映画レビュー(59)二本の映画で気づいたこと

 私の長編小説「不死の宴」シリーズの第二部は1956年のアメリカ合衆国東海岸を主な舞台にしているため、執筆に当たっては歴史の本や文化史の本などを読みまくると同時に、1950年代60年代を舞台にしたアメリカ映画を観まくった。
 今回はその際に気づかされたことである。

ベトナム戦争前後を描いた二本の青春映画

「アメリカン・グラフィティ」(1973年)はジョージ・ルーカスが監督・脚本を手がけた青春映画の大ヒット作である。1962年のカリフォルニアを舞台に高校生活最後の夜の夕刻から夜明けまでを描いた群像劇である。ウルフマン・ジャック・ショウのラジオ放送を背景に、プロムのダンスパーティー、車で街を流すガールハントなど、公開と同時に日本でも50年代60年代ブームが吹き荒れた。
 エンディングに際して登場人物達のその後が語られるが、その中でベトナム戦争で行方不明になるキャラもいることが示される。
 そして「アメリカン・グラフィティ2」 続編として語られることが多いのだが、これを観るとルーカスは二作をセットで語りたかったのだろうなと気づく。
 第一作で語られたキャラ達のその後が描かれるが、ある者はベトナム戦争反対運動に飛び込んだ弟に翻弄され、警官から追われる体験をし、別の者はシンガーとして破天荒な体験をしたりする。1965年と1966年の大晦日が舞台。
 もう一つ語られるのが、第一作で彼らの先輩で憧れだった街道レーサーのジョンが、レースで活躍する一日の物語である。彼は、エンドロールでその日の夜に死んだことが伝えられる。
 このジョンというキャラクターが、アメリカ人が抱く「世界の平和のために奔走する、不器用だけど優しい俺たち」という第二次大戦以来のセルフイメージを体現している。
 そのキャラが死ぬのだ。その日付が、1964年の大晦日。この年の8月にトンキン湾事件を契機としてアメリカは本格的にベトナム戦争に介入する。

ベトナム戦争で自信を喪失したアメリカ社会

 ベトナム戦争が終わった後、帰還兵達を迎える歓迎のパレードもなく、アメリカ社会は第二次大戦以降に抱いていた母国の美しいセルフイメージを永遠に失ってしまう。「枯れ葉剤の散布」「ソンミ村大虐殺」などの戦場での蛮行などが明るみに出てきたからだ。
 当時、小学高学年から中学生だった私は、当時の報道などを覚えている。
 今、思うと、このアメリカ合衆国社会の体験は、日本と似ているのではないか。
 明治・大正・昭和と日清日露戦争に勝利して、夜郎自大にまでセルフイメージを上げた大日本帝国が初めての敗戦で日本国になった時と同じような体験をアメリカ社会も体験したのだ。トンキン湾事件は、さしずめ大日本帝国の盧溝橋事件であろうか。

歴史は繰り返す

 他の記事でもちょくちょく言及してるけど、「歴史は繰り返す」とは言い得て妙だと思う。人は何故、同じような間違いを何度も何度も犯すのだろうか? 人の行動の原理となる気持ちや感情は生物としての人間由来だ。どれだけ科学が進歩しようとそれは変わらない。
 造物主の神から与えられた生物としての限界なのか? そう思うと、石ノ森章太郎が「サイボーグ009」で頻繁に触れていた「神々との戦い」とは、そういった生物由来の感情(特に憎悪)に抗うことなのかもしれない。

「アメリカングラフィティ」
「アメリカングラフィティ2」


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