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映画日記 是枝裕和・監督『三度目の殺人』 みんないつものみんなだった





是枝裕和監督の『三度目の殺人』という映画を、ネットフリックスで見た。

ネットフリックスだから、テレビ画面だ。映画館と違って、何時間何分あるかわかるし、途中で止めたり、再生を繰り返したり出来る。

それでは映画に失礼な気がして、ネットフリックスで映画を見るときのルールを勝手に決めた。

最初から最後まで一気に見る。
途中で止めない。
トイレにもいかない。
残り時間が何分か確かめない。
気になった箇所があっても途中で再生はしない。
ということにした。

自分で勝手に決めたルールだが、映画館で観ている状態に少しだけ近くなった。


この映画は、殺人犯の弁護を引き受けたものの、犯人の供述が二転三転して、同時に関係者の証言もどんどん変化して、何が真実なのか、何を軸に弁護方針を立てたらいいのか、わからなくなっていく弁護士のハナシだ。

その弁護士を福山雅治、同僚を吉田鋼太郎と 満島真之介が演じている。福山の父親で元裁判官が橋爪功。殺人犯は役所広司だ。被害者の妻を斉藤由貴、その娘を広瀬すずがやっている。検察官の一人は市川実日子だ。

といった感じで、テレビでよく見かける顔ばかりが出てきた。殺された人だけが、誰だかわからなかった。遺影で一瞬しか出てこないのだ。

福山雅治は、テレビや映画のガリレオ・シリーズの湯川先生と変わらぬ髪型と風貌で出てくる。吉田鋼太郎も満島真之助も普段と一緒だった。斉藤由貴も他のドラマに出てくるのと同じポニーテールだった。

役所広司にいたっては、金太郎飴みたいに何年も前からの同じ顔で同じ髪型だった。

いつものことだけれど、時代劇でもない限り、俳優は、作品によって、髪型を変えたりはしていないのだ。

役柄というよりも、福山雅治はいつもの福山雅治で、役所広司はいつもの役所広司だ。誰もが他のドラマやビールのコマーシャルなどで見る顔と同じだった。それがなんかとても不思議な気がした。


面会室での、依頼者で殺人犯の役所広司と弁護士である福山雅治の、会話シーンがとても多い映画だった。顔のアップばっかりだ。胸から上というよりも首から上のショットだ。顔面アップと会話のやり取りがメインと言っても良い。

福山雅治は、現代の美男子の代表らしく、どんなにアップになって鼻毛は見えないし、髭もちゃんと剃っている。もともと毛深くない人なのだ。普通の人なら不自然なのだが、二枚目スタアだからそれでいいのだという、なんか貫禄みたいなものがあった。まあ、映画だし…。

役所広司は吃驚するくらい『PERFECT DAYS』と同じだった。この映画は2017年夏の公開作品だから、2023年公開の『PERFECT DAYS』より5年以上前になるのだが、すっかり同じで、差を感じられなかった。

同じ人が演じているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、顔面は同じだったし、佇まいも同じだった。

この『三度目の殺人』が練習で『PERFECT DAYS』が本番だった、みたいな言い方も出来る気がした。『三度目の殺人』があったから『PERFECT DAYS』があった、なんて言い方も出来るかもしれない。

そんな風に、この二つの役所広司は、繋がるどころか瓜二つに見えた。ほぼ同じ人物と言っていい。なんだろうか、この既視感は……。

これと同じことが他の俳優にも言える。みんないつも見て知っている人達、そのまんまなのだ。

きっと、過去作品やテレビで広く顔の知られた、お馴染みの俳優を起用することに監督がこだわって作った映画なのだ。そう考えればいいのだろうか? そんなことを考えていると、私はどんどん混乱してくる。

何が真実かわからなくなっていくというパターンは、後の『怪物』と同じだ。しかし、『怪物』が雑な印象だったのに対して、『三度目の殺人』は、丁寧に作られている印象を受けた。

これを別の言い方にすると、『怪物』は、編集で何かがざっくりと省略されてしまったためにわかりづらくなったが(って、勝手に私は妄想している)、『三度目の殺人』は、わかりやすさを損なうような編集がされていない、ということかもしれない。

どっちがいいかは私にはわからないが、『三度目の殺人』の方が完成度が高く、『怪物』の方が、自由で映画的な気がする。

ということで、私としては、『三度目の殺人』は、顔の売れていない俳優で撮りなおしたら、大傑作になるような気がした。相変わらず私はひねこびているなあ。


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