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【観劇記録】爍綽と vol.1 舞台『デンジャラス・ドア』

2010年9月に公開された映画作品『名前のない女たち』が、筆者が佐久間麻由氏の芝居を観た最初だったように記憶している。元ヤンキーの企画単体AV女優という役柄だった。黒髪のショートカットに黒いジャケット姿が思い出せる。実際の彼女自身にはヤンキーっぽさはないが、虚勢を張ってでも立ちあがろうともがくようなその役は、意志の強さと脆さが共存し、さらにそのどちらもに吸引力がある彼女の印象と繋がるようにも感じた。

話は変わり、コロナ禍の2020年。ひそやかに、眠るまでの夜の時間に、彼女がインスタライブを配信していたことがあった。それをたびたび視聴していた。
穏やかに気負わずに、友人に語りかけるようでいて、でも少しぎこちなくもあって(インスタライブというシステムに対して)、だけれども一切飾らない彼女が織りなすゆるやかなおしゃべりの時間は、微睡のようなとても心地よいものだった。
具体的に何を話していたとかを鮮明に覚えているわけではなくても、その限られた、あまい時間の感覚はよく思い出せる。
彼女の生の芝居を観に、いつかどこかの劇場に足を運ぼう、とぼんやり考えたことも。

それが現実となったのが、2023年4月29日である。

佐久間麻由氏による企画ソロユニット“爍綽と”のvol.1公演、舞台『デンジャラス・ドア』。
作・演出は、安藤奎氏(劇団アンパサンド主宰)。
浅草九劇にて全7回公演。

アフタートークが開催される公演もあり、ゲストはその都度変わる。
4月29日の13時の回では、劇作家の福原充則氏がゲストであった。
福原充則氏といえば、2022年秋に公演された舞台『閃光ばなし』について、京都での初日公演を観劇しての記事を記している。

【舞台『閃光ばなし』が放つもの。役者・安田章大という、生きる疾走感。 】

『閃光ばなし』は、公演関係者から新型コロナウィルスへの陽性反応者が出た影響で、10月30日の東京建物Brillia HALLでの大千秋楽公演は中止となった。
筆者は大千秋楽も観劇の予定であったが、それは“忘れてもらえない”公演となった。
舞台は、一回一回がその日、その時、その瞬間だけのもので、千秋楽だから特別だとかどうだとかいうことではないが、それでも。演れるはずだったもの、観れるはずだったもの、その空間、熱量、それがどこにいくこともなく、消化も昇華もされずに、一生“あるはずだった”ひとの中に、“あるはずだったのにない”ものとして、錘のように残り続ける。

話が逸れたが、福原充則氏がアフタートークのゲストということが、さらに観劇をする後押しとなった。

浅草九劇は、全96席とこじんまりとした劇場である。ステージと客席との距離が近い。
2列目の下手側より観劇した。

まず抱いたのが、「あぁ、わかるな、こういう職場の雰囲気、姿勢、関係性」という共感だった。
リアルな手触りがあった。オフィスレディーというと、ゆるく巻いた髪をまとめて、綺麗なブラウスにシフォンのスカートでヒールで可憐に歩いて、お昼は何人かでランチに行って、というようなベタなイメージもあるし実際にそういう世界もあるけれども。世の中の職場というものは多種多様であるとはいえ、おそらく“中小企業の契約社員”の女性たちの、リアルな手触り。決して多くはない給料で、残業もして、組織に対しての憤りも諦めもあるし、それぞれに私生活も趣味も娯楽もあるし、自分の今後のことを考えたりもする。説明せずとも伝わるその手触りが、生々しくなりすぎずに、でもそこにある。登場人物各々の衣装の感じが、実際の現実のOLは思っている以上に服装がゆるい、という感じが表れていてよかった。
特に意識して作ったわけではないかもしれないが、安藤輪子氏演じるミヤビが他のメンバーよりほんの少し綺麗めなのも(とはいえ庶民的)絶妙な塩梅であった。

ダンスシーンがあるのだが、安藤輪子氏の身体の使い方が巧く、また見たくなる。
安藤奎氏が振りを考えたそう。


登場人物それぞれの距離感も塩梅がいい。
あくまで職場の同僚、という近すぎない距離が全員前提にありながら、それぞれ年齢や入社時期によって少しだけ親しかったり遠かったりする、微妙な感じが見て取れた。そして人柄も。
佐久間麻由氏演じる中尾だけが、他の人とは毛色が違う若干の異質さがある。全員が大人で社会人であり、職場の同僚という繋がりだけだからこそ、わざわざ「あの人ちょっと苦手」「なんか嫌い」という態度は出さないが、おそらく内心「変わってるな…」と思われているだろう感じ。でも本人には悪意はないし、自分の信念を、いや、信念がある自分をブレさせてはならないと思っている感じ。
そんな中尾を佐久間麻由氏が演じることに、納得感があった。やはり彼女には、強さと脆さが共存し、さらにそのどちらもに吸引力がある。
また、役柄としての見方や、芝居の上手い下手ということとは別に、“女優・佐久間麻由”が登場した時の本人の存在感と観客側の期待は、とても高かったように肌で感じた。

佐久間氏以外の出演者は、逆に、組織の中での異質さや違和感を感じさせない。それがいい。
ユウコ、坂巻、ミヤビ、アケミ、カオル、役柄を個々で注目すると全員が個性的なのだが、まとまりとして見ると調和がとれている。
それでいて会話での言葉のチョイスはウイット。
各々の人生、生活を背景に感じさせる。
ステージ上で視覚的に見えるのは、あくまでも職場のひとつの部署での世界と関係である。でも、実際にはそれが全てではない。そこにいる彼女たちは、それぞれに歩んできた人生があり、付き合いがある人間がおり、帰る家があり、楽しみにしていることがある。
でも、同じ職場に居続けることで、凝り固まってしまう見方も感覚もある。でも、誰がいてもいなくても、なにが変わっても変わらなくても、良くも悪くも組織は意外と回っていってしまうものだ。
彼女たちが生きる世界、テリトリー、それらや視野が狭くなることへの意識と無意識、そういった念として存在し得てしまったのが、あのデンジャラス・ドアだったのかもしれない。

【公演情報】
浅草九劇 提携公演
爍綽とvol.1「デンジャラス・ドア」
浅草九劇
2023年4月26日(水)〜30日(日)

【作・演出】
安藤奎

【出演】
安藤輪子 永井若葉 西田麻耶 西出結 佐久間麻由 安藤奎

【公式HP】
​https://www.sha9sha9to.com/



ここからは、作品に関係のないごく個人的な話になる。

会場に着き受け付けを終えた後、客席に向かう際に、佐久間麻由氏に「ご来場ありがとうございます」と笑顔で声をかけていただいた。とても感じ良く。
しかし、突然の“生・佐久間麻由”に、なんのリアクションもできず。きっと随分感じが悪い客だったであろうことを懺悔したい。心の中では麻由ちゃんって呼んでいます。
また、公演終了後、応援寄付の列に並んでいた際に、福原充則氏がそばにおられた。閃光ばなし何度も観劇しました、と心の中でつぶやいた。
こういう瞬間、あなたに会いにきました、と言えたならどんなによいだろうか、と、考える。考えるけれども。
会いたい人に会えた時、自分の口から出る言葉など、なんの意味も成さない気がしてしまう。なにを言っても薄っぺらくくだらなくなってしまう。そんな気がして、誰にも何も言えずに見送るしかできない。
そういう瞬間が人生で何度かあり、いつも正解がわからないまま。

ただ、自分はこうして書くことで生きている。
会いたい人に会い、観たいものを観て、感じたままを書くことが、自分自身だけの正解なのかもしれない。

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