1700字シアター(5)名古屋高速

(2021/02/10 ステキブンゲイ掲載)
 日が沈んでようやく風が涼しくなってきた。アスファルトの余熱も先ほどの夕立で冷めている。これで気持ちよく一日の仕事を終えられそうだと思ってる矢先に、首から下げた業務端末が鳴った。乗っているバイクを路肩に寄せると端末を見た。
 モニターに表示された配送指令に俺は心の中で軽く舌打ちをした。
「仲田プラン~東海新聞広告局整理部」となっている。
 瑞穂区から中区までの短距離で一件完了という割のいい仕事ではあったが、個人的には問題があった。
 バイクに腰掛けたままセンターに電話した。
「ごめんなさいね、東海新聞はだめって聞いてたけど他に空いたバイクがないのよ」とディスパッチャーは電話の向こうで半泣きだ。
 しかたなく、
「今回だけですよ」と言って仕事を受けた。
 カーゴボックスから伝票を出して端末を見ながら配送伝票を書く。荷届け先の新聞社の電話番号はもう暗記している。二十八年も付き合った親会社だからだ。

 東海新聞の系列広告会社・東海エージェンシーをうつで退職した後、五十三歳の高齢者を雇う企業はどこにもなかった。やむを得ずバイク便の請負ライダーを始めて既に二年が経っていた。
 開業当初、この「仲田プラン~東海新聞広告局整理部」の便が入ったときは少なからず凹んだ。
 荷受け元の仲田プランは半年前に退社した東海エージェンシーのサブ代理店だし、荷届け先はその親会社。広告整理部の隣の部屋には当の東海エージェンシーの事務所が入っている。
 半年前まで社員証で入っていた入り口で業者の入場証をもらい、年甲斐もなくコスプレのようなライダースーツで社屋に入り、誰か知人に見られはしないかと周囲に気を配るありさまだった。
 整理部で受領の印をもらうときは、全員俺より若い連中で少しほっとした。考えてみれば、かつて一緒に働いた広告局の連中はもう役員や重役になっている。
 幸い、かつての勤務先の連中とは出会わずにすんだが、配送センターには「今後、東海新聞宛はご遠慮したい」と告げたのだった。
 自分の心の中で「落剥した」という敗北感をどうしても否定できないのだ。

「いつもご用命ありがとうございます」と仲田プランで挨拶すると、
「提稿が遅れちゃって、少しでも間に合わせようとバイク便使いました、ってポーズもありなのよ」と苦笑混じりに言われた。
「整理部も人の子ですもんね。それに公式アナウンスの提稿時間、結構さば読んでますし」と答えながら荷受け伝票を渡して、二人で爆笑した。
「詳しいんですね。よく便があるんですか」
「元業界人です」
「まあ、道理で」とさらに盛り上がる。
 荷を受けてバイクに戻りながら、今の会話、小説で使えそうだなと思った。
 ちょうど、うつで退職してから今までの体験を、客観的に見直してみようと小説を書き始めて二ヶ月ほど経っていたのだ。仕事は転々としたが、小説だけは書いていた。うつをネタにできるぐらい回復したのは、この小説家目線のお陰かもしれない。
 カーゴボックスに荷物の広告原稿を入れると、配送センターに荷受け完了の信号を打った。
 最短時間で届けるために高速道路の使用が許可されていた。堀田のランプの斜路を上りながらETC表示を確認する。
 明るく照らされたゲート下を抜けると、高速道の本線は夜の闇の下、走る車の前照灯だけが路上を照らす明かりだった。
 アクセルを捻り一気に加速して四輪の流れに滑り込む。自動二輪は合流も楽だ。北へ走る四輪の間を余裕を持って追い抜きながら前へ進む。
 夜風が気持ちいい。じきに道は大きく左にカーブして都心環状の通称リングに入った。東別院の出口を横目に飛ばしていくと、名古屋駅の高層ビル群が夜空にそびえている。この光景はちょっと関東の首都高速っぽいなと思った。
 広告業の前に東京で営業をやってた時代の記憶が蘇る。FEN(極東米軍放送)で聞いたパット・ベネターのロック・ナンバーが脳裏をよぎる。
 大きく右にカーブしてスパイラルタワー、ミッドランドを左に仰ぎながら夜の空気を裂いて走る。
「自由だな」と感じた。
 この光景、会社に残った連中は知るまい、味わえまい。俺だけの瞬間だ。
 俺はうつで会社を辞めざるを得なかったと思っていたが、最近は、うつのおかげで会社を辞められたのだと感じていた。
 今夜は、昔の同僚に出くわしても平気な気がした。

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