見出し画像

読書日記 荒木一郎・著『まわり舞台の上で』 荒木一郎を旅する


世田谷で動物と会話する男

去年の2月のことだ。東中野の、神田川と大久保通の交差するあたりの住宅地だった。時間は午前の11時くらいだったか。建物を出たら、野良犬みたいな動物と鉢合わせをした。

私に気がついたそいつは、大慌てで向かいの路地に走って逃げた。追いかけると、家と家の1メートルくらいの隙間に駆け込んで見えなくなった。どうみてもタヌキだった。

調べてみたらタヌキの目撃情報がいくつかあった。寺とか神社をねぐらにして、神田川沿いに移動しているらしい。東京の23区内にも野生のタヌキが、けっこう生息しているのだ。

世田谷にある荒木一郎の家の庭にも、タヌキはやってくるらしい。『まわり舞台の上で 荒木一郎』という、2016年の秋に出版された、荒木一郎が半生を語り下ろした本によると、荒木家の庭に来るタヌキに餌付けをしていたら、生まれた子供を連れてくるようになったとか、ダニで病気になったタヌキに、薬の入った餌を与えて治してあげたとか、野生のタヌキにまつわる逸話が出ていた。

タヌキの気持ちになって、タヌキがしてもらいたいことを荒木はやってあげるのだそうだ。そうするとタヌキとも気心が知れるようになり、荒木の言うことをタヌキも理解してくれるようになるのだと言う。ほとんどタヌキと会話が出来る感じだ。荒木一郎は、やっぱり、並みの人間ではない。

荒木一郎はヒヨドリとも会話をしている。詳細は語られていないかったが、助けてあげたら、毎日ベランダに来て、荒木が出てくるのを待つようになったと言う。

また、荒木家の屋根裏で出産をした野良猫に因果を含めて、むやみに鳴かないようにしつけたりもしている。猫は人間の言うことを理解できると荒木は断言している。もちろん荒木も猫の気持ちがわかる人間なのだ。

荒木はウサギと一緒に歌ったりもしている。ウサギは元来、声を上げない、鳴かないと言われているが、ウサギが「フンフンフン」というから荒木が「ヒンヒンヒン」といって、一緒にハモっているらしい。「ウサギは声をださない動物と言われているけど、みんな鳴くと思うよ」と、こともなげに荒木は語っている。

このように荒木一郎は、動物とも会話が出来るので、世田谷の荒木家には、おのずと野生の動物が集まってくるらしい。本当かなと疑問に思うが、多分、本当なんだろうなと思いなおしながら、ふわっとした笑いがこみあげてくる。

「文遊社」から出ている語り下ろしの本


最近、私は荒木一郎にはまっていて抜け出せていない。というより、どんどん深みにはまっている。知れば知るほど、面白い。ということで、今度は『回り舞台の上で 荒木一郎』という本を読んだ。本屋さんで探したのだが売ってなかったので図書館に行った。しかしそこにはなかったので、他の図書館から取り寄せてもらった。

2016年の10月に出た本だ。出版社は「文遊社」だ。文遊社は、最近は、ノアールの巨匠?ジム・トンプスンの未邦訳本を出している、私にはありがたい出版社だ。ジム・トンプスンは、映画『ゲッタウェイ』や『グリフターズ』の原作で有名な、イカれた人間が主人公のイカした小説を残した作家だ。

文遊社は、基本的には、著作権の切れた昔の作家を見つけ出してきて、翻訳出版している会社、という認識だった。ところが、曽根中生の自伝や田中陽三のエッセイ集など、邦画関係の本も出していたことに今回気がついた。

『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ』は、いわゆる語りおろしだったが、出版直後から、事実誤認や明らかな捏造、嘘ばかりが書いてあると言われ、関係者が反論したり、反論のための座談会をしたりと、話題になった。曽根本人は、自伝を出した直後に亡くなっているので、言いっ放しで終っている。

この本、『回り舞台の上で 荒木一郎』も、インタビュアーがいて、タレント荒木一郎にその半生を語ってもらった語り下ろしだ。インタビュアーは荒木の作品に精通しているらしく、細かすぎる質問をしている。二人は対等な関係ではなく、先生=荒木と、弟子・熱心なファン=インタビュアーみたいな印象を受ける。

だから、この本は、全部、荒木一郎の言いたい放題、言いっ放しの本だと言えなくもない。なにしろ文遊社は、曽根の本の前科があるから、この本もそうかもしれないと警戒しながら読んだ。

しかし、警戒したところで、荒木一郎に関して、私は何も知らないので、警戒のしようがないことに気がついた。

最近は、終活ブームもあってか、70代あたりのタレントの言いっ放しの本が、とてもたくさん出ている。終活となるとそれなりの覚悟が必要な気がするが、それらの本は、いい加減に作られていて、妙に気軽に出ている印象のものが多い。

それらのタレント本とこの本が大きく違うのは、分量と密度とデータだ。最近はやたらと文字が大きく、文字量の少ない本が流行りだが、本書は1ページに45文字×19行と、文字がびっしりと詰まっている。それが550ページほどあり読みごたえがじゅうぶんな本なのだ。

550ページの内訳は、メインとなる荒木一郎のインタービューが450ページ。それ以降は活字が二段組となって、コラムニストの亀和田武と荒木の対談が載り、映画評論家と音楽評論家による短い荒木評があり、荒木の出演作品、出したレコード、本などの詳細なデータが纏められ、最後に荒木による各音楽作品へのコメントが、インタビュー形式で載っている。タレント本というよりは、研究本の趣だ。

ネットで荒木一郎情報を集めてみる


図書館から本を取り寄せている間に、私はインターネットで荒木一郎の情報を集めてみた。いろいろ知っておこうと思ったのだ。まず、ウキペディアの荒木一郎を見た。

結構な分量の情報が書かれてあった。内容の信憑性はともかく、荒木一郎の大まかなことはここでわかった。しかし、情報がみんな古い。1980年代の半ばくらいまでで終わっている。

「受賞歴」を見ると、60年代にレコード関連の賞をとっているが、1983年に「第18回 全国切手展」グランプリ受賞というものもある。レコード関連でも「年間ベストヒット賞」とか、主宰がどこなのかよくわからないものもある。

「著書」の項目を見ると、80年代、90年代は作家活動を少ししており、2000年代に入ってからは、マジック(手品)の本ばかり出していることがわかる。肩書には、マジック評論家、カードマジック研究家とあるから、メインの活動は、マジックなのかもしれない。

そんなので商売になるのかわからないが、私が知らないだけかもしれないし、あるいは商売とは無関係に荒木一郎は生きているのかもしれない。さっぱりとらえどころがない。

ウィキには、荒木関連のサイトとして、二つの外部リンクが紹介されていた。

「プリンあらモードMagic Club 公式サイト」は、マジックを愛するアマチュアマジシャン、そして、プロマジシャンの有意義な集いの場所だそうだ。営利目的は一切なく、運営は会員有志のボランティアによって行われますとあった。

この会の会長が、荒木一郎だ。だからここには、会長情報として、荒木一郎の情報が、ある程度、紹介されていた。が、それらは先月出た荒木の最新小説『空に星があるように 小説荒木一郎』や荒木のCDなどの販促情報だ。荒木は、マジックショーをプロデュースしたりしているらしいが、荒木とマジックの関係については、でもよくわからないかった。



「Max a Go Go!! 荒木一郎FAN倶楽部」は、荒木一郎の公式ファンクラブのサイトだ。こちらは荒木一郎情報がとても充実している。やはりCDと本、そして荒木が出演した映画のチラシなどが、愚直なくらい網羅されて充実している。やはり新作の小説の情報以外は、時間が止まっているのかと思うくらい古いものばかりだ。

この二つのサイトに共通しているのは、素人の手作り感だ。サイトの制作、運営にプロは参加していない印象を受ける。だから愚直な印象を受けるのだろう。悪い意味ではない。そこにはきっと荒木一郎の考えが反映しているのだろう。

次にYouTubeを見てみる。映画のワンシーンや、歌謡ショーなどで歌っている荒木の姿を見ることができるが、大抵、画質は悪く、古いものばかりだ。まれにオフィシャル・ビデオがある。が、やはり40年以上前のものだ。200年代に入ってからテレビ番組にゲスト出演したものもあるが、あの人は今、みたいな出演で、荒木一郎の現在やメインの活動を伝えるものではない。

動画を見ていて、荒木一郎は、1990年くらいで亡くなっている人のような感じがしてきた。あるいは、芸能界を引退したのちは、メインの活動なんかないんじゃないかと思えてきた。それなら今度は、音源だけ聴いてみることにした。「荒木一郎トピック」というチャンネルがあり、ここではなんと12枚ほどのアルバムを聴くことが出来た。

1960年代は、ギターの弾き語りによる素朴なシンガー・ソングライターみたいな曲調が多い。その後、バックがジャズ風になり、歌謡曲風になり、1970年代半ばには、シティ・ポップス風になる。歌詞は誰かに語りかけるようなものが多い。発音は明瞭でコトバが聞き取りやすく、歌唱にはクセがない。このクセのなさが、シティ・ポップにとってもマッチしているように感じる。

中には「留置場」の体験を歌った曲もあった。また、「創価学会」が歌詞に出てくる曲もあって、いわゆる自己検閲や自粛はしない人という印象を受けた。

しかし、やっぱりここで聴くことの出来る音源も、みんな古かった。1981年あたりで録音が終了しているものばかりだった。その後の現在までの40何年間は空白なのだ。これらのネット情報を通してわかったのは、荒木一郎が表舞台で活躍していたのは、1980年代までで、その後は、マジック関係の人?になっているらしいということだ。

芸能界・音楽界での多岐にわたる仕事

いよいよ本を読んでみた。この本は、荒木一郎が自分の半生を語った本だ。といっても、プライベートなことにはあまり触れていなかった。生まれ育った家庭については語っているが、大人になってからの自分の家庭については一切触れていないのだ。この文章の冒頭に書いたタヌキのハナシは、インタビューの一番最後の「エピローグ」で語られていた。

荒木は事件を起こしたか、事件に巻き込まれたかして、芸能界を何度か干されている。本書でも事件があったことは話しているが、事件の中身には全く触れていない。留置場に何度か入ったことがあると言い、それらの体験がトラウマになり、閉所恐怖症になり、電車や飛行機に乗られなくなったと言うのだが、詳しいことは語らないし、インタビューする方も、突っ込んで訊かないから、謎は謎のまま残っている。

本書で詳細に語っているのは荒木の仕事である役者や音楽に関してだ。役者としては、荒木のあとに、原田芳雄や萩原健一、松田優作らが連なっていったように読める。そういう系譜の役者だったようだ。

映画会社の東映がヤクザ路線をやめてポルノを制作するようになった際には、出演から音楽、プロダクションを作って女優の供給やマネージメントをやったりと、全面的に協力している。つまり東映ポルノは、荒木がいなかったら成り立たなかったようなのだ。

また、映画『不連続殺人事件』に出演を依頼された際、自分と似た雰囲気のがいるからと、内田裕也を推薦したのは、自分だと語っている。ただ、内田裕也に知れるとこじれるので、口止めをしている。この口利きがなかったら、その後の内田裕也の映画活動は、なかったかもしれない。また、『仁義なき戦い』からの出演を依頼を断って、自分の代わりに川谷拓三を推薦している。

このような重要な?ことをいくつも発言しているが、荒木が言っているだけで本当かどうかわかららない。誰か裏をとって欲しいなと思う。

荒木は、東映ポルノに飽きた後、桃井かおりの総合プロデュースをして売り出している。マネージメントから、送迎車の運転、出演作品の企画、ブッキング、時には出演ドラマの現場で脚本の書き直し、カメラ割りまでしている。また出演ラジオの構成からDJである桃井かおりのセリフの台本書き、レコードを企画、作詞・作曲・プロデュースと、あらゆることをやっている。

やっぱりこれらもどこからどこまで本当なのかわからない。試しに、桃井かおりでネット検索してみると、荒木がマネージャーをやっていたと書いてある記事はいくつもあったが、詳しい内容は不明だった。が、『ダウンダウン物語』というドラマがあって、主演が桃井かおりと川谷拓三だった。ここで川谷拓三が繋がったような気もした。

桃井の後には、デビュー間もない烏丸せつこのプロデュースもやっている。

音楽家としては、フランキー堺からドラムセットを譲りうけて、十代でジャスドラマーとして出発し、60年代にシンガー・ソング・ライターとしてソロデビューしている。時代によって、バックの音や曲調に変化はあるが、力まないで歌うスタイルは一貫している。1981年くらいまで、コンスタントにソロアルバムを出している。それらのアルバムでは、まだ学生だった井上鑑や、深町純などをアレンジャーとして起用している。一方で自分が関わったり出演した映画やドラマでも、音楽を担当している。

プロデューサー、アレンジャーとしては、歌謡界や日本語ロック、シティポップに貢献している。ある時期、ビクタースタジオ専属だったことがあり、「エム」のアルバムや「頭脳警察」のセカンドとサードアルバムもプロデュースしたらしい。アイドルのシングルの作詞作曲プロデュースもしている。

これらの音楽活動も、1980年代の前半までのことだ。1990年くらいまでは、マンガ原作や小説家として数冊の本を出しているので、活躍が認められるが、以降は表舞台にはほぼ出なくなる。本書で語られている荒木一郎も活動も1990年あたりまでだ。それから今日まで、荒木一郎は何をしていたのか、本書ではほとんど語っていない。

このように、ある時期まで荒木一郎は、大活躍をしている。しかし、裏方仕事が多いので、探しても荒木の発言を補強する痕跡を見つけることがなかなかできない。まるでウラがとれない。残念だ。

裏方好みのアウトローなのか?

本書での荒木の発言に一貫してあるのは、自分からやりたいと言ったことはない、頼まれたからやってあげた、という態度だ。頼まれると、誰かのためにやってあげたいと強く思う人のようだ。自身の作る曲も、特定の誰かを慰めたり励ましたり、癒してあげるために作ったという。

ただ役者には自分からなりたいと思ったと発言している。では役者として成功したかといったら、途中でやめているように見える。本人も、自分で演技するよりも、他人を生かすことのほうに力を入れだしたと語っている。この場合の他人とは、共演者とか、自分の事務所の女優などだ。なんだかやっぱりつかみどころがない。

発言からは主体性があるのかないのかさっぱりわからないが、いざという時は、かなりな強面な印象を受ける。口調は柔らかいし、歌だってスマートなのだが、十代の最初から年長者にも言いたいことをずけずけいうし、ケンカも平気でする。それで干されたりもする。本人は関わったからには責任を持つ、責任を果たすと断言しているから、なんでもはっきり言いたいことを言うのだろう。その結果、干されてもそんなこともあると受け入れている。

するとまたほかの誰かが荒木に仕事の依頼をしてくる。干されてる最中だから、荒木の名前を出さないでやったり、別名義でやったり、他人の名前を出してやったりしている。だから、荒木の仕事が他人の業績になっていたりするらしい。といっても、芸能界、音楽業界での仕事も、1980年代前半までのことだ。

ウィキの著作の欄にあったように、2000年代の荒木は、マジック(手品)の著作を8冊も出している。『まわり舞台の上で』では、マジックに関してはほとんど語っていないが、わずかな発言によると、アメリカの手品を本を原書で読ん勉強したとあった。実際、YouTubeには、荒木がカードゲームを披露している動画もある。アメリカの本場のマジックを研究し、日本で普及につとめているのかもしれない。が、よくわからない。

マジックをメインに活動をしていると考えればいいのだろうか。が、2004年には、原田泰夫(監修)、荒木一郎 (プロデュース)、森内俊之ら(編)『日本将棋用語事典』という本も出している。肩書に将棋はアマ四段とあったから、将棋もプロはだしなのだろう。もしかしたら、マジック業界と同じように、将棋業界にも入り込んでいるのかもしれない。

しかし、将棋についても『まわり舞台の上で』ではほとんど語っていない。唯一、発言にあったのは、自宅に将棋場があるということだ。将棋場というのは、碁会所みたいなものだろうか? 自宅にそんなものがあるって、どういうことなのだろうか? ますますわからなくなってきた。

なぜか荒木一郎の著作一覧には、「荒木一郎のビッグ・サクセス講座-アムウェイ・ビジネス=成功への誘い」(徳間書店)というものまである。少し時代はさかのぼるが、1986年の出版だ。この時期は、アムウェイをやっていたということか。荒木一郎のことだから、広告塔などではなく、自分もアムウェイをやっていたと思われる。

統一教会問題のあおりなのか、アムウェイのマルチ商法が詐欺に当たると摘発されたのは、つい先月、10月半ばのことだ。

さすがに現在はやっていないと思うが、アムウェイで高額収入を得ていた過去があるのは、間違いなさそうだ。大丈夫なのか? ますますつかみどころがなくなってきた。こうなると仕方がない、今度は、最新小説の『空に星があるように 小説荒木一郎』を読んでみようと思う。それまで荒木一郎をめぐる旅は終わらない。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?