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心地良い時間が落ちていた

ここ最近、詩を書いてみて、言葉は伝達手段ではあるけれど、どこまでも想像力を広げるものだと認識をあらためた。
目の前にいくらでも言葉が置かれているのに、なんで今までこんなにおもしろい遊びに気づかなかったのか、そんなことを思った。

なんでもそうかもしれないが、ルールを知らなければ手を出しにくい。
ざっと調べてみてもいまいちよく分からない。
自分が書いてもいいのかな。そもそもどうやって書くんだろう。
いろいろ分からないことがたくさんあった。

でも、いざやってみたら自由だった。
知っている言葉を使って文章を作り、知らない言葉を知ってまた文章を作る。一文の順序を入れ替えるだけでも全体の雰囲気が変わる。
なんなら自分で新しい言葉を生み出したっていい。

たくさんのクレヨンで画用紙をはみ出しながら好き勝手に色を塗りたくる子どものような感覚。
どこまでも自由で、どれだけ書いても終わらなくて、ずっとずっと遊んでいられる。
ひらすら粘土を捏ねて何かを造形して、また捏ねて違うものを造形する。好きなだけ、飽きるまでそれをやっていい。そんな感覚。

難しく考えないで、とりあえずやってみたら、ただただ楽しい時間になった。
言葉が生み出す可能性の広がりを感じられて、とても心地良い時間。

「アナグラム歌会」に参加してよかった。


という独り言。


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