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牧羊とは撲羊だと思うこの頃

zoomでもいいからと「牧羊訪問」の予定をがっつり聞かれた。
集会前の方がいい。五分くらいの時間であっというまに終わるからだと、たかを括っていた私。
朝、八時半からに予定を組まれた。
一時間はやるつもりらしい。仕方ない。面倒だが仕方ない。

当日朝、余計なことを話さないように気をつけたいとメモを取る。
●集会に行かない理由。
●奉仕に参加しない理由。

何を聞かれても同情心を買うように話さなければいけない。
自分の体調やメンタル不調を伝えてはいけない。
少しでも体調やメンタル低迷を伝えたら、成員から勝手に精神病扱いにされてしまう。それだけは避けないといけない。あやつら、上から目線が得意だ。なんなら信仰の欠如というレッテルよりも、精神が壊れた可哀想な人と見て、優越感を感じたいのだ。

真実は、サタンだ神だという束縛から自由にされて、離れた多くの人は平和と幸せを味わっているのだから。(笑)

こういう時、一番いいのは、家族の世話で忙しいということを言い訳に使う。
そうすれば、「あなたの父と母を敬いなさい』『夫を愛し、子供を愛し、家事に勤しみ善良で……」「自分にして欲しいことを人にもしなさい」「受けるより与える方が幸福である」を実践しているという事を褒めてもらえるから。

実際、私は夫と夫の親、自分の親の介護はしていない。けれど病気であり、定期的に様子を見に行っていることは事実だから、良心を痛めることなく言い訳に使えた。

長老はこういう状況が大好きである。なぜか? 本人が病気ではない。クリスチャンとして責任を果たしている。必ず終わりが来る試練だと捉える。ゆえに巡回監督に不活発の理由を話しても咎められない。からである。

地元の長老は優しい。信者一人一人の家族構成と状況を知って、そこで起きる問題も考慮している。しかし、巡回監督が数字だけ見るので、大変なことになる。

「牧羊訪問」が羊を撲る訪問に変わる。会社組織と変わらないシステムによって、開拓者の数だの奉仕時間のことをグダグタ言われる。

開拓者になれないのなら、寄付や年配者の送迎、王国会館の清掃、訪問講演者の世話を要求してくる組織。遠回しに何度も何度も要求して来る組織。

今は同情しながら聞いてくれる長老。

この言い訳も期限付きだ。今度はいつ撲羊訪問に呼ばれるだろうか?

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