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20歳をすぎてもお酒を飲まなかった

私は20歳をすぎても、お酒を飲まなかった。

なんとなく、お酒にいいイメージがなかったのだ。

一方で、周りの同級生たちは、つぎつぎとお酒デビューをしていた。

「海老ちゃんはお酒飲まないの?」
「うーん、飲む機会がないんだよね…」

人が大勢集まるところには行かないし、
かといって、一人で飲む気にもならない。

別に、お酒で嫌な思いをしたことはない。

身内にも友人にも、酒癖のわるいひとなんていなかった。
親もたまにビール缶をたしなむくらいで、下品な飲み方はしない。

だから、世間から聞いた話をかき集めて、
「なんか嫌だなあ」と思っていた。

「お酒を飲んでホンネを語る」と聞けば、
大事な話ならお酒なしで話したほうがよくね??と思ったし、

「お酒でウサを晴らすひともいる」ときいて、
健康的じゃないなあと思った。

一人行動が好き、静かな場所が好き、人間関係は小さいほうが好き。

そんな私にとって、ガヤガヤして、人もいっぱいいるうえに、人の下品なところをみせつけられるかもしれないお酒の席は、避けたいものだった。

とはいえ、社会人になったらお酒を飲む場面もでてくるだろう。
一度は味見しておこうか。

実家に帰ったとき、父の缶ビールを一杯頂戴した。

うわっ、にが。

はじめてのビールは、全然おいしくなかった。

しかも、一口二口で頭がぼうっとしてくるだけで、気分が下がることも上がることもない。

こんなん、ウサ晴らしにもならないじゃん。

むしろ、眠くなったたせいで、楽しみにしていた本が読めなくなった。

ちぇっ。

私のお酒デビューは、少しイラッとして終わった。

ところが、ある日、私の目の前にお酒伝道師があらわれた。

それは、師匠だ。

師匠は現役の現代アート作家で、私はひょんなことから師匠に弟子入りした。

まず、師匠は私を色んなお店に連れていってくれた。

単に、ご飯をいただくだけではない。
「アーティストはピンキリを知らないとだめだよ」

そう言って、お値段の高いところから、お手軽なところまで、色んなお食事につれていってくれた。

この世には、たくさん美味しいものがあるんだな…

食にまるっきり疎い私には、カルチャーショックの連続だった。

あるとき、師匠が「焼肉」につれていってくれた。

オシャレな店内で、個室のような場所だった。
静かで、人のガヤガヤする声が聞こえない。

席の中央には、丸い網がかかっていた。

実はそのとき、焼肉屋にきたのは人生初。

私は20歳そこそこになって、生まれてはじめて「焼肉」と対峙することになったのだ。

師匠がお肉を全て注文してくださり、
ゾロゾロと端正にお皿に盛られたお肉が出てきた。

何の肉のどの部位かもわからず、肉をまじまじと見つめる私をよそに、師匠は次々と肉を網にかけていった。

ジュー、ジュー。

に、肉が目の前で焼かれている…!

生肉が目の前で焼かれているのを見ると、野生の血がたぎる。

なんかアガるぜ…
そう思っていたら、肉が焼けた。
師匠がささっとお皿に肉をとってくれた。

師匠「はい、どうぞ。」
私「…いただきます!」

一口肉をかじると、
ああ、うめえ…

思わず声が漏れた。

どうりで多くのひとが焼肉に狂うわけだ…

最高!!

生まれてはじめての焼肉に衝撃をうけている私に、師匠は梅酒をすすめてくれた。

師匠「梅酒なら、飲みやすいから。」

普段ならお酒は飲まないが、
焼肉にとりつかれている私は、難なくOKした。

ゴグッゴグッ

あーーーーーうめえーーーーーーー

これまた生まれて初めて。
お酒が「美味しい」とおもったのだ。

味をしめた私は、お店にいくとき、自ら進んでお酒を注文するようになった。

ただし、師匠と一緒のときだけ。

色々ためしたけれど、「味がおいしい」と思ったのは、梅酒とジントニックくらいだった。

他は「大人の味」で、今の私はまだ早いみたいだ。

しかし、お酒の味が「おいしく」なかったからといって、嫌な気持ちになったことはない。

これはどういうことか。

お酒に嫌なイメージをもっていたことを、いつのまにか忘れていた。

そして、2022年春、師匠とともに岐阜県恵那市飯地町に移ってからは、自宅でもお酒を飲むようになった。

まず、飯地町では、お酒を飲めるお店はない。

そして、めちゃくちゃ忙しくなった。

田舎はただでさえやることがいっぱいあるのに、アート活動も並行してやらなければいけない。

激務につぐ、激務。

朝から仕事をはじめて、ふと気がついたら、外は真っ暗。

忙しすぎて、わざわざ山を下って外食する余裕なんてない。

その代わり、スーパーで安い梅酒を買って、夕食とともにたしなむようになった。

毎日ではないが、お料理によったり、その日の気分で梅酒をだした。

「乾杯、今日もお疲れ様。」

丸一日忙しなく動いているので、夕食を食べるときが、唯一ほっとできる時間だ。

お酒を飲みながら、師匠と一日のがんばりをたたえるのが習慣になった。

柿をとる師匠

ある時、『海街diary』という映画をみていたら、梅酒が登場した。

腹違いの美しい姉妹が、庭の梅をとって、自分たちで梅酒をつけていたのだ。 

梅酒は、映画のなかで重要な役割を果たしていた。

姉妹が喧嘩したあと仲直りするときや、長年険悪な関係だった親子の縁をつなぐ場面に梅酒が登場していた。

梅酒が人と人を温かくつないでいたのだ。

映画を見ていて、なにか感じるものがあったのか。
ふと、自家製梅酒が飲みたくなった。

実は、庭に一本だけ梅の木がある。

師匠「梅酒作れるよ。家のだけだと、足りないけどね。」

そういって、ブランデーを買ってきて、
師匠が梅をつけてくれた。

梅酒はつけてから、半年後くらいに完成するらしい。

「冬になったら飲めるよ。楽しみだね。」

そういって、大きなびんを戸棚のなかにしまった。

完成した自家製梅酒

最近になって、ようやく梅酒が完成した。
ブランデーの色が透き通っている。

「今日もお疲れ様、乾杯!」

ドキドキしながら、飲んでみた。

ゴグッゴグッ

あーーーーうめえーーーーーーーー

ブランデーベースだからか、オシャレな味がする。

私「めちゃくちゃおいしいです!さすが師匠。お酒つくるのも上手ですね。」
師匠「そうだろ、そうだろ〜。」

半年、あっという間だったけど、楽しみにしていてよかった。

「幸せだなあ」

思わず、口からこぼれた。

思えば、飯地町に来てからは、めまぐるしい日々だった。

名古屋で計画していた事業がすべて頓挫して、0からスタートした飯地町でのアート活動。

大変だったけど、なんとかやってこれたのか。

そんな私たちに、自家製梅酒は最高のご褒美だ。

思えば、師匠と飲み交わしたお酒は皆おいしかった。
特に、飯地町にきてから飲むお酒は格別だった。

きつい仕事、世知辛い世の中。
本当に一生懸命とりくんだ日の「乾杯」。

それを、信頼しているひととできる。

思えば、師匠とお酒をのんでいるときは、
師匠も私も笑っていたっけ。

お酒を飲みながら、その日の頑張りをたたえ、明るい未来について語り合う。

「はあ、幸せ」という言葉がついついでてしまうような思い出の数々…。

そういえば、『海街diary』でも家族で笑いながら梅酒を酌み交わしていたなあ…

お酒は、けして、悪いものではなかった。

自分にとって、正しいひと、正しい量、正しい場面で飲めば、幸せな気持ちになれる。

いいお酒は、ふわっと人との縁をつなぎ、上品な時間を漂わせてくれる。

来年も梅酒を作りたいな。今度は、師匠に作り方を教わろう。

まずは、厳しい冬を乗り越えなくてはいけないけど、
寒さに耐え抜いたら、春が来て、梅の花も咲く。

「乾杯。今日もお疲れ様。」

そういって、来年も幸せにお酒を飲みたい。


私の師匠、現代アート作家・日比野貴之のnote。


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