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青い音色を聴く(アガパンサス)

最近になってブルーレイチルドレンという言葉を知った。
1970年以前に生まれている自分はこの世代だ。
特徴が該当するものが多く、少し前まで感じていた生き辛さだったり
現実社会への違和感ってこれだったのかと妙に納得した。

例えば、人や物事のネガティブな感情や思考を感じ取ってしまう。
自分のことを好意的に思ってくれる人には割と鈍感。
だが、わずかでも敵意を持っている人には敏感。
知り合って意気投合したつもりになっても
相手の意識の中に小さなトゲが生えてくるのがわかる
自己顕示欲、承認欲求が含まれた言葉を投げかけられることが増える。
勝負すれば『勝てる相手』だと確信するのだろう。
社会的、常識的な評価として。
自覚があるのかないのかは不明だが。
他者との関係を上下や勝ち負けとして腑に落としたい気持ちは謎。
なので勝利のファンファーレを鳴らしたなら
満足して勝ち逃げしてほしいくらいだ。競う気は毛頭無い。

その様を俯瞰する自分がいる。
自己の精神状態をニュートラルなところに置いておきたい。
視点が冷めていくのがわかると同時に繋がりが褪せる。
温度と色彩を無くしていくとそこには居られない。
靴擦れが出来た靴を履き続ける気がしないのと同じだ。
と、私は思っている。
なので脱ぐ。
誘いをやんわりと断り続けて離れていくことにしている。
我儘な人だと思われようと気にならない。

自分の立ち位置は誰とも同じでないから。
私は私の世界の中にいる
勝負するのは、というか負けたくない相手は自分。
重くて落ち着かなさを感じてしまう不安や恐れはどこにあるのか?
突き詰めて原因を見つけてそれを解消する。
晴れやかな気分になれたなら、私は自分に勝てたと思える。
難しく考えることはない。
単に掃除してゴミを出すだけとか、窓を開けて部屋に風を入れるとか、
出かけるのが億劫ならベランダでほんの数秒日光浴とかでも良い。

詩を朗読するのも気に入っている。
今はウイリアム・ワーズワースの『水仙』。
好きな部分だけを下記に引用しておく。

谷を越え山を越えて空高く流れてゆく
白い一片の雲のように、私は独り悄然としてさまよっていた。
すると、全く突如として、眼の前に花の群れが、
黄金色に輝く夥しい水仙の花の群れが、現われた。
湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に
吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。
    岩波文庫『イギリス名詩選』より 平井正穂訳

この詩を朗読すると「人生ってそんなもの」と思う。
彷徨っていたって突然風景が変わることがあるんだ。
それも予想出来なかったような好転とか。

ブルーレイチルドレンは青いオーラだそうで、
私も理由もなく青が好きだ。
様々な青。
自然から感じ取る青はどれをとっても同じものが無い。
空の青、海の青、花の青、光の青、etc、、、
与えられる青の多さに驚くくらいだ。

目を閉じて耳を澄ませると聞こえる自分の鼓動。
かすかな呼吸の音。
それが私を落ち着かせる。
自分の中にある音色。
現実と対峙して恐れや不安がやってくると
私は自分の青い音色を聴く。
いつかは終わりが来る。
だからこそ時折耳を澄ませてみよう。
私の中から生まれる音楽は鳴り続ける。
その時が来るまで。

生き辛さや違和感を抱えて苦しいと思う人に
頭で考えるのをやめて
自分の中の音色を聴いてみて欲しいと思う。
それは「生きている」という声であり、
「生きていたい」という声でもあると思うから。
自分に対する愛おしさが生まれると思うから。
たとえ一瞬であっても、
その積み重ねが年月を紡いでいく実感をいつかは持てる気がするから。

タイトルの画像はアガパンサスの花。
snafuさんの作品を使わせていただいた。
花言葉は「恋の訪れ」「知的な装い」「ラブレター」「優しい気持ち」「恋の季節」「誠実な愛」。 
アガパンサスの名前が由来だそうだ。
ギリシャ語の「アガペ(Agape)_無償の愛」「アンサス(Anthos)_花」が組み合わさったものとのこと。


自己紹介的な初めての記事で書いたが
私の世界は幼い頃から積み重ねて出来上がってきた。
知ることは好きだが争うことに興味が持てない。
というか非常に独特な環境で育ったが、
今で言うと機能不全家族に価するものでもあった。
だがそれが私の根っこを育んだ。
それについては後々書いていきたい。

では、また

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