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自分で決断する。自分で好きなようにやってみることの大切さ。紫陽花を描く。

紫陽花が描きたいが紫色はない。

「自分で決めてみよう」とか「好きなようにやってみよう」とか言われることがあるんだ。

ほんとに困ったものさ。
一体全体なんでわざわざ僕を突き放すようなことを言うんだろうね。

・・そうだね。たとえば、たまに絵を描きたくなったとするよね。
紫陽花を描いてみようと思い立つ。まあライラックでも、ラベンダーでも、スミレでも、藤の花でも構わない。

目の前には絵の具はあるんだけど、紫色の絵の具がどうやらなかった。このままじゃ紫陽花が描けない。
そんな時君はどうするのかな。

手っ取り早いのは、いつも助けてくれるあの人に頼ることかもしれない。

そうして「じゃ、ホームセンターに行って絵の具買ってくるね」と言ってくれるのを待つ。

なんとも簡単で楽な話だ。なにせ君は何もしなくていい。

でもさ、あの人はいつでも傍にいるもんなのかい。
そして、あの人はなんでも叶えてくれるもんなのかい。


お父さんや、お母さんでもいずれは離れていくもんだ。
君のあの人だってずっと傍らにいるもんじゃない。

だとしたら、紫陽花もどうにか一人で描けるようになりたいものじゃないか。

そうなると「自分で決めてみる」とか「好きなようにやってみる」ってのは創意工夫で紫陽花を描くためにはやっぱり必要だよね。

あとで楽をしたいから選択と判断は自分でする。

生きる上ではもっと大変だ。
絵を描くだけで人生渡れるなら苦労はしない。時には命に関わるような失敗が許されない時もでてくるかもしれないだろ。

別にロシアンルーレットみたいに命が懸かるもんじゃなくても、

〇〇大学にいきたい。
〇〇企業に就職したい。
〇〇さんと結婚したい。
車を買いたい。家を買いたい。子供が欲しい。

自分で判断する。自分で選択する。そんな機会は山ほどあるさ。

人の認知には限界がある。それでもこれだけでてくるんだ。
君は君の人生を生きる。僕の知らない決断の機会は他にも山ほどあると思うのが自然じゃないか。

そうそう、そういえば先日お盆のお墓参りにいったんだ。2時間で帰ってこれるつもりだったのに3時間半もかかったよ。

予想だにしない。考えてもみなかった。そんなのは人生につきものなのかもしれないね。

そんな中でも大小決断を迫られる。
だとしたら、そんな経験は早いうちからたくさんしておきたいってのが人情ってもんさ。

僕が他人にアドバイスするかはともかくとして、生き方として、選択と判断はなるべく自分でしたいものだね。

人生の肝心なところで、失敗できないと怯えながら、頭を悩ませたくないからね。経験を重ねておけば選択の幅も拡がるだろ。

後に溜めるとめんどくさくなっちゃうからさ。
あとあと楽をしたいんだよ。

試行錯誤で得られる紫陽花の書き方と生き方。

それにね。解答をもらわず試行錯誤するってのは案外発見もあるもんなんだ。

要は、紫陽花を描きたいだけだろ。

水色の紫陽花だって、桃色の紫陽花だってあることに気付くわけさ。紫色の画用紙に描くとか、赤と青の絵の具を混ぜてみる、なんてのもいいかもね。

自分の知識と知識を組み合わせて、どうにかしようと頭を悩ますわけさ。意外と発見もあってまさに知の探索ってやつかもしれない。

知と知の組み合わせが新しい知を生み出す、というけれど、もしもすぐに誰かに解答をもらったならば、こんなの一生手に入らないんだぜ。

知識が増えて、認知が広がる。
そうして、人生の選択肢が増える。

たかが紫陽花、されど紫陽花。
いろんな知識が組み合わさって、全て君の知識と経験になるんだよ。肝心な時にそれが役に立つ。

だとしたら、試行錯誤も悪くはない。
試行錯誤の経験が、転ばぬ先の杖になってくれる。
誰かを頼るとしても、試行錯誤の後でもいいんじゃないかな。

だからさ。自分で決めたり、好きなようにやってみて、まずは自分を育てよう。そういうことさ。

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