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感謝

感謝

近くの小さな公園は、東側に割と高い建物が立っている関係で、午前中は日陰になっていて過ごしやすい。

若い母親達と、小さな子供達が、野外の空気を楽しんで遊んでいる。 

早朝散歩の帰り道、時々寄って、公園のベンチに座って見るのも楽しい。

赤ちゃんが初めて立ち上がり、一歩を踏み出すと、周りの大人は嬉しそうに手を叩く。

それ以来、大怪我か病気になる以外、 人間は毎日程度の差こそあれ、両足を駆使して生活している。

いわゆる、人生の大方の悩みも経験し終わり、 平穏な日常が続いている幸せな人間であるが、最近は、とみに両足の働きに感謝する気持ちが強い。

日本の医者、西洋の医者も異口同音に、高齢化社会では年と共に、「歩く事こそが、社会経済の節約にまで密接に繋がっている。」と、言う。

私もその意見に賛成で、実行に移している一人だ。 

公園の母親達同様、私も、娘一人ではあるが、 子育ての経験があった。

夫と子供がいなければ、 経験できなかった、「貴重な経験をさせていただいた。」と、感謝の気持ちで一杯だ。  

子育てを通して、心の中で、自分の子供時代を少しは追体験をしながら、より客観的に、自分の子供時代を振りかえる時間を与えられる。有り難い。

その上、自分が親になる事で、 私が子供だった時の、親の無数の態度なども、より冷静に振り返り、子供の目ではなく、時代は違えど、大人同士として、落ち着いて再評価する余裕も与えられる。

そのような意味でも、運良く子供ができ、長い間、核家族生活を満喫できた我が人生に感謝する。

当然の事であるが、 多分、子供達のそれぞれの父親は職場で、家族の収入確保のため、働いているのだろう。  

幼い子供は、 側に母親がついている事で、安心して育つ側面がある。

私も、娘が5歳になるまで、 大学生兼主婦業に専念、娘と出来るだけ多くの時間を過ごすようにした。 

当然、我が夫は毎日会社に通い、我が家の収入源になってくれていた。 ありがとう。

最初の娘の日本語教育は自宅の食卓で、教材を日本の親戚に送付してもらって、始めた。

運良く、日本より年齢差別も、性差別も少ない米国生活が長く、夫が私の就職をも支援してくれる状況であったので、徐々に社会に復帰、専門の仕事につく事ができた。

昭和17年生まれの日本女性が、世界中を飛び回る国際会議通訳として長年働けた事に、心から我が家族と米国に感謝したい。


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