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右脳・死亡説

〈左脳〉ばかりを強化する教育


人間の脳は、右脳と左脳に分かれています。以下の図がよく用いられるように、脳の右と左で、備わっている能力が異なっていることはよく知られています。
ここからは、私の仮説ですが、今、考えていることを備忘録として書いてみたいと思います。このテーマについては、まだ考えている途中なので、あくまでメモ程度の内容となります。※建設的なコメント歓迎します!

右脳と左脳

原始的な時代の人間は本来、右脳が優位だったのだろうと思います。音楽とか、踊りとかは、原始的な時代からありますし、今でも人間の赤ちゃんや幼幼児は、踊ったり、歌ったりするところから、自分の行動範囲を少しずつ広げていき、世界を知っていきます。人間は、生れた時は、右脳がちゃんと働いているのです。

興味深いのは、子どもが描く絵は、大人には描けない原始的な絵を描くということは、現代の子ども達でも残っている現象です。子どもほど、右脳が働いているという証拠だと思います。大人になるほど、絵が描けなくなっていく現代人が大半です。

小学校3年生の子どもが描いた絵

例えば、縄文時代などは、もしかしたら、言語ではなく、右脳の感受性で、人々は通じ合って生きていたとしたらどうでしょう? しかし、文明が日本列島にも入ってきて、言語や文字という便利な道具を人類は獲得していきました。
その一方で、右脳の能力が下がっていったのではないでしょうか?

そして、近代合理主義化とともに、義務教育から左脳を鍛えるばかりの教育を受けています。ほとんど右脳を使わない教育を我々は受けています。

一部の卓越した芸術家を除いて、大半の日本人が左脳が優位という状態なのではないでしょうか?

医者が、心の傷が見えないのはなぜか?


患者の〈心の傷〉がどうして医者に見えないのか?
といえば、単純に、右脳が死んでいるからではないか?と。
偏差値が高いということは、 左脳が極端に優位で右脳が死んでいる状態です。医者でも、右脳の能力が高い方は、患者の気持ちが解るし、直観や感受性などの非認知能力が高い傾向があると感じています。

ちなみに、HSP気質(右脳の活動が生まれつき活発な人)の脳は、ミラー(鏡)ニューロンの言葉そのままに、周りの人の脳の反応(感情・気持ち・気分)を、同じようにトレースし同調する共感性・感受性が強く現れると言われています。つまり、言語なしで、周囲の人の感情・気持ち・気分が感知できている高度な能力ともいえます。
HSP気質の人は、現代では、マイノリティですが、本来、人間は、HSP気質がマジョリティだったのではないでしょうか?

言語や文字という文明の発達は、人間が感受性などで、コミュニケーションがとれなくなっているのではないでしょうか?

言葉や文字は、高次の能力か?

人間は、他の動物と異なり、言葉を話します。言葉を話すことを高次の能力と人間は認識していますが、果たしてそうでしょうか?
例えば、イヌは、イヌ同士で、言葉なくコミュニケーションが取れています。イヌの方が、伝達手段は、高度ではないでしょうか?

物言わぬ昆虫も、植物も、人間が感知できないだけで、伝達手段は、高次かもしれません。だから、彼らは、文字や科学の発展が要らないのかもしれません。

人間も、原始的な時代は、言葉でない<高次元の伝達能力>をもっていたのかもしれません。池澤夏樹氏(2010)によると、人が文字を得たのは、人の歴史ぜんたいから見ればごく最近のことで、文字に頼って人の記憶力は各段に低くなったそうです。

文字で書かれた書籍と 、口頭伝承で代々、伝えられた神話。

どちらが、人々を救ったかといえば、おそらく口頭伝承の方が、語り手の<精神性>が強く通じ、内容以上のもの(つまり、語り手の心)が聴き手に伝わっていた。つまり、口頭伝承の方が書籍より、人を救うエネルギーがあったのではないだろうか?
文字で書かれた書籍には、同じ内容を正確に読者に伝えられるという技術が高いだけで、書き手の<精神性>を伝える力は、口頭伝承より低い気がしています。

心は、どこにあるのか?

心は、どこにあるのか?これは、現代の科学でも解明ができていません。
身体(肉体)は、現世に在り、心(精神)は、心臓でも脳でもなく、別の次元にある気がしています。心(精神)は、目に見えない別の次元にあるのではないでしょうか?

心は、どこに?

シャーマンは、現世と、現世ではない別の次元と行き来することができていた。それが、身体(肉体)と同時に、精神性(心)も半分もった人間社会だった。しかし、今の時代は、精神性(心)の次元と行き来が出来てない社会になってしまっている気がします。だから、人の心が解らない人が多い気がします。

心という字は、象形文字で、心臓が語源です。 昔は、心は、心臓にあると考えられていました。だけど、今は、心は、脳という説になってはいますが、おそらくそれも違う気がしています。

解剖学者の養老孟子氏が著書「バカの壁」で以下のように語っています。

人間同士というのは「話せばわかる」と何となく思い込んでいると思うのだが、それは根拠のない思い込みである。

養老孟子氏が著書「バカの壁」

養老孟子氏は、上記のように非常に的を射たことを述べていますが、これは言語がある前提での話です。でも、私は、言語・文字というツールを人間が獲得した時点で、失った高次の伝達能力(非認知能力で、テレパシーのようなもの ※量子力学では可能と言われている)があったかもしれないとも思うのです。

科学は変わります。人間の固定観念を科学は作ってしまっているという自覚
をもって、世界を見ていきたいです。

【追伸】
「心が傷付いた」とか、病的レベルになれば 「心的外傷」と言うけど、〈心〉がどこにあるのか?は現代の科学でも解明されていません。
〈心〉がどこにあるのか?というテーマは、世界の真相に迫る深いテーマです。量子力学の知識もいるし、近代合理主義が否定し、失ってきたシャーマニズムや、目に見えない世界への信仰などと深く関連していると感じています。
<右脳>を意識的に復活させるようにした方が、今後、目に見えない色んなことが見えてくると思います。 左脳優位が致命的になることもあるのです。
上記は、あくまで仮説ですが、この続きはまた。

【参考文献】
『魔法のことば 自然と旅を語る』著:星野道夫(2010)。

深い〈心的外傷〉という〈目に見えない心の傷〉に長い年月、苦しんでいます。詩を書いているのは、〈心的外傷〉という〈目に見えない心の傷〉は、精神医学だけでは解決できないのではないか?という結論に個人的に至った背景があります。私が、詩を書いていることと、以下の書籍が私の中では、一致していると言っても過言でないくらい関連しているために、掲載しています。ご理解頂ければありがたいです。

精神医学的な病状に関して、以下の書籍で、虐待の後遺症(複雑性PTSD)の典型的な症例としてまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。


虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!