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時候の挨拶は省いてみる(うそのある生活23日目)

3月16日 紫陽花芽吹く、晴れ

娘がいよいよ保育園から卒園となる。あっという間、と感じると想像していたが、振り返ればそうでもなかった。もちろん早く過ぎた一月もあったけれど、じりじりといつまでも時間が進まない苦しい一日もあったし、そういえばそういう日は決まってよく晴れた春の日だった。むかしからいつも、春は理由もなく苦しい。

卒園式では保護者代表として挨拶を頼まれた。「謝辞をお願いできますか?」と保育士の先生から聞かれたときには、お礼される側からお礼を頼まれるということもあるのだなと、なんだかふわふわと楽しい気持ちがした。ただ、そんなことを妻に話すと、性格が悪い、そういうとこあるよね、と嫌な顔をされる。まぁたしかにそうだけれど、でもやはりすこし不思議で入り組んだ頼み方をされたとは思う。

謝辞の文章は、うんうん唸るようにして書いた。先生へ感謝するにしても、保護者代表たるもの、自分の気持ちだけではなく、もちろんほかの保護者の思いもくまなければいけない。せっかくなのだから卒園する子どもたちにもわかるようなるべく平易な表現にしたいし、それにそもそも園でお世話になったのは先生方だけでないのだから給食室の方や事務の方への感謝の言葉も、といったふうに考えていくと文章がぜんぜんまとまっていかないし、書いた先からほんとうにこれでいいのか疑わしくなる。

そのうちに、謝辞の定型みたいなものにも疑いが現れて、時候の挨拶ってなんか気取ってて変なのでは?、みたいなことを考えだした。変でもなんでも、それが当たり前なのだから当たり前にやらねば、と思ってその場ではがりがりと書いていくけれど、次の日の朝になり、眠い目をこすりながら読み返すとまた、この時候の挨拶ってさ、となってしまう。

そんな調子でしばらく謝辞のことばかり考えていた。だから娘の友達の家族とピクニックに出かけた先でも、謝辞の文章を思い出しながらぶつぶつと呟いていた。文章はだいたいできたが、今度はそれをきちんとはっきり、伝わるように読まなければいけないし、そのためにはなにより練習するしかない。

よく晴れた空を見上げて謝辞を呟いている。すると、それを見ていた娘と娘の友達の女の子が顔を寄せ合ってくすくす笑っていた。こちらを悪戯っぽく伺い見るようにしながら、こそこそと耳に手をあててなにかを囁きあっている。こちらはなぜ笑われているのか、なにを話しているのかさえさっぱりわからないけれど、思えば、いつかもこんな経験はしたことがあった。

休み時間のこと、ひとりで本を読んでいると、教室の遠くで、女の子数人がこちらを見てくすくす笑っていた。それに気がついてそちらを見ると、すぐに彼女たちは向き直り円をつくってなにかこそこそと話しだす。なに?、と言うと、またくすくすと笑った。そうして、ひとりがなにかを言った拍子に、女の子みんなが、きゃぁ、と言ってから大きな声で笑い出す。

恥ずかしさで胸が潰れそうな思いがして、そのとき僕は、きっと象が踏み潰したパンみたいに惨めな顔をしていたと思う。そうして、自分の口が臭いのではないかと疑ったり、汗をかきすぎで気持ち悪いのではないかと心配したり、もしくは自分の性欲を実はみんな隅までお見通しなのではないかと、帰ってからも妄想したりした。

いまも、どうしたの、と娘たちに声をかけると、笑いあいながらかけてだしていってしまった。あの妄想と不安と羞恥がいまさらつよく蘇ってくるのはきっと春だからだけれど、ただ娘も立派な女子になりつつある。彼女がこれからずいずい進む人生の中ではいつか、なんの悪気だってなく、でもどこかの男の子にそんな思いをさせることもあるのかもしれない。そう思うと、見知らぬその男子には、いまから女子保護者代表として、謝りたいという気持ちでいっぱいになる。そういえば謝辞には謝罪を述べるという意味もあるらしい。ただ、彼らに謝るといっても、なにから言葉をはじめればいいのか。とりあえず、時候の挨拶は省いてみるけれど、次の言葉がつづかない。

※※※

卒園式の日を迎えて、娘の手をひいて保育園に歩いていく。ここ何日かつづけて笑われる夢を見たけれど、それは女の子からばかりではなかった。カバやキリンに口をガバリとあけて笑われたときにはむしろ楽しい気がしたが、その背中に女の子がなんでもない顔をして座っているのに気がつくと、毎回驚きで声が出ないほどになった。

夢のせいか、今日だって笑われないか不安だ。足どり重く背も丸くなる。娘が、お父さんの背中バウムクーヘンみたい、と言ったので妻と三人で笑う。正面からは青年が歩いてきていた。その青年が目の前で立ち止まり、そうして大きな声で言う、

「憂鬱そうな顔してさ!」

驚いて見ると、青年は中学生の頃の僕だった。まだ肌にシミもない。

「むかしのかすり傷に絆創膏を貼っていつまでも大事にしてるけどさ、絆創膏を剥がしたらそんな傷はもうどこにもないんだぜ」
「そうかな?」
「そうだよ、わかってるくせに、今さら思い出したりして」
「春だから不安定なんだ」
「違うね、不安定だから、春が気になるんだ」

「あんなかすり傷をいつまでも大事に取っておくなんてさ、もう家族だっているのに、そもそも大事にするものが間違ってるんだ。ほら、もういい加減、そろそろ大人になりなよ、ね」

中学生の僕にしてはずいぶん大人らしいことを言うと思ったが、思えばあれから、中学生だった僕に娘が生まれて小学生になろうというほど時間が経っている。だから中学生の僕が相応に成長したって不思議はないのだが、ただそれなら、彼の体だけはまだ幼いままというのはいったいどういう訳だろう。


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