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被害者が他の犯罪を犯していたことは情状酌量にはあたらない

どうも、佐倉葉月です。Good morning!

覚せい剤密売人のイラン人が、日本人の暴力団・不良たちに襲われ、1人が死亡、1人が重傷を負った事件をご存知でしょうか。

犯人は、山本太、安藤秀夫、高橋勇、他不良少年4人の計7名(うち中心的なのは山本・安藤・高橋)です。

イラン人の薬物密売人が襲われるのは、イラン人密売人同士の縄張り争いに絡むものが多いようですが、このような、日本人が外国人を襲うケースは珍しいのではないでしょうか。山本・安藤・高橋の公判から、事件の概要を再構成しましょう。

山本は、茨城県で生まれ、中学を卒業し、高校を中退しました。職を転々とし、1999年6月、神奈川県大和市内に事務所を置く暴力団の組員となります。その後、組の兄貴分の経営しているホストパブのマネジャーになり、1999年9月には、その経営を任せられたのです。

ところが、経営がうまくいかなかったのです。そのため、売り上げをもっと上げようと値段を下げ、集客努力をしました。一時期は客もふえたのですが、2000年8月ごろには、四苦八苦の状態で運転資金の手当てもままならなくなりました。山本のサラ金の借金は合計で443万円もあり、これ以上の借金は無理でした。そこで、安藤に相談をもちかけます。

安藤は、東京で生まれ、高校を卒業し、パチンコ店員などをしたが、1999年12月、山本と同じ組の組員となりました。山本は少し先に組員になったのですが、組の序列では同格でした。相談されたものの、安藤もサラ金に103万円の借金があり、銀行の残高はわずか65円で、日々の生活費、遊興費にも事欠いていたのです。

8月中旬、安藤は鎌倉のJR大船駅前にある都市銀行の夜間金庫にパチンコ店の従業員が売上金を預けているのを目撃しました。「これを奪えばいい。」と安藤は現金強奪計画を山本に伝えました。山本は、すぐに実行しようと、犯行に加わる人間の手配を安藤に頼みます。

安藤は、高橋、少年3人を誘い、3日間かけて下見もしました。在日韓国人の高橋は組員ではないのですが、サラ金に多額の借金があり、「おいしいバイトがある」と顔見知りの安藤から誘われて加わりました。

山本、安藤、佐藤、少年3人の6人は、8月30日、JR大船駅前の中華料理店に集合し、逃走用のバイクを2台盗んで犯行の準備をしました。ところが、8月31日午前1時31分まで、夜間金庫に来るはずのパチンコ店従業員を待ったのですが、結局、この夜、パチンコ店の従業員はあらわれず、強奪計画は未遂に終わりました。

一方、同じく8月中旬ころ、安藤は、自分たちの組の縄張り内で、外国人が無断で覚せい剤を密売しているのをしり、「うちのシマで、バイしている外人がいるらしい。しめちゃいますか」と山本に言います。これが悲惨な事件の始まりです。

組に無断で密売している外国人をやっつけるという安藤の提案に対し、山本は同意し、「しめた後、ケツをとろう」と言いました。

安藤と山本は、密売現場で、所持している現金・覚せい剤などを奪い、さらに拉致して、かれらの組織に対して身代金を要求しようとも考えたのです。かれらなら警察には届けないだろう、と思ったのでした。

拉致して身代金を奪う計画はあやふやなものでしたが、大和市内の小田急江ノ島線の桜ケ丘駅周辺で密売している外国人を襲うことになったのです。

山本は「人数は多ければ多いほどいい」と仲間集めを安藤に指示します。安藤は、「うちの組の縄張りで、シャブを売っている外人を襲う」などと、パチンコ店従業員を襲う計画に参加した高橋、少年3人と、もう1人少年を加えた5人を誘い入れました。

武器も手当たり次第にかき集めました。山本が組の幹部に犯行を打ち明けると、「道具を持っていけ」と拳銃を渡された。組事務所の仏壇から短刀を出しました。ほかに、模造刀、金属バット2本、ハンマー、モンキーレンチなども車のトランクに詰め込んだのです。

8月31日午後11時ごろ、組事務所付近のファミリーレストランに集まり、1台の車に7人が乗り込んで桜ヶ丘駅方面に出発しました。しばらくして、安藤は、だれかと連絡し、密売人の携帯電話番号などを聞き出します。そして、高橋がその番号に連絡を入れます。

連絡がついて、山本ら7人は待ち合わせ場所で密売人が来るのを待っていました。しかし、密売人はなかなか来ないので、高橋が再度連絡しました。9月1日午前0時30分ごろ、密売人たちは車に乗ってやってきました。ライトで合図するので、後をついてしばらく走ると、密売人の車は大和霊苑前で停止する。山本らの車は、密売人の数メートル後ろに停車した。

安藤は、「おれと山本君が客になって売人の車に乗る。すぐバシバシやってくれ」などといって、山本と一緒に車をおりました。山本は左ポケットに拳銃を入れ、上着の右袖には短刀を隠し持っていた。安藤も模造刀を隠し持って、密売人の車に近づきます。

すると、密売人が、「車に乗れるのは1人だけ」といってきた。そこで、「ごちゃごちゃやっていたらばれちゃう。すんなりいくように」と、山本が助手席から乗り込みました。

しかし、安藤は自分たちの車に戻り、山本だけが密売人の車の助手席に座りました。安藤は、殺人をすれば自分も暴力団としての人生が終わる(無期懲役以上になってしまう)と考えたのでしょう。車内には運転席に1人、後部座席に1人、あわせて2人の密売人がいた。山本にとっては予想外でした。こちらは1人、相手は2人です。2人が武器みたいなものを所持しているかどうかはよくわからなかったみたいです。

ただ、外国人であり、自分より体格はよく、年寄りではないとわかりました。後部座席にいた外国人が、「コード番号は」とあらかじめ電話で打ち合わせしていた客としてのコード番号を聞きました。山本は、「しらねえよ、そんなもの」といったかと思うと、持っていた短刀で、運転席にいた外国人の左大腿部を突き刺したのです。

山本は続けて、外国人たちがおとなしくなると思って足を刺したのですが、当然ながらおとなしくなるどころか、刺された外国人は大声をあげて騒ぎました。後部座席の外国人と一緒に、山本につかみかかり、殴り合いになりました。「2人からつかみかかられて、ごちゃごちゃの状態」の中で、山本は運転席の外国人の左胸を目がけて短刀を突き刺し、最終的には出血多量により死亡させて殺害しました。

一方、自分たちの車に戻った安藤は、車内にいた5人に、「あの車が揺れだしたら、すぐにいこう」と言いました。まもなく、密売人の車が騒がしくなりました。山本がやられているようです。

安藤、高橋ら6人が車から飛び出し、車のトランクから武器を取り出しました。安藤は、密売人たちの逃走防止のため、相手の車をパンクさせようと、模造刀をタイヤに突きたて、前輪と後輪をパンクさせます。高橋は、ボンネットに飛び乗って、フロントガラスを金属バットで叩き破りました。ほかの少年たちは、モンキーレンチ、ハンマーなどを手にして車を壊し、金属バットで後部座席の外国人に殴りかかりました。

後部座席の外国人は大声をあげながら、必死に抵抗します。逆に金属バットを奪いとり、山本目がけて振り回します。額にあたり、山本の額ははれあがりました。運転席から身を乗り出して、山本は短刀でその外国人の右腹部を刺したのです。

2人がぐったりしたのを見て、山本らは目当ての金を探しました。高橋が運転席の男、山本が後部座席の男の体を探ります。高橋が財布を1つ見つけました。その中には、1万円、千円札、ドル札などで1万3000円ほど入っていました。後部座席の男も7000円持っていましたが、山本らは気がつかなかったのです。

車からおりた山本は、車の後部ガラスの割れた部分から、拳銃を向けて、後部座席の外国人を撃とうとしました。しかし、「もう、こいつは死んでいる。警察がくる。早くいこう」と仲間にいわれてやめたのです。「逃げるぞ」「帰るぞ」といいあって、約20キロ離れた鎌倉の稲村ケ崎海岸に行き、拳銃以外の凶器を投棄しました。

密売人を殺傷したものの、わずかな金を奪ったに過ぎませんでした。ところが、山本は密売人の車の助手席に財布を残してきました。争ったときに落としたのでしょう。財布の中には、山本のキャッシュカード、名刺、現金が入っていた。ここからアシがつき、山本らは順次逮捕されます。

一方、9月1日午前0時31分、現場の近くの住民が目を覚ますと、ガン、ガンという何かを叩く音とともに、「助けて」という壮絶な声を聞きつけ、110番しました。受傷後、20数分で救急車がきて、2人は病院に運ばれました。

運転席の男は、すでに心停止状態であり、午前2時過ぎ、死亡しました。左胸部の12センチの刺傷が心臓を貫いていて、出血多量が死因でした。また、後部座席の男は、深さ10センチの傷だったが、命は助かりました。

殺された密売人、イラン人のアボス(35歳)は、在日イラン人の知人たちが検察庁に要望したことにより、日本で火葬せず、柩に入れた遺体がイランに送られました。

アボスは、1991年4月29日、正規の短期滞在資格で入国しましたが、不法に残留し、東京都八王子市などで運搬作業員などで働き、タイ人女性と交際していました。2000年7月から神奈川県海老名市のマンションに住み、薬物密売をしていたのです。携帯電話で客から薬物の申し込みを受け、受け渡し場所を決め、現金と引き換えに売っていました。

もう1人の密売人、けがをしたイラン人のレザ(37歳)は、山本らと同じ横浜地裁に起訴され、2001年4月24日、懲役4年及び罰金50万円の判決を受けました。

判決などによると、レザは、1990年9月、正規に入国しましたが、1993年に不法残留で強制送還されました。この間、400万円を国に送金し、それに100万円ほど借金して、家を建てた。その借金を返すため、再度、来日を計画し、タイでブローカーから偽造パスポートを購入し、1997年1月10日、不法に入国しました。1年間は仕事をしていたのですが、その後、アボスと同じ海老名市に移り住みます。

同年8月初旬、アボスに勧誘され、密売にかかわるようになったといいます。事件までの約1カ月間、毎日のように密売し、覚せい剤を51万円、大麻を16万円売った。仕入れはアボスが行い、レザは客からの注文電話の応対と、客へ薬物を渡し、代金を受け取る役割でした。

それに加えて、レザはアボスのボディーガード役でもありました。レザの身長は180センチぐらいはあります。なで肩だががっしりした体格のレザは、イランでボディビルのチャンピオンになったこともあり、日本でもボディビル大会に出場を予定し、仕事先の仲間にも教えていたといいます。

体力があるのだろう。事件のときも、レザは負傷しながらも、警察官が現場に駆けつけてくるまでの間、現場近くにあった排水管のパイフに薬物の入った小物入れを隠しました。

この小物入れには、覚せい剤18.399グラム、大麻11.59グラム、LSD54錠、MDMA10錠の密売用薬物が小分けされて入っていた。そのほか、覚せい剤0.583グラムを身体に隠し持ち、車内からも覚せい剤0.599グラムが発見された。

レザは自分の公判で、「神様の名において、私が今後、日本においてもイランにおいても、良心に誓って、法に触れることはしない。まじめに日本で働いてきた。薬物の世界から遠ざかって生活してきた。密売に故意に関与したことはない。薬物で裁判を受けていることは残念。命を落とすところまでいった。心底から反省している。裁判所、この国の人におわび申し上げたいと思う。どうか許してくれることを願っている。今後、社会の役に立ちたい。過ちを犯したが許してください。いつか日本に恩返しできればと思います。もう1回、チャンスをくださるようにお願いします」と述べました。

そして山本らの公判がはじまると、公判では被害者遺族の調書が証拠採用されました。アボスの父親から警察に手紙が届きました。それには、「アボスはほかの外国人同様、10年間働いていた。公判を傍聴させてください。どうして殺されたのか」などとあった。
 また、被害者の人権救済の高まりに伴って、日本の捜査当局から改めてイランにいる父親に電話して聞き取った調書では、「おとなしいアボスだった。遺体を見たが、なんであんなに傷つけられなければいけないのか、犯人は死刑にしてほしい」と訴えている。レザも、「アボスの両親が日本にくれば、直接訴えられるが、それができないので、私がかわりにいうと、かれらを死刑にしてください」と述べました。殺された被害者やその遺族の無念は計り知れないものでしょう。

裁判で、山本は、たくさんの凶器を用意してアボスとレザを刃物で刺したにも関わらず殺意を否認するなど、不合理な弁解に終始していました。

2001年8月28日、検察官が論告を行います。山本が否認している殺意について、「犯行の態様、凶器などから、殺意を認めることができる」と詳述した上で、組織的、計画的犯行と断定しました。さらに、「被害者に殺害されるような落ち度はなく、遺族への慰謝もない。アボスの父親やレザは厳罰を望み、この事件は在日外国人に大きな不安を与えた。」とも述べました。

山本はアボスに対する強盗殺人罪及びレザに対する強盗殺人未遂罪、安藤と高橋はアボスに対する強盗致死罪及びレザに対する強盗傷害罪で起訴されていました。

検察は、山本に対して無期懲役、安藤に対して懲役15年、高橋に対して懲役12年を求刑しました。

これに対し、3人の弁護人はそれぞれ最終弁論を行う。山本の弁護人は、「殺意なく、殺害動機もない。強盗致死及び強盗傷害である。殺害すれば、事件が表沙汰になるし、かれらのアジトから金を持ってこさせられなくなる。単なる思いつきの事件で、とても計画的とはいえない。覚せい剤密売のシマ荒らしの抗争事件で、被害者にも相当な落ち度がある。アボスの父親は息子が覚せい剤の密売をしていたことを知らされていないで、調書が作成されたもので、正確な遺族感情ではない」などと述べました。

しかし、裁判所は山本の殺意を認め、山本に下された判決は求刑通り無期懲役というものでした。では、今回の量刑に対する私の私見及びこの事件から学んだことを書いておこうと思っています。

殺人及び強盗殺人の被害者が他の犯罪を犯していたとしても、到底情状酌量を認めることはできない、山本への無期懲役は妥当な量刑だ、というのが量刑に対する私の私見です。これは遺族の処罰感情を考慮したからではなく(遺族の処罰感情を量刑に算入してはならないと私は考えています)、ただ単純に、事前に凶器を用意するなど計画を重ねて身勝手な理由で1名の尊い命を奪い、1名の尊い命を奪おうとしたことは非常に残忍かつ無慈悲な犯行であるからです。

もしも仮に弁護側の、「覚せい剤密売のシマ荒らしの抗争事件で、被害者にも相当な落ち度がある」という身勝手な理由で酌量減軽がされてしまったら、それは「人の命は平等である」という原則を破壊し、人の命の価値に優劣をつけるということになってしまいます。

死刑存廃問題に関して死刑廃止派寄りの中立である私としては、殺人事件は、犯人に同情する場合以外の刑罰は無期懲役のみとし、最低拘禁期間は個々の犯情に応じて裁判所が決めるのが合理的だと考えます。

また、私は、強盗「致死」罪の現在の法定刑は罪刑均衡の原則に照らして不適切であり、法定刑を大幅に引き下げなければ法の正義を著しく損うと考えます。なぜなら、殺意のある強盗「殺人」が原則無期懲役であるのに、殺意のない強盗「致死」までもが原則無期懲役とされているのは、明らかに罪刑均衡の原則を逸脱してしまっているでしょう。だから私としては、強盗「致死」罪の法定刑を無期又は9年以上の懲役、強盗「殺人」罪は強盗の罪ではなく殺人の罪として扱い殺人罪の法定刑を無期懲役に固定。また、強盗強姦罪を削除し、強姦及び同致傷罪を無期又は7年以上の懲役、強姦致死罪は無期又は10年以上の懲役に改正、殺人の故意があれば殺人の罪として無期懲役に固定。これが罪刑均衡の原則に照らして適切と考えます。また、強盗致死罪の下位互換である傷害致死罪は無期又は2年以上の懲役に改正、無期懲役の仮釈放までの最低年数は裁判所が決める、こういった刑法改正の請願書を私は書いている最中です。

今回、強盗致死罪で起訴された安藤と高橋が有期刑(それぞれ15年と10年)になったのは、妥当だと考えます。彼らと山本の罪責には、雲泥の差があります。

また、一連の事件で重傷を負ったレザは、医療費の請求を求めていました。損害賠償命令制度が確立されはしたものの、依然として加害者側は資力の少ないことが多く、実際に賠償金を受け取るのはハードルが高いという現状があります。そこで、私が提案するのが、「代執行制度」の導入です。代執行制度とは、損害賠償命令を課された加害者側が賠償金を支払わない場合、加害者に代わって国が被害者に賠償金を支払うという制度です。犯罪被害者支援団体は、この制度の導入をもっと前から求めています。

他人が勝手に奪っていい命など一つもありません。山本太さん、あなたはそんなことも分からないで生きてきたのですか。なんて不幸な人なのでしょう。そしてこの記事を読んだ皆様へ、この事件を絶対に忘れないでください。そして犯人の山本太を絶対に許してはいけません。無残にも亡くなってしまったアボスさんのご冥福をお祈りいたします。

悲惨な殺人事件がもっと減少・根絶することを祈ります。また、ぜひ私の記事を犯罪の抑止に役立てていただけたらと思っています。

長くなってしまい誠に申し訳ございません。この記事を読んでくださり誠にありがとうございます。読者の皆様には感謝しかありません。





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