぶけれど、大抵の人は、せっかく差し出されたその手を振り払ってしまう。あるいは、手を差し伸べられたことに気づかなかったふりさえする。ずっと忘れてしまっていた夢にまた手を伸ばすのは、怖いし、下手をすれば今までに築いてきたものを捨てることになるからだ。その不安と、ほどほどの現状をはかりにかけて、ほとんどの人は夢をまた忘れることを自ら決める。

 けれど、この本の著者の川内有緒さんは、何度も夢の手を自分の意志でがっちりと掴んできた人だ。そのたびに、それまでの人生で自分が築いてきたものを、捨てているかもしれないけれど、捨てたもの以上に新しいものを得ている。そして、そこで掴んだ彼女だけの大切な体験をこんなふうに本の形に変えて、読者の私たちにお裾分けしてくれているのだ。

 彼女自身が本書で書いているように、「転機というのは、けっこう何げなくやってくる」。ノリで出かけた飲み会でたまたま運命の人に出会ったりするように、川内さんも転職しようという強い意志があったわけではなく、「転職したい気分」でノリで提出した書類が、まさかの2年後に、パリでの国連勤務のチャンスになって返ってくるのだ。この本の冒頭は、そんないきなりの夢のきざしに戸惑う川内さんの心境から始まる。

 普通なら「もう忘れていたことだし」と振り切るばかりか、状況がまるで変わった2年後に何食わぬ顔で連絡してくる組織に怒りさえ覚えそうなものだけれど、ここでも彼女は運命へのノリのよさを発揮して、さらりとパリに出かけ、面接を受け「こうしてエッフェル塔が見られただけでも、ラッキーだよね」と帰国する。

 夢を叶えられる人というのは結局ノリがよい人なのだろう。

 深刻に考え、重い決断を下して……といちいちエネルギーを使い果たしていたら、夢が叶う前に、エネルギー切れで燃え尽きてしまう。「受かっても受からなくても私の人生」。こう思える人が、夢を掴む人なのだろうし、川内さんもやっぱり、国連行きのパスポートを掴むことになる。

 その時の心境は、この本にはこう書かれている。
「待ちに待っていたはずなのに、その時感じていたのは、想像していたような喜びや達成感ではなかった。それは、人生の舵を大きく切ろうとしているという静かな興奮と戸惑いだったように思う」

 夢を叶えたはずなのに、思ったほどの喜びや達成感がない――これは、夢を叶えたことのある人なら誰もが経験している感覚だと思う。

 私自身、「いつか本を出したい」と長く抱えていた夢が、19歳にしてやっと叶った瞬間、想像していたような胸いっぱいの喜びは感じず、思ったよりも喜べない自分に失望した。そして、夢というのは叶うのは一瞬だけれどその後が長い、と途方にくれたことを覚えている。私の場合は、最初の一冊が出せたはいいものの、その後、10年以上「本がなかなか売れない」「本の印税だけでは暮らしていけない」と、「本を出す」ことと、「作家になる」ことの天と地ほどの違いを、この身で痛いほど日々受け止めることになった。

 本書でも「国連職員になる」ことと「国連職員として働く」ことのギャップに、大きくページが割かれている。意思疎通すら不満足な国で、生活のインフラを整えることの困難。新しい環境での静かな高揚の中で感じる孤独。意外と安いお給料や、理想を追いかけながら働いている職員たちの、理想とはかけ離れた現実。

 川内さんが与えられた国連職員としての初仕事は、なんと、コピー取りだったという。しかも、ファイル千冊分。「国連の職員って一体どんなことをやるんだろう?」とわくわくしながら本を読み進めていた私も、これには唖然としてしまった。しかも、断ると、まさかの理由で退けられる。(詳しくは本書の該当箇所をお読みください。なんて理不尽な理由!)

 他にも、単なる文化や慣習の違いなのか、あるいは組織としての弱点なのか、判断がつきづらい現実が、次々と川内さんにふりかかる。

 世界平和を目指す機関のはずなのに、組織内では個々人の平和や権利が意外とないがしろにされていることや、公平な機関であるために、職員の選定が実質的な能力主義ではなく、国籍でバランスを取っていることなど、理想とはかけ離れた現実が、誇張されることなく、本書では淡々と明かされていく。

 そんな中で、国籍を超えての人との触れあいが、本の中でのハイライトの一つになっている。川内さんのお父様の体調が悪くなった時に、ボスのミローシュは「出張なんかどうでもいいんだよ。人生では家族のことのほうが仕事よりもよっぽど大切だ。出張は代わりにロホンが行けばいい。君が行くところはモスクワじゃなくて、日本だ、わかった? 心配しないですぐにでも出発してくれ。お願いだから」と川内さんを諭す。

 こうやってきっぱりと、仕事人であることよりも人間であることを大事にしてくれる上司が日本にはどれだけいるだろうか。こんな上司に出会えること。そして、仕事の中で、仕事だけではない人生の醍醐味に気づけることこそが、仕事の素晴らしさの一つなのだと気づかされる。

 一方で、「一個人の重み」に戸惑う場面もこの本の中では綴られている。私用のたびにいちいち上司に報告しない。ランチタイムはどこで何を食べて何をしようと自由。宗教の行事に気がねなく参加するために「宗教の日」を指定して、休む。日本の職場ではなかなか見られない「自由」が川内さんの価値観をじわじわと変えていく様が、丁寧に本書には書かれていた。川内さんはパリで出会った日本人たちについてエッセイ、『パリでメシを食う。』(幻冬舎文庫)の中でこう記していた。
 
 "周りのパリジャンたちを見回せば、誰もが気楽に自分のペースで生きていた。派手に愛し合い、笑い、よく食べて、遊ぶことに忙しそうで、電車の遅れもカフェの店員の横柄さも気にする暇がないようだった。もちろん、一通りの罵り言葉を叫ぶことも忘れないが。
 そうか、それでいいのか。これがパリの生活なんだ。そう気づいたら、体から力が抜け、前よりも少し自由になった。それは、几帳面さと常識が幅を利かせる東京からやって来た私には、素晴らしい報せだった。"
 
 こんな心境になったのも、川内さんがパリでの暮らし、そして国連での仕事の中で、数々の経験を乗り越えられたからだと思う。大人になってから自由になることは、本当はとっても難しい。けれど、夢に向かってまっすぐに進み、価値観を変えるほどの変化を自分の中に取り入れた人だけが、その自由を手にすることが出来る。
 
 考えてみたら、もうパリに来て一年なのだった。
 早かったなぁ……。
 バスティーユの街をあてもなく歩いた夜を、しみじみと思い出す。あの時と今の自分は、いくらか変わった。もう一人でカフェに入るのも怖くない。喉に引っかけるようなRだって発音できる。パリのことは、初めより好きになったし、友人もできた。でも、その程度の変化のような気もした。
 また自分は、なんでパリなんかに来たのだろう、と思った。

(本文149頁より)
 
 ――この箇所が、私は一番好きかもしれない。大きな挑戦を乗り越えたような気になっていても、周りには見えないような、ささいな変化しか自分には起きていないことに、ふと気づく。そのせいで、夢を叶えて大きくなっていた気持ちが、きゅっと縮む。本当はそんなことないのに、一人で生きてきて、これからも一人で生きていくような孤独を感じる。

 夢を追いかけていた頃には感じなかった種類の、埋めようもない空虚感……それが、手に取るように分かり、ああ、みんな同じなんだと安心した。夢を叶え、パリ勤務の国連職員という輝かしい経歴を手にした川内さんだって、私と同じような孤独ややるせなさを感じながら生きているのだ。それを知り、少し、心が軽くなった。
 本書のまえがきはこう結ばれている。
 
 今となっては、パリで過ごした時間は、一瞬の午後のうたた寝のようにも感じます。『不思議の国のアリス』のエンディングで、眠りから目覚めたアリスが、「ああ、なんておかしな夢だったの」と言った時のように。
 
 私も、私の人生の様々なシーンを思い返す時、「あれは一体なんだったんだろう」とふと我に返る時がある。それこそうたた寝から覚めた時のように、気持ちがふわりとして、その瞬間にその場に自分がいることも含めて、自分の人生が自分の人生であることを不思議に感じてくるのだ。

 でも、こういう本を読むと、それでいいのだと思えてくる。目の前にある夢を少しずつ叶えると、自分だけが楽しめる自由の感覚が少し広がる。それを繰り返すうちに、人生はどんどんと自由に、そして楽しくなってくる。

 人生が終わる瞬間、体いっぱいに満ちる自由を感じながら「ああ、なんておかしな夢だったの」と私も思うのだろう。

 小さな自由を手に入れることが、どれほど人生にとって大きな意味があることか。読者の皆様には、ぜひこの本を読みながら、一緒に考えてもらえたら嬉しい。

はあちゅう(ブロガー・作家)

川内 有緒
パリの国連で夢を食う。 (幻冬舎文庫)

※幻冬舎文庫さんで解説文を書かせていただくのは2度目です。以前はこちらの本の解説文を。こちらの文章はウェブなどには載っていませんが、ご興味がありましたらチェックしてみてください。

【お仕事】「ハタラクオトメ」文庫本用の解説文を書きました http://lineblog.me/ha_chu/archives/40458415.html


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