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自己紹介②-2(中学生編の続き


前回からだいぶ間が経ちました。
①小学校までがこちら

②中学校までがこちら

前回、中学校でいじめっ子に対して、みんなが見ている中、授業中に暴力でやり返してそこそこ大きな怪我をおわせた。

この続きを書こうと思う。

結論から言うと、私の進学先はそのまま中高一貫校の高校部でした。


黙認された公然のいじめっ子がいじめられっ子にやり返された、という構図であったとはいえ、色々な所から怒られた。
所謂、厳重注意だ。

当時の自分は別に高校は違うところに行って、勉強本気出せばどこかそこそこの大学に行けるだろう、と思っていたので、きちんと謝ることもせずに不貞腐れた態度でいた。
「どんな理由があっても暴力はいけない」、という教師にも、世間体のために謝らせようとする、親にも嫌気がさしていた。
「どれだけSOSを出しても黙殺したくせに何を今更」
そう思っていた。

「もうこんな学校やめたい」
、と思っているのにやめることすら許されない。
本当にイヤでたまらなかった。

当時、心の底から唯一謝りたいと思っていたのはボクシング部の同期や教えてくれている先輩やOBの方たちだった。
ボクシング部に所属する者が授業中に暴力を振ったのだ。こればかりどんなに怒られても仕方がない。
そう思って謝りに行った。

「こんな暴力事件を起こしてしまい、申し訳ありません」

この件で本気で悪いと思って謝ったのは、この場面だけだ。

先輩やOBの反応は想像を超えたものだった。

「いや、いなまさにも闘争心あったんだね、怒りの感情があまりないから向いていないとおもって心配だったんだよねー」
「えっ、そんなクソヤロー、◯してやればよかったのに、手加減しすぎでしょ」
「なんだよ、やるなら徹底的にやれよ」
「普段大人しいヤツ怒らせるとこうなるから、お前らイジメとか絶対するなよ(他の部員に対して」

周りから否定される私を変に腫れ物に触るでもなく、居づらくならないように、いじってくれた。本当にありがたかった。

因みに、怪我を負わせたいじめ主犯格の家にも謝りに行くことになった。親に連れられて。

正直、あまりその時のことは覚えていない。

覚えているのは、

・相手からは会いたくないと拒否されたこと
(めちゃほっとしたのを覚えている)
・向こうの母親は温和な対応だったこと
(ブチ切れられたらいじめられたことを全部ぶちまけるつもりだったけど、不発だった)
・家がものすごく立派で明らかに大金持ちなんだなろうな満たされた家庭なんだろうな、と何かすごく引け目を感じたこと
・こんなに恵まれた環境なのになんで卑怯ないじめをするのだろうか、という疑問

因みに事件以降、いじめ主犯格と話をすることは一度もなかった。
(3年間高校卒業するまで一緒の学年だったから、きっと近くにならないように大人たちが配慮してくれたからだと思う。)

そして、いじめそのものもなくなった。


このことを通して、
今の私を作っている価値観がある。

・いじめに遭わないようにするにはナメられないようにすることが不可欠
→筋トレしよう、格闘技やろう、仕事バリバリになろう
・いじめに遭ったら反撃してもいい、大勢からいじめられるなら主犯格が1人のときに徹底的にやり返す
→「暴力反対」は暴力振るわない人にだけ適用される言葉。いじめを受けている人に対してそんな救いのない言葉を浴びせる人間を信用する必要なし。
・それでも止まなければ逃げてもいい
→命大事に。死ぬくらいなら全て捨てて逃げても構わない。
・逃げたくないなら反撃する気力がなくなるくらいやり返す
→やり返されない無料の娯楽だと思うから、いじめっ子はつけあがる。善悪を説いても意味なし。自分に危険が及ぶ覚悟を持っていじめをするやつはまずいない。
・親や教師などに相談しても解決できないことがほとんど
→もし息子からそういう目にあったら、大人の闘い方で相手の家族ごと潰すつもりで闘う。全力で守る。

世間的には決して褒められた考え方ではない。むしろこんな毒々しい表現をよくも書いたものだ。

私はいじめをする人間の「人権」など配慮する必要はないと思っている。少なくてもいじめられっ子がそこから抜け出すための場面においては、絶対に。

「話し合いで解決しよう」とか、「先生に相談しよう」なんて、お花畑なきれいごとだと思っている。

それで解決できるなら、なぜこんなにたくさんいじめによって命を断ってしまう人がいるのだろうか。

本当の本当にキツい局面にキレイゴトで話をすることは、言葉の暴力に等しい。
いじめられっ子が求めていることは、事態の即解決。
時間をかけて平和的な話し合いなど寝ぼけたコトをしている暇はないのだ。


とりとめない感じになりましたが、この後、高校編に続いていきます。
ぼちぼち気が向いた時に書いていきます。

大人になる前の一番きつい時期は中学校時代だったから、多分これから前向きに書いていくはず、です。

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