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先頭に立つ

先頭に立つ

1980年に、ワシントンD.C.郊外に、夫の仕事の関係で、日本から越してきた。

娘は、我々が最初に借りたアパートの近くの小学校に転入したが、一年後、 古い一軒家を借りて再度引越しをした。  

夫の母親が、敬虔なカトリック教徒であるため、夫の希望で、10才の娘をカトリック系の学校に転校させたのだ。

新聞社勤務の夫は、学区の特色などを調査をして、地域を選択の上、アパートを選んだ。 

夫は、新聞社の所在地であるワシントン、DC
の東側外れまで、ワシントンD.C.の西側外れにある、メリーランド州のベセスダから通勤のため、車を走らせた。

娘は無事、米国流小学中学が隣接する、私立のカトリック教会が経営する学校を卒業した。

その少し前の夕方、地元の新聞で見つけた広告を頼りに、 売主が直接広告を出していた売り家を見に行った。

不動産屋が間に入らない事で、少し安上がりになる可能性があった。 

海軍病院の北側近くにある売り家で、海軍医とその家族が住んでいたが、転勤の命令が出たので、家を売る事に決めたそうだ。

始めは、私が一人でその売り家を見に行ったが、家の持ち主がとても親切に、家の中を見せてくださった。

翌日は、たまたま土曜日で、仕事が休みである夫と一緒に再訪した。 

米国人同士、直接の交渉で、話はトントン拍子で進んだ。

新しい勤務地に行くのを急いでいる家の持ち主 と、アパートや借家住まいが合計5年も続き、そろそろ持ち家を持ちたいと思っていた我々。

両者の値段交渉もスムーズにはかどり、やっと、我らは銀行から借金をして、その中古の家を購入した。

1971年から5年ほど所有していた家を、 日本滞在中、貸していたので、それを売却して頭金に当てた。 

私の通訳業もその頃は大分収入も安定し、自宅を購入しても、生活が成り立つ目処は立っていた。

その新居から、娘は学区内にある公立高校に通い始めた。 

夫の国であるアメリカで、私が率先して、家を購入、「通訳業務にもっと力を入れよう。」と、心の中で決心を固めた。

仕事をしている内に、内面から自信が湧いて来たのか、自分が先頭に立ち、自宅を購入するために、立ち働き始めていたのだ。

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