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植松聖の言葉と闘え

皆さんは、相模原障害者施設殺傷事件をご存知でしょうか。

19人ものの尊い命が奪われ、26人が怪我を負った、悲惨な事件です。

犯人の植松聖は、現在死刑判決が確定して拘置所にいます。動機は、「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を『安楽死』させれば世界平和につながる」という思想によるもの、つまりヘイトクライムとのことでした。

彼は、犯行前に、以下の手紙を衆議院議長に提出していました。

衆議院議長大島理森様
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
 重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
 今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
 世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
 私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
 衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
    文責 植松 聖
 作戦内容
 職員の少ない夜勤に決行致します。
 重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。
 見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。
 職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。
 2つの園260名を抹殺した後は自首します。
 作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
 新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。
 美容整形による一般社会への擬態。
 金銭的支援5億円。
 これらを確約して頂ければと考えております。
 ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。
 日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。
 想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松聖

私たちから見るととても、煮ても焼いても食えない手紙ですよね。手紙の内容を読んで話したら、家中が笑いに包まれてしまいました。

もちろん、絶対に彼の主張を認める訳にはいきません。

ただ私も、彼の主張を否定する根拠を見つけられずに困っていた時期があったのです。しかし、ある日、彼の主張を否定できる根拠を見つけることができました。

人間の本質は魂であり、障害があっても、魂は完全なのです。

障害者は、人間に、足るを知り、幸福とは何かを教える、魂の教師の役割を持っています。また不当な、劣等感・失敗感・挫折感により、神への信仰を見失った、競争社会のすさんだ人々を、救済する役割も障害者たちには与えられています。そして彼らの中には現実の天使も身を隠して潜んでいるのです。

植松聖へ。あなたはそんなことも分からないで生きてきたのですか。なんて不幸な人なのでしょう。不幸を作っているのはあなたです。

ただ、事件の責任を植松に押しつけていいものなのでしょうか。

植松の手紙には、このような内容が書かれています。

「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」

これについては、実際にその通りだと私は考えます。植松自身も障害者施設で働き、障害者の監督にあたっていたのです。

職員たちは疲れきっているし、十分な休みがとれなかったり、どれだけ頑張ってもやりがいが見出せないこともある。重度の障害者となると、感謝の意思とか、気持ちがつながりあうまでに時間がかかります。5年、10年関わって、初めて心を開く人もいる。しかし、障害者施設の職員の給与は宿直を入れても20万円前後が一般的。サラリーマンの平均年収より100万円前後も低い。スキルも不十分で、支援体制も整っていない中で働き続けるというのは厳しく、離職率が高い現実があります。植松聖も同じような環境に置かれていたと思います。

だからと言って、障害者を殺害して良い訳はありません。植松は、障害者の監督に疲れていたのだったら、障害者とは関わらずにそっとしておいたら良かったのではないでしょうか。

それと同時に、事件の再発防止策も、私たちは考えないといけません。

事件のあった施設は重複障害者を含めた約160人もの障害者を収容していました。施設に一括収容というのは国際的にみるとかなり時代遅れであり、それ自体が人権侵害だという指摘もあります。

私としては、いっそのこと、障害者の「施設」を無くし、かつての職員たちは、仕事にやり甲斐を感じているのだったら、障害者個人の家で個人の監督にあたればよいと考えています。

それならば、障害者は不特定多数の場所に散らばるため、一度に大量に狙われることもないと思います。

また、植松の手紙の中に「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております」という記述があります。

ならば、私としては、植松は障害者を(植松本人の感覚での)動物としての生活から脱させるために、職員を結束バンドで縛った上で、施設にいる障害者を施設から連れ出せばよかったのではないか、と感じます。

いずれにせよ、「障害者は不幸を作る。障害者なんていなくなればいい」という植松の言葉と闘う義務が私たちにはあるのです。

相模原障害者施設殺傷事件を、私たちは絶対に忘れてはいけません。そして、犯人である植松聖を、私たちは絶対に許してはいけません。

他人が奪っていい命など、一つもないのです。

この記事が、生命の尊重につながることを私は願います。






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