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【生活と読書】6/24-6/30 大器晩成とは?

6月24日(土)
ハピバ!わたし!
ひとつ歳を重ねたこと以外はなんら変化がない今日が過ぎていった。
家族でPayPayドームに野球を観に行き(たまたまチケットが手に入ったから、野球がめっちゃ好き、ということではない)、焼鳥を食べ、カラオケで主に子どもが熱唱していたら1日が終わりつつあった。そんな2023年6月24日。


6月25日(日)
そういえば昨日、自分への誕生日プレゼントとしてARC'TERYXのマンティス26を買ったのだった。1つ前のモデルを仕事用として容赦無く使っているのでボロボロになってしまった。今回購入分はプライベート用として大事に使いたいな、と。

数年前から40代後半に差し掛かかり、50歳がもう目前に迫っている。昔から占いなどで “大器晩成、50歳以降に運が開ける、などなど書かれていることが多かった。若い頃は50歳なんて「老後」「遠い世界」「想像もつかない未来」だったけれど、目前に控えた今となっては、若い頃のわたしの想像力の乏しさに呆れるし、そういうつもりは全くなかったのに、若さの暴力的な部分、傲慢な部分をわたしも持っていたのだと気づいた。今はまた違った傲慢さを振り翳して生きているのかもしれない。気をつけなければ。


6月26日(月)
在宅の日。相変わらずzoom会議ばかりの日。会議ばかりをして何が解決するのだろう。
今夜は4kmウオーキング。最近は1km 10分台のペース。


6月27日(火)
先週選書をした書籍の納品・陳列作業を行う。ご希望に沿って今回は絵本を多めにセレクトさせていただいたので、ちいさな読者に楽しんでほしいなと思う。
夜は東京から来福していた会社の先輩方と飲み会。メールやTEL、zoomではよくやり取りをしているけれど、リアルで会うのは10年ぶりくらいなのかな?
長い時間のブランクもなく、わいわい楽しむことができた。次はいつ会えるのだろう。


6月28日(水)
『私の生活改善運動』(安達茉莉子 三輪舎)を再読している。
生活改善運動という運動は日本の歴史の中で実際に運動らしいが、著者はその運動とは少し違った定義で【生活改善運動】を進めている。

自分にとっての心地よさ、快、不快を判別し、より幸福な方に向けて生活の諸側面を改善していく自主的で内発的な運動

私の生活改善運動 10ページ

この本に影響され、自分の「快」「不快」に敏感になる、意識を持ち少しずつ改善をしていくというシンプルでとても難しい運動を、わたしも少しずつ続ける努力をしている。
今日は「本棚は生活必需品?」を読書中。著者が本棚を作り、本がある生活を大事に思った、というエッセイだ。

本棚が来て、本が身近にあり、繋がっているような日々が戻ってきた。
もっと、スーパーで体が欲するものをカゴに入れるように、本を選んで読みたい。私にとって、新鮮な果物を取って食べるための棚、のようなものが理想の本棚なのだと気づいた。本はビタミンであり、鉄分であり、心のサプリメントであり、日常的に摂取して心と体が潤っているうちに、いつか私の恥肉になるのだろう。
本棚は生活必需品ではないと思っていたが、そんな場所を部屋の中につくれたことは、生活をつくっていくうえで大事なことだった。

私の生活改善運動 79ページ

今夜は3kmウオーキング。えらいぞ、わたし!


6月29日(木)
午後から会社に行ったり、そこから外出したり。
謎のやる気がスパークし、今夜は5kmのウオーキング。以前のわたしだったら絶対に歩けなかった。ずっと貧血だったから100mほど歩いただけで息切れしていたわたしが!5kmも!歩けている!
わたしは10代の頃から過多月経に伴う貧血で辛かったけれど、40代になって薬でコントロールをするようになり、本当に体が楽になった。
若い方へ伝えたい、月経コントロールは生活を「快」にするために必須ですよ、と。


6月30日(金)
昨日、学校を自主休講した子どもが「今日もお休みしたい」と訴えてきた。どうしようかと迷いつつ、「イヤだったら帰っておいで」と本人に伝え、連絡帳にもその旨を記入し、昇降口まで付き添って遅刻登校。
結局早退はせず定時に帰宅し、放課後は遊びに出掛けてしまった。
夜は2023年前半お疲れ様会、と称して近所のスーパー銭湯へ。お風呂で夫に子どもの気持ちを聞き取りしてもらったところ、「得意なことがなにもない、と感じる時に学校が嫌になる」とのことだった。
勉強でも趣味でもなんだっていいから、好きなことが「得意」になるよう頑張ってほしいわ、と思うのが親心。
情緒が成長してきているなぁ、と感心した。

寝る前に読んでいたのは『Seven Stories 星が流れた夜の車窓から』(文藝春秋)
JR九州の豪華寝台列車【ななつ星】をテーマに、7人の作家が紡ぐ「旅と人生」の短編集。
ななつ星、博多駅で見かけたり、走っている様子を見かけたことはあるけれど、もちろん乗ったことはない。
『帰るところがあるから、旅人になれる』(糸井重里)は、著者が幼い頃に遊園地で乗った「おさるの電車」から始まる。列車の先頭にチェーンで繋がれている「おさるの電車」は、出発をして同じところに帰ってくる、どこにもいかない電車だった。

ぼくは博多を出て、博多に帰ってきた。そうでなかったら、いまもどこかで彷徨っているということになる。帰るところがあるから、帰ることが決まっているから、人は旅人になれるのだ。帰るところがない旅は、旅とは言えない。それは引っ越しというものだし、もしかしたら行方不明ということにもなる。

帰るところがあるから、旅人になれる 94ページ

わたしは旅があまり好きではない。どこかへ行って美味しいものを食べて初めての体験をし、素敵な景色を見ることは好きだけれど、少しでも早く家へ帰りたいと常に思っている。
帰るところがあるから、帰ることが決まっているからこその「旅」であり、わたしは「帰りたい場所」があるから旅に出ることができるのだ。


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