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どうして、師匠の技法を継がなかったのか?

ナゾの質問

ありがたいことに、片田舎でやっているアートスクールも、少しずつ利用してくれるかたが増えてきた。

師匠が30年以上かけて開発・研究してきた技法「ホログラムズコラージュ」を楽しんでくれるかたが増えて、ありがたく思っている。

師匠の作品

一方で、最近、人様からある質問をされるようになった。

「どうして、あなたは『ホログラムズコラージュ』(師匠が発明した技法)をやらないの?」

その質問をされるたび、私の頭のなかは「??????????」と
クエスチョンマークでいっぱいになる。

というのも、私は師匠の弟子になったときから、「師匠の技法をやるとか、やらない」とか、そんなことを考えたことがなかったからだ。

師匠「話は単純だ。」

私は、師匠に話しかけた。

私「最近、みなさんから「どうしてあなたはホログラムズコラージュをやらなかったの?」と聞かれるんですけど、返答に困るんですよ。

もちろん、この2年半、師匠についてきて、
師匠のすごさも、師匠の作品のすごさも承知しています。

しかし、私は「ホログラムズコラージュ」を継承するとか、しないとか、考えたことがないので…」

すると、師匠はこう答えた。

師匠「話は単純だ。」

私「え?」

師匠「あなたは、あなたのやり方でやりたい。それだけの話だよ。」

師匠の、シンプルかつ、的確な答えにはっとした。

私が真に求めてきたもの

そもそも、私は師匠に会うまで、
アートに関心もなければ、
アーティストになりたいと思っていなかった。

私が求めていたのは、あくまで、
「自分らしく生き残れる」方法。

アートを求めていたわけではないし、
まして、「ホログラムズコラージュ」を求めていたわけではない。

第一、アートがなんなのかも、知りもしなかった。
だから、アートに対して「憧れ」も「期待」も一切無かった。

たまたま、師匠が私にアーティストの適性を見いだしてくれて、

たまたま、「自分らしく生き残れる」方法として、
アートという選択肢がぴったりとハマった。

もちろん、私の師匠は素晴らしい。

素晴らしい師から沢山のことを学ばせていただいて、感謝している。

(弟子の私がいうまでもないことだが。)

師から学ばせていただいたことは、
自分の作品にも、ひととの関わり方にも、
あらゆるところに取り込んでいる。

その上で、自分のやりかたを試したい。

そして、ありがたいことに、師匠は私の意志を尊重してくださっている。

だから、師匠は「ホログラムズコラージュ」を私に勧めてこなかった。

今日にいたるまで、一度も「ホログラムズコラージュをやれ」と言われたことはない。

鉄の掟

師匠「一番、やってはいけないことって分かる?」

私「うーん…、分かりません。」

師匠「あなたためと言って、ひとをコントロールすることだよ。

だから、俺は、本人がやりたいと言えばホログラムズコラージュを教えるし、
そうでない限りは、強要しない。

本人がやりたくないことをやらせるのは、エゴだからね。」

制作中の師匠

師匠は何事においても、ひとに「強要しない」

本人がやりたいというまで、何もしない。
勧めもしない。

これは、師匠の行動全てに貫かれる、「鉄の掟」だ。


私は師匠につかせていただいて、約2年半、「ひとに強要しない」という「鉄の掟」を、
師匠が破っているところを見たことがない。

師匠は、厳格に、この姿勢を貫かれている。

使えないアドバイス

一方で、ひとだび外にでれば、私はたくさんの大人に、
「あれやりなさい、これやりなさい」と言われてきた(頼んでないのに)。

そのたびに、私はじーっとその人の話を聞いてきた。

すると、いつも、"ある事実"に気がつく。

アドバイスをしてくるわりには、等の本人が実際にやったことがないのだ。

だにぃ!?

例えば、私にアートのアドバイスをしてくる人がいる。

「素晴らしいアーティストになるために、あなたは、あれやりなさい、これやりなさい。」

ただ、その人たちは、一秒たりとも、アート活動をやったことがないのだ。

どうして、やったことがない人のアドバイスを私が聞き入れると思うのだろう。

だが、残念なことに、ほとんどの方に「使えないアドバイス」を言われたことがある。

体感では、9割以上のひとから、裏付けのないアドバイスをされたことがある。

困ったものだ。

Oh…

一方で、師匠からは、こちらから質問しない限り、具体的な指示を受けない。

しかし、師匠は現役のアーティスト。
キャリアは35年以上。

アートに関しては、プロ中のプロだ。

誰よりも私に「アドバイス」をする権利があるのに、
私が求めない限り、師匠はアドバイスをしてこない。

万華鏡を作る師匠

やったことがないのに、アドバイスを勝手にしてくる大人と、

プロ中のプロなのに、私が求めない限り、アドバイスをしない師匠。

なんだ、この違いは!?

いったい、どういうことだろう。

「ものづくりのプロ」に共通する姿勢

思えば、師匠だけでなく、師匠の長年のお知り合いからも、変なアドバイスをされたことがない。

しかも、師匠のお知り合いは、長年「ものづくり」に従事しているひとばかりだ。

最も印象的だったのが、師匠の長年のお知り合いである、木村桃山さんとの会話だ。

木村家は、備前焼窯元六姓のひとつで、代々備前焼の伝統を受け継ぎ、
桃蹊堂(とうけいどう)という窯元を守ってきた由緒あるお家だ。

そして、木村桃山さんは、桃蹊堂(とうけいどう)の二十六代目当主。

木村桃山氏の作品

1999年、師匠と木村さんは「Unit:WASABI」というユニットを組んで、
2005年まで活動をされていたご縁がある。


もちろん、今でもお二人は交友があり、
私は一度だけ、木村さんとお会いしたことがある。

木村さんは、とても穏やかで、謙虚で、こちらが恐縮するくらい腰の低い方だった。

もちろん、木村さんの陶芸もすばらしくて、
私の質問に、ひとつひとつ丁寧に答えてくださった。


師匠は、木村さんのことを、敬意をこめて「殿」と呼んでいる。

パンピー(一般人)の私が、「ナチュラル・ボーン・お殿」にお会いする機会なんて、滅多にない。

気になることを聞いてみた。

師匠の備前焼の作品

一般家庭に生まれた私とは違って、木村さんは、生まれたときから桃蹊堂(とうけいどう)という、歴史ある窯元の後継者だ。


歴史を継ぐという大役を、小さいころから期待されるなんて、プレッシャーに思ったりしないのだろうか。

そして、備前焼窯元を継承するに当たって、
どんな教育を、お父様からされてきたのだろうか。

お聞きしたところ、木村さんは「父からは、陶芸をやりなさいと言われたことはない」とおっしゃった。

え、カルチャーショック…

もちろん、備前焼に囲まれた環境で育たれてはいるが、
一度もお父様からは陶芸を強要されたことがないとか。

Unit:WASABIの展示

ちなみに、師匠は、木村さんのお父様にお会いしたことがある。


Unit:WASABIの活動のなかで、桃蹊堂(とうけいどう)で、師匠が備前焼の作品制作をしていたときのこと。


師匠は、粘土力の高い備前土を利用して、爆竹をつかった備前焼の新たな表現を追求していた。

もちろん、師匠は、大真面目である。

しかし、師匠がぶっ放した爆竹の音が、町中に鳴りひびいた。

その音を聞いて、当主である木村さんのお父様が駆けつけてきた。

師匠はお叱りを受けるものかと思ったが、
木村さんのお父様は「いいぞ、もっとやれ」と言ってくださり、
周囲のひとに説明をして、制作を自由にさせてくれたらしい。

爆竹をつかった師匠の作品
脳天と目の部分に爆竹を刺したらしい

「ものづくりをやっているひとは、絶対に、ひとに強要をしない」
と師匠がおっしゃった。

なぜかというと、「無理矢理やらされたら、良いものが作れない」からだ。

師匠「やるやつは黙ってても、やるんだ。

それに、あなたは自分のやりたいことをやるとき、自分でどんどん追求する。

しかし、ひとから言われてイヤイヤやるときは、言われたことしかやらない。

強要すると、良いものはできないんだよ。」

追求あるのみ

だから、師匠は「鉄の掟」を守っている。

本人がやりたいと言わない限り、勧めない。

だから、私は、今日まで一度たりとも「ホログラムズコラージュ」を師匠から勧められたことはない。

ただ、誤解のないように言っておきたいが、

私が「ホログラムズコラージュ」を継承しなかったからといって、

師匠が人生をかけて開発してきた技法を、無視しているわけではない。

師匠と「ホログラムズコラージュ」の素晴らしさは、多くの場面で目の当たりにしている。

だから、師匠の教えや、「ホログラムズコラージュ」から学んだことは、
きっちりと自分の作品に入れ込んでいる。

まだまだ、自分の足りないところは沢山あるが、
私は私なりの方法で、自分のアートを追求していきたい。

ニホンカモシカの糞で作った私の作品

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