「集まる自由」奪回のチャンスにも?

 外出規制が日を追って厳しくなり、ふだん当たり前のように顔を合わせていた同僚や、井戸端会議のメンバーとも会えずにストレスを感じている人が多いようだ。まして東氏が危惧するように社会参加や連帯がコロナ対策の名目でなし崩し的に消えていくとしたら、それほど残念なことはない。

 しかし、暗闇のなかでも目をこらせば一点の明かりが見えてくる。もしかしたら、そこにはこれまでよりも明るい世界があるかもしれない。

 在宅勤務を余儀なくされた人の口から聞こえてくるのは、意外と元気な声が多い。こんなに家族と一緒に過ごすのは初めてだとか、近所の人と親しくなれたという人がいる。また私のもとにも久しくご無沙汰していた人からときどき便りが届くようになった。

 人間は一つの世界で単調な生活を送っていると、それが当たり前になってしまう。日本の組織は共同体的で、そこにスッポリと浸かっていると居心地は悪くない。しかし共同体のなかでの人間関係が濃密なぶん、外部の人間関係は薄い。日常生活で外部に関係を広げる必要を感じないばかりか、時間的に広げる余裕がないし、広げることを妨げる数々の障害もあった。

 それがコロナ禍という思わぬ外的要因によって共同体の壁に穴が空き、外部の人たちとつながる機会が生まれたのである。しかも世界全体がそうだから、つながろうと思えば絶好のチャンスだ。コロナ禍が終息すれば、すぐ元に戻るという見方もあるだろう。しかし、籠中の鳥がいちど大空の自由を知ったらもとへ帰ろうとしないように、会社の外に魅力的な世界があると知った人たちは、これまでのように会社べったりの生活には戻らず、会社と距離を置こうとするのではないだろうか。社会的な関心もこれまでより強くなったはずだ。

 そうなると、長期的にはむしろ「集まる自由」が広がるかもしれない。少なくとも「集まる自由」の大切さを意識するようになるのではなかろうか。 

#COMEMO #NIKKEI

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。