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なぜ日本人は、すぐに悲惨な事件を忘れるのか?

喉元過ぎれば熱さを忘れる日本人

 日本人は、喉元過ぎれば熱さを忘れる、が早すぎる国民性があると感じています。例えば、11年前の東日本大震災であれだけ甚大な被害が生じ、原発事故によっても被害を受けた国民が沢山いて、今でも被災地で苦しんでいる被害者がいても、国民は「もう過去のこと」として被害者の存在を忘れている。虐待死が起きると、大騒ぎし国民が涙した凄惨な事件も、わずか3~4年経てば、国民は「もう過去の事件」として風化してしまい、今でも多くの児童虐待に苦しむ子供たちがいる(年間20万件を超えている)し、「虐待の後遺症(複雑性PTSDなど)」に苦しむ大人の被害者も沢山いるのに、社会的に救済しようという動きには、ほとんどならないのです。

 結果的に、国民が事件当時は大騒ぎしても問題解決までもっていかないので、被害者が「当事者」として声をあげないと棄民のまま救済されない被害者が続出しています。すると、「虐待の後遺症」が重度で働けなくなって生活保護に頼るしかなくなる被害者も増大し、社会的な損害も大きくなるし、親が「虐待の後遺症」が重度で適切な治療や、支援が受けられないために、「虐待の連鎖」が起きやすくなったり、貧困が再生産されたりして、いつまでも問題解決に至らない社会問題が多すぎるのです。

なぜ日本人は、すぐに悲惨な事件を忘れるのか?

 日本人の喉元過ぎれば熱さを忘れる、が早すぎる国民性はなぜか?を私なりに考えた時、おそらく大災害が大昔から多い日本列島で生きてきた日本人の気質に1つの原因がある気がしています。

 大震災の度に、悲惨な目に遭っても、とっとと切り替えて忘れる。日常生活にすぐ戻る、をしないと、災害の多い日本列島では、人間は生きられない土地だったからではないでしょうか?

 自然を怨んでも仕方がないので、自然災害は、切り替えが早くレジリエンスが高い方がいいですが、児童虐待や犯罪、DVなど人災までも、日本人は、すぐに忘れ去る、諦める、他人事、という日本人独自の民族性が悪い方向にも働いている気がします。

 大災害に対応した日本人の気質が、社会問題の改善案を真剣に考えない国民性にまで反映されている気がするのです。

 私は、20代の頃、アイヌの遺跡の発掘に、仕事で手伝ったことがあります。本州の方には、馴染みがあまりないかもしれませんが、北海道は和人がわずか150年前に開拓した土地で、元々は、アイヌの人たちが長く暮らしていた土地でした。その遺跡からは、同じ場所に、土葬されたアイヌの大人から、子供までの人骨が大量に、出土しました。原因は、大津波であることが、地層からわかると、考古学者は言ってました。

 そして、これだけの大津波に遭っても、再び、アイヌの人が同じ土地で生活を再開している痕跡があると述べていました。

 アイヌの人と和人は、ルーツが異なりますが、同じ災害の多い日本列島で暮らしてきたことは同じです。和人も、大災害に幾度となく遭い、大切な家族や自分の子ども、住んでいた家を失う悲劇が多すぎたのが、日本人です。

 私たちの祖先の縄文時代は、1万7000年も続いたわけですから、私たち日本人は、原始的な時代の方が歴史的には遙かに長いわけです。原始的な生活では、人間よりも、自然災害が、加害者のほぼ100%に近かったのでしょう。

 つまり、私たちの生活が都市化し、文明の中で暮らす現代人は、縄文時代など過去に生きてきた時代の脳の方が、まだ適応的に優勢であるものが多いため、現代社会に適応できない脳の特徴が多いことから、国民は悲劇が起きた時だけ大騒ぎし涙するけど、3年あれば忘れてしまって社会問題が根本的に解決しない、「この国はおかしい」と思うことが多発する要因の1つなのではないか?と思うのです。仮に、その民族性があるとしたら、それがあることを前提として対策していかないと、すべての社会問題が、3年経てば国民が忘れてしまい、被害者がきちんと救済されないまま放置されるという悲劇が起き続けると考えています。

以下、人間は文明を手に入れた代償として、人災で苦しむようになったのではないか?という私のブログ、2つです。ご興味があれば読んでください

縄文人くらいの原始的な生活をしていた頃の人類は、
「ネガティブ思考」が生存に有利に働いていたのでは?という仮説。

※虐待の後遺症については、以下の書籍に詳しく描いています。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。



虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!