映画レビュー(48)「大怪獣のあとしまつ」で映画評論における無言のバイアスについて考えた



アマゾンのレビューが☆2つ、

 酷評の山の「大怪獣のあとしまつ」を鑑賞した。
 意外にも面白い。☆4.5の「シン・ゴジラ」と比較しても悪くはない。
 ☆でいいんじゃねと感じた。
 何故、こんなに評価が低いのだろうか。

二作品を比較する


「シン・ゴジラ」においてゴジラは激甚な災害を与えた東日本大震災を象徴している。打つ手がなく、ゴジラの放射線で殺されてしまう政府閣僚達は当時の政権与党の閣僚を思わせる。外遊中で一人残った閣僚が臨時の首相になるあたり、鳩山・管直人の後を受けて登場した野田佳彦元首相を彷彿とさせる。
 また、閣僚全員が作業服を着るというパフォーマンスを初めて行ったのも当時の民主党政権だった。それも映画に反映されている。
 映画を観た観客のレビューでこれらのことが指摘され、遅ればせながらメディアやメディアに忖度する評論家がネガティブな批評を上げ始めたが、時既に遅く映画は大ヒットしてしまった。2016年のことだった。震災から5年後である。

 そして震災から11年後の2022年「大怪獣のあとしまつ」が公開された。
 この作品における死んだ大怪獣とは「停止した福島の原子力発電所」の暗喩になっている。腐敗して有毒なガスを発生させ、引火爆発の危険もあると言う設定が、放射能を思わせる。
 その都度の場当たりな対応で右往左往する政府関係者。作業着パフォーマンスを自ら「あざといよな」と苦笑する余裕は災害が終わっているからこそか。
 作中で、「私は怪獣の専門家よ」と言って直接乗り込んできて現場をかき回す菊地凛子演ずる国防軍大佐は、「私は原子力の専門家だ」と言って福島に乗り込んで現場をかき回した管直人元首相に他ならない。三木聡脚本はコメディとしてよく出来ていたと思ったが、世間の評価、特に映画評論家からは罵詈雑言に近いほどの酷評だった。テレビのコメディ的な部分も叩かれていた。私は「時効警察」っぽくて好感だったけどね。
 風刺がわかりやすすぎて、やや幼稚な部分がことさらに叩かれている印象があった。
 その点は、例の「新聞記者」と対になるような凡作ということかなあ。

何故ここまで酷評なのか?


 ここからは私の感想。
「シン・ゴジラ」を大ヒットさせてしまったことが、民主党を支持していたメディアや評論家界隈には忸怩たるものがあったのだろうと思う。その教訓を踏まえた上での「大怪獣のあとしまつ」だ。試写が終わると同時に、この作品に対するネガティブキャンペーンが起きたのではないか?
 そんなことが可能なのだろうか?
 可能なのだ。一般人が書き込むネット上のレビューは支持者を動員してネガ評価を投げる。稿料を日々の糧とする評論家達には、掲載メディアから圧力を掛ける。
 同じ事を体制側がやれば「言論統制」「弾圧」になるが、メディアやジャーナリズム界隈がやれば「イメージ操作」「ネガティブ・キャンペーン」となる。
 既に1970年代から、報道などの「メディア(媒体)」は司法権・立法権・行政権の三権に並ぶ第四の権力と言われているではないか。(注・「第四の権力/深まるジャーナリズムの危機」1978年)
 かつて旧・民主党政権を実現させた新聞・放送メディアは、この作品に対して、手ぐすねを引いて待っていた感がある。今度は「シン・ゴジラ」の時のようにはいかないぞと。
 テレビ的な浅いギャグ(これは否定できない)が攻撃の対象になったのは、そう叩かないと「底意が透ける」からであろう。底意とは、「旧・民主党政権はひどくない」という主張、「黒歴史ではない」という気持ちだ。最近SNS上で盛んに喧伝されている旧・民主党政権の美化の流れもあろうか。
 評論界隈が口をそろえて酷評すると、一般人もそれを真似て酷評する。そして、「普通の人が面白いと思った映画を酷評する俺ってどうよ」というマウントを取り始める。

歴史は繰り返したのか?


 今回、この稿を書きながら思い出した作品がある。「樺太1945年夏 氷雪の門」(東宝)だ。
 終戦の8月15日以降も続いたソ連軍の樺太侵攻。占領される直前に集団自決をした真岡郵便電信局の女性交換手達の悲劇を描いた戦争大作である。1974年の公開作で、当時高校生だった私は、早速劇場に向かったのだが、早々に上映打ち切りになっていて驚いた。
 ソ連側から抗議があったという。当時、東宝で進んでたソ連との合作映画「モスクワ我が愛」を人質に取られたという話も聞こえてきた。
「大怪獣のあとしまつ」に関する、ヒステリックとも言える酷評の山に、私は同じ臭いを感じたのだった。

無名文士としての決意


 原稿料やライティング料を日々の糧にしているプロの評論家諸氏を批難するのは、少し手厳しいかもしれないと思っている。干されては生きていけないだろうから。
 その代わり、どこの出版社ともメディアともしがらみのない、無名な筆者・私が、そういった疑念を、どのメディアにも忖度せず書いていこうと思うのだ。
 それこそが、インターネットというメディアの自由さではないか。
 実は私は、旧・民主党政権誕生時に票を入れた有権者でもある。旧・民主党に恨みはない。むしろメディアの喧伝するイメージに酔って投票した自分に自己嫌悪を感じたぐらい。ポピュリズムで票を入れてはいけない。それを教えてくれた旧・民主党政権には感謝している。
 もう二度と間違いは犯しませんから。

(追記)
無名なくせに偉そうに、とお怒りの方もいると思う。
そんな方は、この作者(私)を徹底的に攻撃するためにその著作を読んで、弱点を見つけて欲しい。どんどん読んで、酷評してください。
著作へのリンク先はこちらです。↓   ← 結局、そこかよ(苦笑)
栗林元・著者ページ

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