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11/29(水) さみしさを抱えたまま

11月29日(水)晴れくもり だんだんと寒くなる


今週は日曜日も出勤をしたのでいつも以上にだるい。休みが欲しい。体が貪欲に休みを求めている。

月曜日は出社からの会議三昧、火曜日は産休に入る方との引き継ぎで長崎方面へ。
そして今日は今週唯一の在宅勤務日。前回の日記に書いた【自己申告シート】を埋めるのに半日もかかってしまう。午後からは溜まっている事務作業を進めていく。そして明日からまた長崎出張。
枕が変わると眠れないタイプなので、できる限り宿泊はしたくないけれど仕方がない。


SNSで見かけてポチっていた『サッド・バケーション』(飯村大樹)を読んでいる。

愉快に楽しく過ごしていても、ふとした瞬間に感じてしまう「さみしさ」、生活の中で感じてしまう「さみしさ」。人はいろんな場面で「さみしさ」を感じる生き物だと再認識をさせられる。
友人との旅で感じた「心のしこり」、別れたパートナーの友人と鉢合わせをしないよう、変装をして出かけたライブ。それらの場面で彼が感じた痛みやさみしさは、わたしも感じた事がある感情だったことを思い出す。


そういえば、幼い頃から「さみしい」気持ちをいつも抱えていたように思う。父母が妹ばかりを甘やかす様子を見るのが辛すぎて、毎晩ふとんに潜って泣いていた。
友達付き合いも下手くそで、わたしと友人の間にはいつも見えない壁があってさみしかった。今でもそんな感じなので、親友って呼べる人もいなければ、知り合い以上友達未満の人しか思い浮かばない。そんな調子なので、連絡なんて取らないし、気軽にLINEや電話をしたりもしない。若い頃から悩みがあっても誰にも話さず、全部自分の中だけで消化するようにしていた。

今は夫がいるので、夫だけに心を開いているような感じになってしまっている。(ちなみに夫もわたしと似たような感じで友人が少ない)
付き纏っている「さみしい」気持ちをわかってくれる人が夫でよかった。


さみしさ、といえば、子どもの頃に読んだ本で猛烈に「さみしい!」と感じた物語がある。
松谷みよ子の『ちいさいモモちゃん』シリーズの3巻目『モモちゃんとアカネちゃん』に出てくるお話。
モモちゃんのママが死神に取り憑かれてしまい、死神から逃れる方法を教えてもらうため、ある夜。森のおばあさんのところへと向かいます。
森のおばあさんは二本の木が植えられた植木鉢を指差し、それぞれの木はモモちゃんのパパとママだというのです。
そしておばあさんは植木鉢から二本の木を取り出し地面に植えると、一つの木はすくすくと伸び始め、宿木をつけたもう一方の木は歩いて去っていってしまう。
小学生の頃にこの本を読み、さみしい感情が襲ってきたことを覚えている。

「でもおまえさんは、やどり木にはなれない。だからしかたがないのさ。」

『モモちゃんとアカネちゃん』132ページ

このエピソードは作者の松谷みよ子さんが実際に体験されたこと(離婚された)がベースとなっているようなのだけど、児童文学のなかで、パパとママが別れてしまった事がサラッとわかりやすく表現されていて凄い。大人になった今読み返してもさみしさに包まれてしまう。
余談だけど、ちいさいモモちゃんシリーズは子育てをしながら働く女性に読んで欲しいと常々思っている。


さみしさってなんだろうな。理解がある夫がいて、甘えん坊の子どもがいても「さみしい」気持ちがゼロになることはないし、ゼロになる日は永遠にやってこないだろうと確信をしている。これからもさみしさを抱えたまま歳を重ねていくのだろうね。


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