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映画日記『ヤジと民主主義』こんなになっちゃった日本

※昨日この感想文をアップしたのだが、内容に大きな間違いがあったようだ。私は、「原和也」という警察官僚を、名指しして、非難するような文脈で取り上げていましたが、どうやらそれは「大石吉彦」と言いう人物の間違いだったようです。文書を訂正するとともに、原和也さんには、お詫び申し上げます。ごめんなさい。また間違った文章を既に読んでしまわれた方がにも、手遅れかもしれませんが、ごめんなさいです。



『ヤジと民主主義』という映画を観た。
北海道放送が作った政治ドキュメンタリーだ。
とりあえず、思いついたことだけ書く。

予告編とキネ旬サイトの紹介ページを貼り付けておく。これらを見てもらえば、どんな映画かわかると思う。



ヤジというと、最近は、日常生活では滅多に耳にしなくなった。現在、最もヤジを聞くことが出来るのは、国会中継だろうか。記憶に残っているヤジる人というと、真っ先に思い浮かぶのは故・安倍晋三だ。

この映画は、2019年の7月15日の札幌で、参議院選挙の応援演説に来た安倍晋三に向けてヤジを放った人が、警官に取り囲まれて自由を妨げられた事件を追ったドキュメンタリーだ。

北海道警察は、ヤジを言った男性、その男性が阻止されたのを見て自分も声を上げなければと声を上げた女性、安倍政権に反対するプラカードを持っていた何人かの女性らを、その場から排除したり、プラカードが安倍首相の視線に入らないように対応していた。

事故が起こる前に、考えられるすべてのことを排除しておく、という日本人の職場によくあるようなことを、警察もやっていた。

日本の職場は、問題が起きたらそれを解決するのではなく、問題が起こる前に、起きそうな芽を全部、摘んでおくのが得意だ。それによって、些細なことでも一致団結して、一方的に排除する風潮が肯定的な評価と共に高まるが、問題解決能力はまるで育たなくなる。

映画を観る限り、北海道警察の人達は、実に見事な集団行動で、ヤジを摘み、政権反対のプラカードを排除していた。

当然、そういう行動が公僕である警察としてどうなのだ、という問題が立ち上がる。ヤジで排除された二人は、北海道警察の行動を違法として裁判に訴えて、その裁判は今でも続いている。

現場の警官は、上から言われたことを忠実にやっているだけのように見えた。彼らは、自己判断など一切せずに、与えられた職務を、全力で全うしたのだと思う。

その姿は、報道機関や、自由を妨げられた本人やその友人たちによって、しっかりと動画に撮影されている。それらはYouTubeにもたくさんアップされているから、きっと警察の本人たちも、それを見ていると思う。こんな映画も出来たし、予告にまで使われている。

それを見て、彼らは、今、どう思っているのだろうか? 自分は間違ったことをした、命令とはいえ、やってはいけないことをやってしまったと、反省しているのだろうか? 

それとも、こんな映像を撮りやがって、と怒りに震えているのだろうか?

それとも、言われたことをやっただけだから、なんな恥じることはないとおもっているだろうか?

もしかしたら、自分はこんなに頑張っていたんだと誇りに思っている人もいるかもしれない。彼等は、人目を一切気にせず、あまりにも堂々としているから、そんな気までしてくる。

周囲の一般の人達は、ヤジを発した人たちが排除されるのを見ながら、無関心のようだった。もしかしたら、冷笑している人もいたかもしれない。もしかしたら、内心、ヤバい助けなきゃと思っている人もいたかもしれなかった。

その場にいたら、私はどうしただろうか? 一緒にヤジを飛ばしただろうか? 排除される人を助けに行っただろうか? 多分、内心ではカッカきながら、遠巻きに見ているだけと思う。

1人だけ、排除された女性とそれを取り囲む警官にぴったりとくっついている小柄な女性がいた。排除され連れていかれる女性を目撃して、その身を案じたのだ。

映画を観た帰り道、どんなヤジが効果的だろうかと考えた。「ヤジ、やめろ!」は、どうだろうか、「ヤジ」の部分は小さく、「やめろ!」の部分は大声で叫んで、とか、くだらないことを考えて、自分の偽善者ぶりに、惨めな気持ちになった。


札幌での警察の対応を指示したのは、※「大石吉彦」という警察の上のほうの人物らしい。

北海道警察に上からどのような支持が出ていたのかを公文書の開示を請求して、出てきた数枚のノリ弁の文書で、唯一読めるところが、その文書の責任者名だった。それが※大石吉彦だった。

※大石吉彦で検索すると、現在は、警視総監になっていることがわかる。

ウィキのよると、※大石吉彦の経歴は、警察庁警備局警備企画課危機管理企画官、内閣官房内閣参事官、警察庁警備局警備課長を経て、2012年安倍晋三内閣総理大臣秘書官。2019年、警察庁警備局長。2021年9月16日、警視総監となっている。

安倍晋三の秘書官を数年やって、そのあとに警察庁警備局長になっている。

だから、2019年の7月の時点では、※大石は警察庁警備局長だ。その時に、全国の都道府県警察に、参議院選挙の警備についての指令書のようなものを出している。それが先のノリ弁文書だ。

映画には、安倍晋三と※大石がBBQをやっている映像も出てくる。安倍晋三となあなあだった人物が出した指示に、機転を利かせて過剰に反応したのが、北海道警察だったのかもしれない。


私には、北海道警察のやったことが、安倍政権下で横行した公文書の改竄と同じ質のものに感じる。

ヤジ排除訴訟の第二審では、北海道警察が、自前で撮影した再現動画というものも多数、提出している。再現動画の制作は、それこそ改竄作業そのものに感じる。

ヤジ排除裁判の、二審の裁判官が判断を変えたのも、2019年7月の警官たちと、やっていることは同じに見える。

警官も裁判官も、おそらく、単に仕事をしてるだけなのだと思う。「そういう仕事の仕方」しかしていないから、ああなっちゃったのだ。

「そういう仕事の仕方」というのは、与えられた仕事を私情を挟まずに仕事だと割り切って、十全にやるということだ。日本の労働現場だと、そこに、「プロ」とか「専門職」といったコトバがくっついて語られることが多い。

うまく説明できないが、私は、以前、似たようなことを、映画『福田村事件』の感想文に書いたことがある。気が向いた人はそちらを読んでほしい。目次の7あたりだ。

私には、警官も裁判官も、たった今、自分がやっていることの意味を、自分個人の頭で考えることをしないで、これは仕事だからやるべきことをやっているのだという風に、やっているようにしか見えないのだ。時と場合によっては、割り切ることが必要な場面は必ず出てくるだろう。しかし、どっちが大事かといったら、割り切らない仕事の仕方だと思うのだ。

そんなだから、不慮の事態になると、まるで対応できなくなる。安倍晋三は撃たれちゃったし、岸田にも爆弾が放り投げられちゃった。


なんだか、日本は、隅々までこんなんなっちゃった、という気がする。なんだかなあ、だ。



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