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読書日記 山本 俊輔 /佐藤 洋笑・共著『永遠なる「傷だらけの天使」』


ショーケン絡みの本が出た。山本 俊輔 /佐藤 洋笑・共著『永遠なる「傷だらけの天使」』集英社新書という本だ。私はショーケン・ファンだから、すぐに買って読んだ。

この本は、ショーケンの代表作「傷だらけの天使」というテレビドラマについて書かれた本だ。「傷だらけの天使」は、1974年10月から1975年3月までの半年間に放送された。全部で26話ある。

もう50年も前のドラマだ。私の世代の一部で以上に評価が高いが、未だに人気があるらしく、若い人達にもファンがいるらしい。

本書の著者たちも、1975年や1974年に生まれの若い人だ。「傷だらけの天使」の放送を、直接見た世代ではない。テレビではなく、ビデオとかDVDで見た後追い世代だ。

目次は、こんなふうに6つの章になっている。

第1章 『傷だらけの天使』前夜
第2章 企画と制作準備--今までなかったテレビドラマを
第3章 嵐のシリーズ前半--鬼才監督たちの競演
第4章 路線変更--そして、伝説に
第5章 『傷だらけの天使』全26話あらすじと解説
第6章 その後の『傷だらけの天使』

新書だから文章量はそんなに多くない。1〜5章には、あんまり新しいことは書いていない。個人的には、続編や新作を作ろうとして、没になった経過が描かれている6章が面白かった。

ショーケンと言うと、「傷だらけの天使」と翌年に放送された「前略おふくろ様」の二つが代表作で、私の個人的な見解では、その前の「太陽に吠えろ!」の三つがショーケンのテレビでのベスト3だと思っている。って、正統なファンには怒られそうだ…。

この時期のショーケンの俳優業は充実していて、映画だと『青春の蹉跌』(1974年)や『アフリカの光』(1975年)に出ている。個人的には、この二つの映画が、ショーケンのピークだと私は思っている。って、やっぱり正統なファンの人には怒られそうだ…。

テレビドラマ「傷だらけの天使」の魅力の大きな一つは、「自由な生き方」だ。それは、コンビーフを缶ごと食う自由だし、ビルの屋上にプレハブを建てて住む自由だし、ビルの屋上でドラム缶風呂に入る自由だったりした。って、見た人にしかわからないか…。

この「自由」は、イーカゲンとかテキトーが、生き方としてジユーに輝いて見えた「自由」だ。同時に昨今のコンプライアンスなんかに気を遣う必要のなかった時代の「自由」でもある。

冒頭に貼り付けた画像は、YouTubeにあったこのドラマの一場面だ。横断歩道を渡っている時に、ショーケンが一般の通行人を小突いた瞬間を静止画にしてある。アドリブで、ゲリラ撮影だと言われているが、当時はこんなこともありえたのだ。

ショーケンこと萩原健一は、そういう「自由」を全身で体現する俳優だった。

でもその「自由」の本質には、イーカゲンとかテキトーが大きな要素になっていたから、思ったよりもはかない「自由」だった。はかないから、より一層、魅力的に見えるし、終わるのも早かった。そんな気がする。


本書を読むと、萩原健一は、俳優として登場した最初から、亡くなるまであんまり変わらなかったように見える。最初からズケズケモノを言うし、気にならないスタッフは殴ったりしたようだ。

当初は、それも含めてショーケンの魅力として、受け入れられていたようだ。でも受け入れていたのは、年上の監督やスタッフだ。面白がられたという方が合っているかもしれない。

私も、テレビや映画で見ていたいちファンだったが、面白がって見ていたし、すげえ、かっこいいなって思って見ていた。でも時代は変わるし、ショーケンを面白がっていた年上の人達は、年寄りだから、時間が経つと順番にいなくなっていく。

ショーケン自身だって年を取る。

現場からは、年長の理解者がどんどんいなくなるのと並行して、現場のスタッフは必然的に年下になっていく。それでもショーケンはあんまり変わらなかったみたいだし、年下とはうまく付き合えなかったようだ。

でも、周囲と世の中はどんどん変わってしまうのだ。

時代とマッチしていた時は、ショーケンは誰にも負けないくらい輝いていたけど、時代と合わなくなると、齟齬ばかりが目立つようになった気がする。

なにやら面倒な人、問題を起こす人というレッテルが貼られ、でもそのレッテルはほんとうにその通りだったみたいだし、ショーケン本人も大物ぶって、大物扱いされることを望んだから、余計にレッテルが強固になっていったように見える。

後輩や年下にも「傷だらけの天使」を評価する人は多かったけど、過去の業績は過去のものとして、その後の本人は、人としてはあんまり支持されていなかったからようだ。

だからショーケンの周りから年上がいなくなると、やっぱり落ち目になるしかなかった気がする。

以前、『ショーケンという孤独』というドキュメンタリー番組があった。2009年に公開された映画「TAJOMARU」の撮影中あたりまでを、ショーケンに密着取材した番組だった。当時60歳のショーケンが映っているんだけど、これがとんでもなくジジむさい。


この番組の最後のほうで、当時ショーケンが慕っていたご夫婦が出てくる。結構なお金持ちの一般人だ。やっぱりショーケンよりは年上で、ショーケンはお父さん、お母さんと言って慕っていた。ご夫妻は、ショーケンよりも10歳くらい上で、親の世代ではないけれど、年長者ではあった。二人は、業界ともまるで関係のな人達だった。

スターだけどプライベートではこんな面もある、一般人とも気さくに付き合いあえるといった意外な面を描いているエピソードというよりも、ショーケンを受け入れてくれる人は、もう同業者にはいないのだという印象を、私は受けた。

それに、ショーケンが年長者へ甘える姿に、またかあ、なんかいびつだなあ、という印象を持ったのだ。

このドキュメンタリーの第二弾も企画されたが、ショーケンがカメラを当時再婚したばかりに冨田リカに持たせて撮影させたいと固執したために、没になったらしい。

とかなんとか、どうでもいいことを私は思い出しながら、『永遠なる「傷だらけの天使」』を読んでいた。


「傷だらけの天使」は、東京では、土曜日の遅い時間に放送さえれていたらしいが、私が住んでいた東北の県では、放送はそんなに遅い時間でもなく、土曜日でもなかった気がする。

しかし、当時は東京と違って半年遅れの放送なんかが普通だったから、私がいつ見たのか正確な時期は思い出せない。

本放送の時は、一回くらい見て、親に怒られて、それから見られなくなった。ちゃんと見たのは、夕方の再放送だ。学校帰りに学生服のまま見ていた記憶がある。

「傷だらけの天使」のショーケンのファッションはかっこよかった。かっこよかったけど、特に革ジャン姿やハンチングを被った姿は、都会的というよりも、かっこいい馬喰とか馬方さんに見えた。

そういう業界で働く人の服装が、かっこいい方向に変化したもの、に私には見えていた。当時はメンズビギなんて、なんのことかわからなかった。

読み終えて、このドラマは、テレビドラマ史に残ったんだなと思った。だから、ショーケンこと萩原健一も、テレビドラマ史に永遠にその名を刻んだんなと、なんとなく実感した。

まあ、それでいいか…。

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