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「いつもは道端に転がってる」



ジョゼフの目は、青白いパソコンの画面に吸い寄せられた。


「見たいですか? いきますよー」

「さっさとしろよ、ここは漫喫だぞ。時間取らせんな」

 牧師は辛辣に言った。

 漫画喫茶の中だったので、声は少々抑え気味だった。


 映像は山梨側から湖畔を挟んで撮られた、タイムプラスだった。5秒に一回といったところか。


 奇妙な映像だった。

 大学生の映した映像には、溶かしたガラスのように柔らかそうな夜空が、富士山に向かって垂れてきている瞬間が映っていた。


「すげぇ」

 ジョゼフと牧師は、大学生の座るソファーの背後に回って男の膝にあるパソコンを凝視する。

 大学生からは、何故かポップコーンのような匂いがした。


「まあ、これじゃあ、垂れてきた空の先端に〝吸い込まれた〟って感じに近いっすよね、夜空に」

 「ぐわぁーっと」と言って、大学生は大袈裟に手で空中を掴んで、持ち上げるフリをした。

「馬鹿な」

 ジョゼフは繰り返される15秒ほどの動画を、食い入るように見た。

 グイッと画面に顔を近づけると、大学生は顔をずらした。

「UFOっすかね?」

 悪戯っぽく大学生ははしゃぐ。

 たしかに、夜空がまるで水飴のように垂れている。富士山の山頂に向けて、落ちてきているように見えた。その垂れた夜空の先に、ボロボロと崩れた富士山が吸い込まれていっているように見える。

「アホ吐かせ、コラだろ?」牧師は笑う。 「フェイクだ」

 バカにしたように言った。

 だが気になったのか、牧師も画面に近づく。

 大学生は行き場がなくなったのか、首をすくめた。

「でも、あの日に投稿された動画ですよ? その日の午後には全部消されたけど、オレは取っといたんです。」

 「たまたま」と、誇らしげに言う。


「お前これ拡散しないの?」

 牧師が聞く。

「しても消されますもん、すぐ。陰謀ですよ」

 ヤバくないっすか、と男は画面を指差す。

「中国みたいに監視されてるとか?」

「まぁ、そっすね?」

 んなわけねーだろ、と牧師が大学生の頭を叩くフリをする。


「なあ、ジョージ? お前見たのこんなんだったか?」

 言葉を失う。

 ああそうだ、とは言えなかった。

 あの日見た場面にそっくりだ。

 正にこんな感じだったのだ。

 あの日、こんな風に身体が、空に


「ジョージ?」


「あ、あぁ、フェイクっぽいな」


 身体が宇宙に、浮いたのだ。


 嘘じゃない。本当だ。

 ジョゼフと妻は空に浮いた。

 妻だけが、富士山と一緒にバラバラになって、宇宙に吸い込まれていったのだ。

 でも、誰も信じてくれない。

 自分で自分のことも、本当は信じていない。


 牧師がジョゼフに、呆れたような視線を向ける。

「あのー、あなたはもしかして神父さんですか?」

 大学生は暫くふたりを見渡してから、興味がてらに質問してきた。

「牧師だよ」

「違いがわかりませんけど」

 大学生は興味津々だ。

 さっきから、牧師の襟カラーの白に目がいっている。

「カトリックは神父、プロテスタントは牧師」

「ほほう」

「ミサがカトリック、礼拝がプロテスタント」

「なるほど、やっぱりわからないっすね」

 ははっと、大学生が笑う。

「別に日本じゃどっちでもいいさ。おれの所には仏教徒のやつも神道のやつも来るから」

 病院が近いからな、と牧師は意味ありげなことを追加してつぶやいた。


 なんて適当な男だ、とジョゼフは思った。

  牧師の手が、ポケットの上を這っているのが見える。

 煙草を吸いたいのだろう。


 そんなことはお構いなしに大学生が口を開いた。

「神さまってなんなんスかね?」

「おい、一神教の話とかすんなよ、ややこしい」

 牧師が首を鳴らす。

「いやー、実はオレ、いま学校で単位落としそうなんすよね。だからちょっと牧師さんに祈ってもらおうかなと思って」

 単位貰えますようにって、と大学生はにこやかに言う。

「俺は祈らねえぞ。授業にでろよ」

 牧師は面倒臭そうに吐き捨てた。

 それでも大学生はなんとか食い下がる。

「オレだってちゃんと出たいんですよ。だけど大事な授業の時に限って、寝坊したり、腹下したり」

 不可抗力っすよ、と大学生は嘆いた。

 キャップの下から出る茶髪が、しょんぼりしたように見えた。

 面倒臭くなったのを隠しもせず、牧師は適当に胸の前で十字を切った。

「はいはい、君が腹を下さず、寝坊せず、今後全ての授業に間に合い単位が取れますように。アーメン」


「あざます」


 大学生は嬉しそうに頭を下げた。そして、「因みに、神さまって何すかね?」とまた聞いた。

「おい、またそれ」

「ここで会ったのも何かの縁じゃないすか。次の論文で〝 量子力学と人の祈りによる未来変化と二重スリット実験 〟について書くんで神とは何かを、なにとぞこのボクにご教示ください」


 何だそれは、初めて聞く組み合わせだな。


 ジョゼフは2人の成り行きを見守りながら、さっきの映像のことを考えていた。

 神がどうなどと言う話は、今はどうでもよかった。

 頭から排除したかった。


「溺れた時に掴まる木の枝だ」

 それでも、牧師の声は耳に届いた。


「いつもは道端に転がってる」


 神が道端に落ちている木だと?

 この男は、何を言い出す。


「それは、生きる支えって事ですか?」

 大学生が簡単に要約する。

「そうだ。インゲン豆とかナスに刺してるネットとか棒とかあるだろ? 真っ直ぐに育つようにするやつ」


 アレだよ、と牧師は適当に演説を終わらせた。

 集中できない。


「なあ、ジョージ」

 牧師はジョゼフに念を押すように、話しかけた。

 びくり、と肩が揺れた。


「そうだよな?」

 つまりこの男はこう言いたいのだ。

 ジョゼフに対し、〝お前は人生に溺れているから宗教にハマったのだ〟と。

 卑屈に考えすぎているのかもしれない。

 しかも、その宗教や神とやらは、困っていない時は道端の木の棒と変わりないと。  


 ジョゼフは頭の中で、さっきの動画のことがグルグルと渦巻いて落ち着かなかった。  最初は、薄暗く居心地のよかったこの場所が、何だか今は揺れているようにも感じる。

 早くホテルへ帰りたくなった。


「そうだな」

 ジョゼフは大人しく答えた。


「その通りだ」

 従順に答える。



 やはり揺れている。

 ここは日本だから、地震なのかもしれなかった。




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