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【観劇体験】舞台『ジャズ大名』KAAT 神奈川芸術劇場

【観劇記録】として観た舞台の感想をnoteに記しているが、本記事は、【観劇体験】とした。何故かは追々書いていくとして、まずは前置きを。

“語彙力がなくなる”という表現を度々目にする。
特にここ数年でよく見るようになった。自分が心酔している好きな物や人について、その素敵さや素晴らしさ故に言い表す言葉をも失くしてしまう、というニュアンスで使われているのだが、筆者はその表現を見聞きするたびに疑問に思う。
「なくなる、のではなく、それを言う人は、もともと言い表せる語彙を持っていないだけではないか?もしくは、諦めているだけではないか?」と。貶めたいわけでも戒めたいわけでもなく、単純にそう思う。
好きであればあるほどに、何かを受け止めた際に複雑な印象や感情が生まれれば生まれるほどに、その思考や想いや感覚を言葉でどう表現するか・できるのかを考えると、身震いがする。この世の、目に見えるものも目に見えないものも、自分の中の深海の奥底まで潜って潜って、真珠を探し出すように言葉を見つけ出して掴みたい。「言葉にできない」と海面から顔を出す前に、苦しくてもどんなに足掻いても藻掻いても、言葉で表現してみせたい。そのために、それをするために、生きている。いや、そうすることで生きていると実感できる。あくまで私の場合は、ではあるけれども。


本題に入る。

『ジャズ大名』は、幕末の日本を舞台とした筒井康隆による中編小説である。
1982年にラジオドラマ化され、1986年には岡本喜八監督、古谷一行主演で映画化もされた。アメリカから小藩に漂着した黒人奴隷たちが奏でる音楽に藩主が魅了され、自らも音にのり楽器を演奏し、いつしか藩全体が音楽の虜となりジャム・セッションを繰り広げていく物語だ。

2023年12月9日より、KAAT神奈川芸術劇場プロデュースの舞台『ジャズ大名』として、神奈川を皮切りに上演されており、兵庫、愛知、大阪と各地での公演も予定している。劇作家の福原充則が上演台本と演出を手掛け、藩主・大久保教義を千葉雄大が、彼に仕える家老・石出九郎左衛門を藤井隆が演じる。

福原充則氏の演出であれば、クオリティの高い舞台作品になるであろうと確信が持てる。
たとえば期待を裏切る・裏切らないというような表現は1から100までこちら側の勝手な尺度なので使いたくないが、演出家として信頼できると、いち観客として思っている。作品を通してそれがわかる。同じ作品を複数回観劇するとより体で感じられる。
とはいえ、独自のテイストがある筒井康隆氏の完成された小説を、これまた独自のテイストがある福原充則氏がどう舞台にするのかというのは、楽しみではあるが仕上がりが予想できなかった。


2023年12月10日。

神奈川芸術劇場は横浜市中区にあり、山下公園や横浜中華街からもほど近い。今回『ジャズ大名』が上演されるホールの他、大中小のスタジオ、アトリエを有する舞台芸術専用の施設で、NHK横浜放送会館との合築建築物でもある。愛称はKAAT(カート)だ。KAnagawa Arts Theater の略である。

ホールの座席数は最大約1,200席で、1階から3階席まである。

1階8列のセンターブロックより観劇した。
座席の段差は3列目からあり、ホールの横幅が比較的コンパクトなので、前方の列は見やすい印象だ。

開演。
冒頭から台詞が聞き取れず、「ん?英語か?いや日本語だよな?」と思いつつ、荒れ狂う波に飲まれそうな状況も考えれば仕方ないかと観客の自分を納得させる作業がまず必要になった。聞き取りづらいのは演者が外国人だからというようなことよりも、台詞のチョイスの問題なのではと感じたり、会場の音響の問題かもしれないなと考えたりして、ここで少し自身の期待が翳った。芝居を観劇するということにおいて、作品自体が好みかどうかやどんな内容かといったことより、“聞こえづらい”“見えづらい”といった感情や思考とは関係のない環境の問題が最もフラストレーションが溜まってしまう。
さらに序盤、他の日本人キャストに対しても台詞が聞き取りづらいなと思ったのだが、募る翳りを一気に払拭するように、まずは女中を演じる富田望生の語りがスコンと透き通るように響いた。富田氏は、とても台詞が聞き取りやすく、さらに表情の変化が老若男女問わず万人にとってわかりやすい見せ方であった。
“まずは女中”と記したように、彼女は他にも、武士、黒人奴隷の叔父であるトマス、結城四郎、村娘と、複数の役を演じていた。そしてそのいずれもでストーリーテラーの役割も担っており、さらに一貫して声も表情もスキッと雑味なく通る。台詞の演出が過剰に感じる部分もあったが(“さしすせそ”が“しゃしぃしゅしぇしょ”になってしまう武士の設定)、それは上演台本の管轄なので置いておく。
マスコットやアニメーションのキャラクターのような空気感があり、彼女の演じる役たちは、彼女を通して一本の特別な縄で繋がっていて、他のキャストとは違う次元にも一人だけ行き来できるような特殊な存在感があった。繋がっているというのは演じ分けられていないという意味ではなくて、場面ごとに演じる役たちそれぞれに、共通した使命が見えたという意味である。
意識してのことであれば、その一本の縄の存在を感じさせつつも役を演じ分けるというのは、容易なことではない。富田望生という役者の底力を感じた。

主人公である藩主のお殿様を演じた千葉雄大は、台詞のテンポ感の勘が良かった。会話の中で、「あれ?大丈夫かな」とテンポがズレそうな怪しいタイミングがあっても、言い切るまでに問題なく着地させているなと感じる。
もう少し言葉や声に緩急というか熱量の種類の変化があってもいいのかなとは思ったが、それも回を重ねると丁度良くなるだろうなとも思えた。
観客として、舞台作品の演者たちや空気感に気になる箇所がある時、「公演回数を重ねれば良くなるだろうな」と思える時と、「これは回を重ねてもこのままかもしれないな」と思う時がある。千葉氏の芝居には後者の感じがなかった。これ以降もぐんぐん良くなるだろうと思える、楽観的に捉えられる素養に満ちていた。

これまで千葉氏の芝居はドラマや映画で何度か見たことはあったが、特別な印象を抱いたことはなかった。しかし今回、「愛さずにはいられない人ではないか!」と知ってしまったような感覚がある。彼が演じる大久保教義も、弱さも強さもあり人間らしい、素直で柔軟な愛すべき殿様に仕上がっていた。それは、千葉氏自身の持つ素養、外見のキュートさや人柄(舞台に関連したインタビューを読んだ印象では、対外には視野を広く待ち多様性を理解しつつ、自己のテリトリーは堅く守る人だと感じた)が芯にあってこそと思う。


藤井氏については、過不足なく、まさに“殿に仕える”という意識を持った芝居であったと感じる。
お笑い芸人としての濃いキャラクターの印象がある人も多いかもしれないが、でしゃばらず自身の役割や立ち位置を弁えているという感じが、藤井氏本人と、役の石出九郎左衛門としての両面から伝わってきた。いや、重ね合わされた上で伝わってきたという言い方のほうが近いかもしれない。そしてまた、千葉氏本人に対してと、役の大久保教義に対しての両面に、和やかな忠誠心を抱いていることも舞台上から伝わってきた。


富田望生氏、千葉雄大氏、藤井隆氏が、キャストの中ではポピュラーな役者であるが、他の役者とその役も、それぞれが人間臭く愛すべき人々である。生バンドの演奏者含め。
メインであるとかアンサンブルであるとかそういったことは関係なく、全ての登場人物たちが人生の主役であり、泥臭くも必死に生きているのだと思わせるのは、本作に限らず福原充則作品の特徴といえるかもしれない。

今回は、個人的に他の舞台作品や媒体でも見ており思い入れがある役者として、大鶴佐助と佐久間麻由についても記しておきたい。

大鶴佐助氏は、千葉氏演じる殿様と付き合いの長い家臣、烏丸源之進を演じている。
序盤に大勢キャストが出てきた場面、彼を見て、「あれは佐助さんか?随分ポカンとした気の抜けた表情しているがどうした?」と思ってしまったのだが、その後の第一声で、“そういう役”なのだとわかった。一瞬誰かわからぬほど目の奥まで間の抜けた感じで、あまりにもリアルであった。台詞を発すると、コミカルでコメディらしいキャラクターだなと笑って見られるのだが、そのコミカルさの芯には、頭の先から足の先まで“間の抜けた人の“その感じ”で、もはや芝居が巧いとかスキルがあるとかそういったことを飛び越えたような、いや、そんなことは飛び越えてしまおうとしている表現者だと感じる。


佐久間麻由氏は、女中、千代、鯉淵四郎を演じている。
佐久間氏の出演作を観るのは、彼女が企画したソロユニット“爍綽と”での4月の舞台公演『デンジャラス・ドア』の観劇以来であった。筆者は彼女の顔立ちが好きなので目で追ってしまうというのもあるが、そうでなくてもシンプルに、「佐久間さん、稼働率が随分と高いな」と観劇中に幾度も驚くほどの活躍ぶりであった。
芝居という観点は置いておき、パンチを繰り出すようなええじゃないかの踊り、特技である一輪車でのパフォーマンス、急にバレー部の一軍女子になる仕草、火縄銃を構えて撃つ眼差し、赤いリボンで飛び跳ねたり祭りの団扇を掲げたり動き回る姿、いずれもチャーミングであった。

終盤、藩中が音楽に夢中になり、恋焦がれ心酔し熱狂し狂愛し、ジャズセッションは最高潮に盛り上がる。
数分、いや数十分、刹那であり永遠にも思えるその時間と空間の感覚は、これまで舞台を観ている最中に感じたことのないものだった。

ただ、「音楽には国籍も言語も関係ない!」とか「言葉をも超越した!」とか言うつもりは、筆者にはない。
この舞台作品やジャズセッションの時間は、“人間同士を繋ぐ音楽の素晴らしさを伝えたい、それは言葉にできない、そこに言葉は要らない”といったようなコンセプトやテーマがあるわけではないと思っている。いや、もちろんそういう意味もあるかもしれないし、そう感じる人がいてもいいと思うのだけれど。でも本質はそこではなくて、音楽に限定したことではなくて、生き物(人間や動物や植物や生きとし生けるもの、そしてナマモノである舞台や音楽も含め)の熱量、エネルギーの表現に対する挑戦がこの『ジャズ大名』という舞台作品なのではなかろうか。

福原充則作品には、いつも突き刺すように叩きつけるように生きた熱量を放つ台詞が、言葉がある。
しかし本作は、終盤は特に、言葉による表現が少ない。でもそれは、音楽の前に言葉は無力だとか敵わないとかいうことではなくて、楽器や踊りが熱量を魅せる表現のひとつの形で、その表現だけで舞台を魅せようとする新たな演劇の創造で、そしてその時間は脳が鼓動し閃光が走り身体の内に衛星が巡るような時間で、これまでにない凄まじい観劇体験だったということで。

ワンモアタイム、
もう一回、観たい。

そう思うような、今もそう思い続けているような、きっとそうするだろうという、そんな観劇体験だったということで。


この体験も思考も、誰にも伝わらなくても私はやはり言葉にしておきたいなと思って、今こうして、書いている。

ただ、誰も彼も、本作を体験するか、しないかは、二択。舞台は生き物で、今観なければもう観られない。今体験しなければもう体験できない。その二択を選択できる時間は、公演期間中だけである。


■Information

『ジャズ大名』

【東京公演】

◎公演日程
2023年12月9日(土) ~ 2023年12月24日(日)

◎会場
神奈川芸術劇場 ホール

◎料金 (全席指定・税込)
S席:8,800円 S席平日夜割:7,900円 A席:7,000円 3階席:3,500円
※その他県民割引、高校生割引、U24割引、満65歳以上割引有り

◎当日券
残席がある場合のみ開演の60分前から5階ホール入口当日券売場にて販売


【兵庫(神戸)公演】

◎公演日程
2024年1月7日(日)、8日(月・祝)
◎会場
神戸文化ホール


【愛知(刈谷)公演】

◎公演日程
2024年1月13日(土)、14日(日)
◎会場
刈谷市総合文化センター


【大阪(高槻)公演】

◎公演日程
2024年1月20日(土)、21日(日)
◎会場
高槻城公園芸術文化劇場


【原作】
筒井康隆

【上演台本】
福原充則、山西竜矢  

【演出】
福原充則

【音楽】
関島岳郎

【振付】
北尾亘

【出演】
千葉雄大、藤井隆
大鶴佐助、山根和馬、富田望生、大堀こういち
板橋駿谷、北尾亘、永島敬三、福原冠、今國雅彦、佐久間麻由
ダンテ・カーヴァー、イサナ、モーゼス夢
高田静流、入手杏奈、米田沙織、山根海音、神野幹暁

【演奏】
大熊ワタル、川口義之、辰巳光英、和田充弘、桜井芳樹、こぐれみわぞう、関根真理、関島岳郎

【公式HP】
https://www.kaat.jp/d/jazz_daimyo

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