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心地よいと思う社会

特権の象徴のような箱根駅伝を、結局今年も見た(往路)。
つい1カ月くらい前に見たNAHAマラソンを思い出しながら。
どちらが好きか、という話で、それはどんな社会を心地よいと思うかという話と同じなのかもしれない。

特権のある人だけが出ることができるレース

箱根駅伝は、ものすごく同質性の高い競技者が、命を削って走るイメージ。炎天下の甲子園で選手生命縮めているとしか思えん球児の姿とダブる。

男性で、関東甲信越(山梨が出ているからそうだよね)の大学生でなければ出場の権利はない。その、箱根に出る可能性のある関東甲信越の大学の陸上部か駅伝部に入るために、すごい時間をみんな過ごしてきていることも想像に難くない。それが許される環境にいた人たちだけに開かれる門。

今年は怪我などもあったそうで4区を走った、東京国際大学4年のヴィンセント選手を始め、毎年ケニアなどアフリカからの留学生が華麗な走りを見せてくれる。留学生たちのプレッシャーも半端ないだろうなと、想像すると震える。結果を出せて当たり前という視線の中で、言葉も文化も何もかも違う日本という、外国人にやさしいとは言えない国で、自分の体だけが頼りという状況はものすごく怖いだろうな。

自分で決めて出られるし走らなくても参加できるレース

NAHAマラソンは、属性関係なく目的も人それぞれで参加する自由なレース。沿道のお客さんやコース沿いの地域の人たちも、思い思いの食べ物飲み物応援の仕方で参加できる。足が疲れたランナーにエアーサロンパスみたいなスプレーしてくれる地点すらある。

働いてお金を稼いで生きていくという道を走っているけれど、怪我や病気、モチベーション何らかの理由で走れなくなったり、走っている途中でお腹が空いたり、リタイアしたりしても、それはお互いさまだから、いったん歩いたり水飲んだりしてまた走ってみて。ダメならやめても怒られないから。
そういう、走り続ける、活躍し続ける、稼ぎ続けることを強要されない社会のイメージとダブる。

私が心地よいと思う社会

誰が出ても出なくてもいい、どんな格好で走ってもいい、人の体に無理させない気象条件で走れる、そういう社会の方が、私は好きだな。

今年の箱根駅伝は、たぶん復路は見ない。

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