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読書日記 『大俳優 丹波哲郎』 何事にも動じない大らかな殿様

こんな本、いったい誰が読むのだろうか。って私だ。でも今時、丹波哲郎のことを知っている人はどれだけいるのだろうか? すぐに見ることが出来る代表作って何だろうか? 映画『砂の器』だろうか。

丹波哲郎 (著)、ダーティ工藤 (著)、 田中ひろこ (編集) 『大俳優 丹波哲郎』 ワイズ出版映画文庫

1 俳優生活50年を振り返るインタビュー


日本映画ファン必読書の本、なのかは、わからないが、2004年に6000円台で単行本で出ていた本の文庫化だ。小さくなって、読みやすくなり、値段も1500円になった。620ページもあるが、後半の300ページは、丹波哲郎の出演作品を、映画、テレビ、舞台、等、可能な限り網羅した資料集となっている。

この後半の資料が充実している。映画なら、タイトル、公開日、映画会社、長さ、白黒かカラーか、丹波の役名。そしてスタッフ。企画、脚本、監督、撮影、音楽、美術、録音、照明、編集、助監督。それから出演者名がずらりと並ぶ。よくぞこれだけ調べたあげたなという力作だ。これをつまみ読むだけで、結構、楽しいし、発見がある。

前半はダーティ工藤という人が、丹波哲郎にインタビューした、長いインタービューがそのまま収録されている。ダーティ工藤がどんな人なのかよくわからないが、丹波とその周辺については、詳しい人のようだ。後半の資料集この人が作成したようだ。

丹波哲郎は1922年(大正11年)に生まれて、2006年(平成18年)に亡くなっている。ちょうど三船敏郎より2歳年下で、鶴田浩二よりも2歳年上だ。

この本が出たのが2004年で丹波が亡くなったのが2006年だから、最晩年のインタビューということになる。あとがきを読むと、本にするまで4年ほどかかったとあったから、2000年前後の取材だろうか。

インタビューの内容は、丹波哲郎の人生と、50年にわたる俳優生活を振り返ったものだ。最後の方に、俳優養成所だった丹波道場のこととか、丹波がライフワークだと言っていた霊界のことが、出てくる。

2 落語のような語り


話し言葉で再現されている丹波哲郎の語りは、テレビで見た丹波哲郎そのもので、その意味でこの本は成功していると思う。ただ、ハナシが飛んだり、わかる人にはわかるのだろうけど、50年代、60年代の日本の映画事情に詳しくない人間には、意味不明な箇所があって、何を言っているのか、さっぱりわからないところも多い。

インタビュアーのダーティ工藤という人が、その場で時制を整理したり、丹波に聞き返したり、あるいはわかりやすいように言い直したり、丹波のコトバを一般向けに翻訳したりはしていないので、そのまんまだ。裏とり作業も最低限なので、そのまんまということは、丹波哲郎の言いっぱなしだということだ。

ダーティ工藤のあとがきを読むと、一般向けにかなり修正したとあるが、映画関係者が読めばわかるのかもしれないが、一般の人には、まるでわかりづらく、もっと手を加えても良かったと思う。それこそ、本にする前に、一回、素人に読ませて、解題していく、くらいのことをやれば、非マニア以外にも読める本になったと思う。

それにしても、丹波の語りは、独特のリズムがあって、落語のように楽しく読める。しかし、疑問を感じて何かを確かめようとすると、答えを出すのはなかなか難しい。作品の特定なら、ハナシの流れからだいたいの時代をつかんで、後半の資料に当たればどうにかなりそうだが、それ以外の、大量に出てくる固有名詞などは、注がないので、流すしかない。

俳優ならまだ調べようもあるが、映画技術者・関係者だったりすると、あまり有名でない人は、調べても詳しいことは出てこなかったりする。

そういった面では、誰にでも開かれているとはいいがたい不親切な本ではある。でも、普通の人はこういう本を買わないか……。

私は、結局、ほとんどなにもしないで、インタビューだけを読んだ。
それはそれで、めっぽう、面白いのだった。

3 冗談なのかホラなのか事実なのか照れなのか


丹波家というのは名門で、江戸時代は徳川家の御天医というか、薬師(くすし)の家系だというのは、有名だ。薬師というのは、生薬を調合して、治療に当たる人だ。現在の医師と薬剤師を兼ねた存在だ。基にしているのは、漢方と本草学だ。

丹波家は、明治以降もその道の権威で、丹波哲郎のおじいさんは、東京薬科大学を作ったりもしている。そういう家の三男として生まれたのが、丹波哲郎だ。

丹波は、インタビューの中で、家には家系図があって、坂上田村麻呂までさかのぼると言っているが、それが本当かどうかはわからない。丹波家は、天平時代までさかのぼれるという説は、この家系図のハナシがもとになったのだろう。

とにかく嘘か本当か、わからないハナシが多く、それが面白い。ハナシが大きくて、当人が堂々と、ひょうひょうとしているから、真偽などどっちでもよくなってくる。いい加減なハナシも多いが、大雑把なのか、人間が大きいのか、よくわからないところが、丹波哲郎らしくて、楽しい。こういう人が自慢話をしても、イヤミにならない。でも自慢なのかホラなのかも、ちょっとわからなかったりする。

この人は、殿様の生まれのようなところがあって、どんな場面でも、およそ慌てることがないようだ。普通の人ならば切羽詰まってしまうのだが、丹波哲郎は、ふーん、といった調子で、動じない。世の中には、たまにそういう人がいる。そういう人はそういう人のまま、人生を全うするのだろう。

ところで、丹波哲郎の英語の能力は、どんなものだったのか、ちょっと気になる。出身大学は中央大学法学部英法科というところだ。ここで英語を学んだのか、敗戦直後の俳優業をやる前には、GHQ相手の通訳を、2年ほどやっている。

60年代には、『007は二度死ぬ』のようなアメリカやイギリス映画に10本ほど出演している。その際は、セリフは全編英語だし、活劇シーンの殺陣なども担当している。本書によれば、英語の発音だけは良かった、あとははったりだ、みたいなことを発言しているが、これは謙遜なのかどうか、やっぱりわからない。

丹波哲郎に関する本を探してみたが、本人が書いた霊界や死後の世界に関する本は大量にあるが、俳優丹波哲郎に関する本は、一つも見つからなかった。

4 大俳優丹波哲郎と霊界研究


西荻の駅から数分のところに、丹波哲郎の大きな家があった。現在は分譲されて、跡形もない。以前は、中央線に乗っていると南側の窓から、丹波道場の看板が見えた。西荻から吉祥寺に向かう途中だ。丹波哲郎が主宰していた俳優養成所だ。ビルの屋上に掲げられた横書きの看板はとっくになくなっていて、今はどのビルだったかもわからない。

丹波哲郎は、戦後から平成の半ばまでに活躍した俳優だ。私が最初に認識したのは、テレビの『キイハンター』だ。その後、『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』『Gメン'75』と続いた。全部、TBSの土曜日午後9時の番組だ。

映画では、重鎮というか、大物役でいろんな作品に出ていた。印象に残っているのは、『砂の器』の刑事役だ。たまにさかのぼって、『007は二度死ぬ』やテレビ時代劇の『三匹の侍』などを何かの折に観た。本人が作った『大霊界』なども、見た記憶があるが、テレビでだったかもしれない。

私が丹波哲郎を私が知った時には、すでにスターだった。スターだったが、大作や話題作に限らず、妙なB級映画にもちょこちょこ出演していて、不思議な人だった。

後半生は、霊界研究者として知られ、本も多数出していたが、読んだことはない。本人は大真面目だったようだが、周囲からは、キワモノとして扱われ、まともに対応されたことはなかったのではないかと思う。

本書でも、『大霊界2』の撮影を真光の大聖堂で行ったとの発言があったが、以前に垣間読んだ発言からは、大本教とそこから分派した真光系統の新興宗教に肯定的だったことが知れてきた。特に大本教の出口王仁三郎が書いた『霊界物語』への言及が多かったように思う。

本書は、俳優・丹波哲郎に特化した本だからこれでいいが、人間・丹波哲郎に迫るのなら、丹波哲郎の霊界研究が、何がきっかけで始まって、どこから知識を得て、どういうオリジナルで、どこへ向かっていったのか、きちんと調べなくてはならいと思う。そういう本も読みたいなあと思った。


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